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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第四章 昭和一七年九月
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黄海(二)


 陸軍特種船丙型の熊野丸は、東経一二四度線上にあった。百式輸送機が来ると聞いて、熊野丸の船内は大いに慌てた。

「双発機は不時着水じゃなかったのか?」

「重要貨物があるそうです。機体と合わせて七トンちょいとか」

「無理だろう。機速はどこまで落ちる?」

「新型フラップを前縁にも装備しています。毎時百キロから百十」

「海軍さんの艦攻なみか。やむを得んな」

「降ろすんですか!」

「艦上機を降ろせなくてどうする?」

「しかし、双発機ですよ」

「俺に言わんでくれ。アンテナ塔を倒せ。マストも倒せ」


 船橋や煙突を甲板下に収めた熊野丸は、起倒式のアンテナ塔やデリック、前部マストを倒してしまえば、突出のない真っ平らになる。甲板上の一式指揮連絡機は追い出された。搭乗員の仕度が間に合わず、操縦士だけで飛び立った機体も多い。

「船長、百式から緊急電です。マストは立てて置いてくれと」

「何だと?」

「上部に目印を付けてくれるとなおいいそうです」

「ああ、そうか。よし、幟でも褌でも目立つ奴をつけてやれ」


 百式輸送機の操縦席は四メートルの高さにあり、通常でも機首に妨げられて前方視界は悪い。水平飛行時に操縦席と機首上辺が作る角度は十五度あり、下ろした前輪下端と後輪下端が作る角度は十三度である。つまり、着陸時の操縦員に機体前方は見えないに等しい。

 操縦士は直接に滑走路を見ることなく、立ち上がった副操縦士の助言で着陸しているのだ。着艦時の飛行甲板に対する機体進入角は六度であるが、これは操縦士に前方が見えることを意味しない。機体は三点着地の体勢で進入するからだ。要するに、最終態勢で操縦士に甲板は見えない。甲板上十二.六メートルの前部マストはありがたい。


 輸送機の機内でも隊員たちが大わらわだった。KX装置の急制動に備えて緩衝になる装備を座席と壁面に張り詰める。

「重力の二倍半てどれくらいだ?」

「身体が半分以下に押し潰されるんだろう」

「大事じゃないか。こんなんで大丈夫か」

「するめにはならないだろうが、息は止まるな」

「おい」



 熊野丸は二二ノットの全速で風に向かっていた。船倉から出した高速艇甲が真後ろに追尾している。海軍で言うトンボ釣りだ。熊野丸が装備している支援艇の中で、全速に追尾できるのは三七ノットの高速艇甲しかなかった。奥にあったこの艇を出すために、手前にあった装甲艇や大発も引き出されていて、後方に散らばっている。

 あきつ丸と違って、熊野丸は海軍の全面協力のもとで完成した。主機や煙路、煙突も海軍の指導を仰いだ。艤装や運用術も海軍に倣っているところが多い。しかし、着艦制動拘束装置は、萱場のKXを装備していた。


 KX装置は萱場製作所が開発した野戦秘匿飛行場装置の一つである。移動隠匿飛行場や野戦隠密飛行場とも呼ばれる急速展開用の飛行場装置は、横索制動装置、火薬式飛行機射出装置、応急滑走路敷設資材の三つからなり、それぞれKX、KY、KZと呼称された。

 海軍が空母で運用している着艦制動装置も、もとはといえば萱場が大正末期に試作したものが始まりである。萱場は軍需関連技術は献納としたので、海軍の発着艦装置は呉式や空技廠式と呼称されている。しかし、陸軍は今年になって特許権を正式購入した。米軍に売るためである。軟地応急敷設資材のKZは有力と見られていた。



 百式輸送機は熊野丸のほぼ真上を通過した。まだ着陸態勢ではなく、状況視察である。白城子陸軍飛行学校には熊野丸の甲板を模した訓練場があった。それと同じであるかを確かめる。双眼鏡を覗いていた機関士が、図面を見ながら報告する。

「幅も長さもどんぴしゃり、同一です」

「了解。では着陸するか」


 甲板脇の歩廊では着艦担当士官が双眼鏡で機影を追っていた。

「まったく疑い深いやつだな、田辺は」

「無線を聞いていますと、着艦とも不時着とも呼びませんね」

「そうなのだ。ふつうの着陸と同じと考えとる」

「全然別物と思えますが」

 前部マストの天辺には吹流し、その下に等間隔で白い幟がつけられていた。


 旋回してきた輸送機が熊野丸の右舷を同行する。海軍式の着艦手順を踏むらしい。何かが落とされた。

「今になって重量物を捨てておるのか、馬鹿めが」

「いや、浮きをつけたので拾って欲しいと」

「わがままなやつだ、まったく」


 左旋回して熊野丸の前を横切った輸送機は、さらに左旋回して船と逆行する。第一旋回と第二旋回である。機速が落ちるのが見ててわかった。そして第三旋回で高速艇甲に直進し、その上空で左旋回して熊野丸を追尾する態勢に入った。最終着艦態勢である。

