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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第五章 昭和一七年一〇月
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二世


 新京が満洲の国都とされてから十年が過ぎた。新京駅前からは幅員八十メートル超の道路が真っ直ぐ南へ十キロ延びており、これが市街の中心線の大同大街である。東側が長春と呼ばれた頃の旧市街で、当時からの官庁や銀行などは今でもそのままだ。さらに東には伊通河が流れていて、汚水処理施設がある。新京市内は上下水道と水洗便所が完備されていた。電柱や架空線もなく、すべて地下埋設配管である。

 西側が国都建設事業の中心地区で、駅から三キロ南の大同広場までに軍と政府の建物、その先には建設中の皇宮と官庁群があった。国都建設事業は第二期を終えたが、人口は計画の五十万を超えてさらに急増中である。第三期建設事業が人口百万を計画して開始された。

 大同大街の駅側の二キロほどは中央通と呼ばれる。ちょうど関東軍総司令部の前までだ。総司令部は中央通の西側で、通をはさんだ向かい側が憲兵隊司令部である。すぐ南に彼らの官舎と軍人会館があった。大同広場のロータリーを過ぎると白山公園、それから東朝陽路で、西へ抜けると皇宮外周の東萬壽大街である。



 東朝陽路の自邸で工藤忠は客と会っていた。工藤は日本人ながら溥儀皇帝の信頼が最も篤く、宮内府顧問官にして皇太子の後見も任せられていた。十二月の還暦と同時に日本国籍を脱して満洲人となる。その時は、軍事諮議院の諮議官や参議府の参議、あるいは宮内府大臣に就任するのではないかと噂されていた。

 上等な満服を着た客の名は袁慶清、張作霖政権の黒幕だった袁金鎧の長男で、一〇年前に張景恵の秘書官として官界に入った。その後、教育行政に携わったが、当時の日本の方針と衝突し左遷されていた。有能だが激情家で、時に自分の感情を堪え切れない。

「十二年前に陛下ははじめて訪日された。その時、わたしは侍衛官長で、お父上は尚書府大臣として随行された」

「はい。父は尊大で自惚れが過ぎたので左遷されたのです」

「そうは思わぬ。お父上は、張作霖に先んじて満州をまとめ北京に出ようとされた。しかし、風が変わったと見れば、その後はずっと張政権の黒子役に徹せられた」

「父は父です、子は子」

「わかる。見習えとは言ってない」

「官界を去るのは叶いませぬか」

「袁家は漢軍八旗の旗人の家柄、官僚を辞めることはできまい」

「風を見よと言われるか」

「おや、この二年間、見ていたのではなかったのか」

 袁慶清は拱手して頭を下げた。



 新京駅前の大和ホテルの貴賓室では、満洲映画協会理事長の甘粕正彦がかつての部下に試問を行なっていた。甘粕が満洲国協和会の総務部長だった時、于静遠は総務処長であった。

「二代太宗は、満州、内蒙古、朝鮮を統べて元の玉璽を得られた。三代世祖は北面の領土を、沿海州、外興安嶺、外蒙古へと広げられた。陛下は、それらの奪還を望まれるか」

「臣の役目は陛下の心中を推し量ることではありませぬ」

「命が下るのを座して待つのかね」

「何を望まれても適うように臨みます」

「日本は引いたが、米国の進出と介入はそれ以上だ」

「時節について陛下に進言致します。満洲帝国の国是は保境安民にあります」


 保境安民は王永江が最初に唱え、于冲漢が満州の外交方針としたものだ。

「父君が関東軍に飲ませた八項目だな。王道楽土はいいが、米国は日本より賢く狡いぞ」

「もとより承知です。沿海州の露人を入れぬと五族協和が成りませぬ」

「そのとおりだが、ソ連が敗北するとは限らぬ。時節が来るかな」

「時節は待つにあらず、適うようにつくるものです」

 民政部大臣の回答に、甘粕は苦笑いした。


 于静遠は日本の陸士を出た後、ドイツ、スイスにも留学した。日本語とドイツ語に堪能である。軍人であるが、警察、行政官も経験しており、協和会では青少年指導にもあたった。王賢偉とともに、日満両者が認める次世代の国務総理である。

「君が将来の満洲国総理にふさわしいことは、満州官民のみならず、日本や諸外国も認めるところだ。だが、僕は君を宰相にしたいとは思わない」

 于静遠は黙って、次の言葉を待つ。

「君には、大清の丞相になってほしい」

 于静遠は大きく頷いて、笑った。

「沿海州について思案があります。聞いていただけますか」

「聞こう」



 清朝末期から辛亥革命の後も、満洲が乱れたのは日露の軍事力が強大だっただけではない。派遣された地方官が北京からの軍兵、資金に頼ったからで、つまりは中央集権の弊害であった。急場に間に合わせようと地元で募兵や収税を行なうと、北京に戻った時に処罰される。行なわないと時期を逸する。