 主翼の高揚力装置が引き出され、前輪が下り、操縦室天井の窓も開放された。動翼の動きも前輪の引き出しも、ここまで異常はない。と、一瞬、輸送機が沈み込んだ。

「「わ」」


 失速したかと思われたが、すぐに輸送機は浮き上がった。進入角は六度近傍にある。

「脅かしやがって。今のが前縁フラップか」

「船の動揺を計ったみたいですね」

「視界も確認したんだろうな」

「ここでやりますかね、ふつう」

「陸上の模擬甲板と唯一、違うところだからな」

 陸上に描かれた甲板は地震でもない限り動くことはないが、海上の船は常時、ローリングやヨーイングなどに揺れている。



 ドン!


 田辺機長が操縦する百式輸送機は、四本の横索の一番手前を機体後尾の着艦拘束装置に引っ掛けて着陸した。見事な三点着地である。横索制動装置KXでは手前の索ほど制動が緩やかで、機体にかかる負荷が小さい。それはすなわち、機内にいる人にも優しいということだ。

 といっても、機内の全員は一気に前方へ押し出される。リウ中尉は予定通り神父に突っ込んだ。神父二人は仕切り壁と挟まれ押し潰される。ぐえっ。

 柴田少尉と司馬伍長は、本心とは裏腹に、手を差し伸べる女官の身体を後方へと突っぱねて耐える。隊員二人は後方に結んだロープと綱引きする。そして、石井典侍の身体は、またも熊野軍曹が受け止めた。


 神父のトランクは第一旋回の前に廃棄された。ロープで括って浮きを付け、あとで回収できるようにしてある。木板の浮きは、典侍から借りた唐櫃の蓋である。蓋を外すと中には熊野軍曹の遺体があった。

「一人で逝くのは寂しいの」

 典侍はそう言って隣に軍曹を座らせ、救命胴衣も着せた。その時、女官はうんうんと頷いて手伝い、少尉と伍長はぶるぶると首を振った。


 白素を飲まされて眠っていた神父が、着艦の衝撃と激痛で目を覚ます。頭を振りながら目を開けると、異教徒の顔があった。目を見開き、大口を開けて食いつこうとしている。ひっ、と神父は気絶した。

 リウ中尉が石井典侍に尋ねる。

「今、ミッキーの目が開きませんでしたか」

「さあ。でも熊野丸ですからねぇ」

 熊野の目は閉じられていた。穏やかな表情で、口元が微笑んで見えた。




 甲板では記念撮影が始まった。敬礼する操縦席の田辺機長、天井窓から万歳して喜びを表す副操縦士、船長と機長が握手する姿が終わると、最後は集合写真だった。軍人だけの写真の後に、お客さんを入れた写真も撮影された。

 写真機を構えた一式指連の偵察員がお客さんに注文をつける。

「神父さん、もっと笑ってくださいよ。お願いします」

 リウ中尉が英語で何事か言うと、神父たちは満面の笑顔となった。


 バシャッ。


 記念写真が終わると、整備兵が機体に群がる。消火用の海水ポンプで霧の幕を作りながら、右主翼を切断し始めた。熊野丸のエレベータは甲板最後部にあり、縦横とも十六メートル。百式輸送機は全長十六超、全幅二十三だからそのままでは載せられない。持ち帰るには何箇所か切断するしかなかった。


 リウ中尉と司馬伍長は、甲板後部の歩廊で一服しながら眺めていた。

「新型輸送機設計の参考用であります」

「そうか。損傷した主翼下面は貴重だ。しかし、軍機ではないのか?」

「いえ。中尉どのにはすべて見られてますし、販売先は米軍なのであります」

「あはは。そうだな、KZは売れると思うぞ。米軍には穴あき鉄板しかない」

「KXは無理として、KYはどうでありますか?」

「火薬では難しいな」


 そこで、司馬伍長は周りを見渡し、声を落とした。

「中尉どの、ここだけの話ですが、ロケット式の新型があるのであります」

「ほう。それなら話は別だ。上に伝えよう」

「えへへ。KY改ですから、米式呼称はKYBになるのであります」

 熊野丸の船速が上がった。同時に、風上に向けて回頭をはじめる。着艦する機体があるらしい。二人は煙草の火を消し、煙草盆を持って船内へ入る。



 この日、熊野丸に着艦した陸軍機は三機だった。もちろん、双発機はこの百式輸送機だけで、二機は単発機だ。朝鮮爆撃は始まったばかりで、熊野丸はまだ帰還できない。






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