 そのような状況で、保険隊や郷団を基礎とした馬賊が軍閥まで成り上がれたのは、満州に根ざしていたからである。成功した軍閥は、兵や金をはじめ、およそ軍隊に必要なすべてを満州内で調達できるように努めた。それには警察、幣制、教育等の行政も欠かせない。

 そうして、張作霖や張景恵ら馬賊の頭目たちは、袁金鎧や于冲漢、王永江らの地元知識層に出会い、重用することになる。彼ら地元知識層は、科挙制度の混乱と崩壊によって進士から中央官界への道が閉ざされ、焦燥していたのだ。



 在満洲日本大使館は、関東軍総司令部と同じ場所にある。陸軍大将の梅津美治郎は背広を着ていた。今日は関東軍総司令官ではなく、特命全権大使としての面会が入っていた。相手は、満洲帝国外交部次官の王賢偉である。

「あのタイミングはソ連の意向だったようですな」

「朝鮮で何かを企てており、長白督軍の進撃は不都合であったと」

「さよう。東側の、咸鏡道」

「沿海州と陸路での連絡ですか」

「ふつうは船便と考えますが、なにせ石油は貴重だ」

「バクー油田はまだ炎上しているそうですね」

「それを承知の上での決定ですか」

「北満州油田発見の公表は陛下の決断です」

「それでは、何も申すまい」


 二人は一服して間を入れる。紅茶が出された。

「英国も爆撃機を飛ばしたという噂ですが、まんざら嘘とも思えない」

「こと朝鮮内乱ではソ連側に立った言動が多いのは事実ですな」

「それですが、英国の口車に乗ってみることになりました」

「ほう、英断だ。たしかに、日満も米中もソ連に反論はできない」

「ない袖は振れませんからね。米国がああいう状況だと」

「八十隻が全滅です。軍艦の被害も大きい。何より新兵器だ」

「最も深刻なのは中間選挙への影響でしょう」

「大英帝国はさすがです。極東とはいえ外交謀略の動きは止まらない」

「このあたりが英米の相違だと思われませんか」

「立憲君主制と共和制との違いと言われるなら、そうでしょう」

「日本は米国の弱点をお探しでしたね」

「げふん。本題に入りますか」


 本題は、数年後の対ソ戦だった。梅津は、本国の訓令を伝える大使という体裁にこだわる。けっして関東軍総司令官の発言ではないと。王賢偉は笑いを堪えながら、頷いた。

「米国へはどうします?」

「中間選挙の行方を見てから。あるいは次期大統領が決まるまで待つか」

「共和党へは伝わっていますね」

「N四五は彼らが言いだしたことです」

「満洲に望まれるのは?」

「銃後の安定です。たとえ四、五年の長期戦になったとしても」

「日本は長期戦に耐えられない。そう思っていましたが」

「それについては、言うことはありませんな」

 二人は黙って対峙する。



 長白督軍の本営は新義州におかれたままである。軍司令官の張学銘中将は大いに不満だった。朝鮮内の混乱は収まりつつあるが、それは長白省内の朝鮮人がいなくなることを意味しない。すでに一〇月で、朝晩は氷が張り始めた。まもなく、大軍の行動が不可能になる。


 督軍副官の張紹紀は部下の白善華少尉から報告を受けていた。白少尉は朝鮮人だが、満洲国軍官学校を優等で卒業し、共匪の情報収集にあたっている。

「また、ソ連の工作員が平壌に入ったのか」

「平壌で金一星と合流しました。京城に向かったようです」

「金匪か、偽名が多すぎてわからん」

「われら朝鮮人には区別できます」

「それはいい。目的は日本からの引揚組か」

「はい。ソ連がほしいのは即戦力です。引揚者には工場や鉱山での勤務経験があり、さらに主義者も多い」

「わかった」


 副官の報告を受けた司令官はさらに不機嫌になった。外交部からの訓令の意味がわかったからだ。春まで咸鏡道に入るな。それは、ソ連の好きなように通行させろという意味だった。


 作戦室に一人で入って来た督軍副官を見て、作戦参謀の加茂大佐は笑って言った。

「副官、気落ちするな。われらが上げた情報は帝国外交部の分析に役立っておる。軍ともなれば戦闘だけではない」

「はっ。ですが、あと半年は動けません」

「動けないのは東だろう。西の始末がまだ済んでおらんぞ」

「平壌に寄港した英国潜水艦のことですか」

「南浦だ。日本に頼まれた一ヶ月は過ぎた。どうだ」

「西は動いてかまいませんが、しかし」

「日米には世話になっている。だが、英国には」

「たしかに。口を出すなら金も出して欲しいですね」

「手伝ってくれ。金匪を絡ませたいのだ」

 張紹紀は頷いた。軍司令官には陽気でいてほしい。





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