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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第四章 昭和一七年九月
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黄海(一)


 龍山の急造滑走路北端では、百式輸送機が発動機を回して待機していた。満州帰還の最後の一機である。すでに駐機場にも流れ弾が跳んでくるようになり、田辺機長は滑走路で待つことに決めた。連隊本部によると、最後のトラックは二台で、隊員が五人、お客さんが六名、大行李相当の荷物が六つということだった。

「一人で大行李を一つとは贅沢ですねぇ。お偉いさんですか」

「なんでも朝鮮王室累代の宝物だそうだ」

「そりゃすごい。お、来ました」

 全速力で走ってきたキ印のトラックが急制動をかけて機体の後部左側に停車した。ぼろぼろの隊員が女性三人、米国人三人を機内に誘導する。すぐに荷台に戻り、大行李を機体に運び込み始めた。第二中隊も手伝う。その唐櫃やトランクは見るからに重そうで、実際に積まれるたびに機体が揺れて沈み込む。荷物というより貨物と呼ぶのがふさわしい。



 操縦室から機関士が出て来て、席順や貨物の配置を確認する。

「隊員が一人足りないようだが?」

 無言の視線が返ってきた。女性のお客さん三人に睨まれると、機関士は食いつかれそうな気がして後退りする。少尉が、これで全員だと独り言のように言った。機関士は操縦室にもどる。

「全員乗機完了、貨物固縛よし、離陸準備よし」

「了解。全制動。車輪止め外せ」

 敬礼する飛行場責任者に田辺機長が答礼する。

「金中尉、世話になったな。また会おう」

「はっ、ご武運を」

 天井窓から顔を出した陸士同期の副操縦士も叫ぶ。

「昌圭、次は手を抜くなよ」

「それは工兵の高山少尉に言ってくれ。俺は整備だ」



 百式輸送機は離陸した。すぐに漢江である。高度を上げながら緩やかに右旋回に入ろうとした。その時、対岸が光る。

 ガンガンガン。

 機体に振動が走った。銃撃、いや砲撃を受けたらしい。

「左主翼に至近弾、破片を喰らいました」

「対岸に敵がいたのか」

「共和派に寝返った部隊らしいです」

「共和派がなぜ日の丸を撃つ?」

「いえ、龍山を革命派と挟み撃ちしています」

「外れ弾か?しかし今回はよく喰らうな」

「何か憑いているんじゃないですか」

「お神酒が足りなかったか」

 機体はなんとか水平飛行に入った。すでに黄海上空である。



 田辺機長は左側に座る副操縦士に損傷を確認させる。無線士には、クツカセに助言を求めさせた。それから、機関士に仕切りの扉を閉じるように命じた。離着陸の時は操縦室の扉は開放するので、今までの会話はすべて聞かれている。通常なら問題ないが、今は邦人女性に日本語の分かる米国人もいた。

 女官二人は軍事用語は知らないが、飛行機が損害を受けたらしいことはわかった。それぞれ柴田少尉と司馬伍長の腕にしがみつく。運転兵の隊員二人は面白くないから、神父二人を睨みつける。睨みつけられた神父は十字を切って、異教徒に対する呪文を呟く。石井典侍はずっと目を閉じていた。

 リウ中尉はしっかり聞いて、すっかり理解していた。往路を思い出す。ミッキー軍曹はいいやつだった。関東軍精鋭の機動連隊の中でも精鋭中の精鋭だった。コマンドウの鏡だ。俺に向かって来た銃弾も手榴弾もすべて引き受けて、反撃してくれた。だからといって、死神まで引き受けることはなかったのに。しかし死神の奴は、ミッキーの上をいく精鋭らしい。中尉は十字を切った。


 副操縦士は外観に損傷は見られないと報告した。田辺機長が計器を見る限り、発動機にも異常はない。だが、左主翼の振動は続いている。無線士の報告を聞くと、機関士を呼ぶ。

「翼内燃料槽だと思うが、どうだ」

「表示は異常なし。燃料計が破損していたら、あるいは」

「確認する方法はないかな」

「すでに切替と開閉は行ないました。あとは視察するしか」

 機長は後方の扉を見る。

「やってもらうか」

「そうですね。決断は早いほうがいい」

 機関士は頷くと、柴田少尉を呼びに行く。



 離陸後、輸送機は真西に進路をとり、東経一二四度に達すると真北に変針した。そのまま北上すれば安東である。進路に乗ると機体は少しだけ減速した。後部左側の乗降口が開いて、兵隊が頭を出す。司馬伍長は、絹の飛行マフラーに飛行眼鏡で顔を覆っていた。左手で乗降口の縁を握ると身を乗り出し、ぺたっと機体に張りつく。腰にはツ装置からの命綱を結んであった。

 ツ装置は機体から垂直降下や懸垂下降を行なうための綱を繰り出す器械である。落下傘がなくても、大勢の兵隊を素早く挺進展開できて経済的だと開発された。しかし、十人以上の兵隊を運ぶ輸送機の失速速度は百キロ毎時を切ることがなく、運用は中止された。といっても、同速度で走る車両や船への降下なら可能である筈だから、機動連隊を輸送する時には装備される。


 司馬伍長は人員室前方の窓から隊員が繰出した案内ロープを右手首に巻き結んだ。三型一等は窓が多く掴む箇所に困らないが、足をかける場所はない。手と腕の力だけだ。慎重に体重を預け、そろそろと機体の前方に移動し始める。三百キロ毎時の風圧の中で、ヤモリになった伍長は主翼の上に達した。

 上部にはやはり異常はない。主翼付け根の視察と触接が済むと、伍長は案内ロープを工夫して主翼に巻き付けた。窓を覗くと機関士が確認箇所を書いた略図を翳す。伍長は図上を指して、これからの手順を示す。機関士が小さく敬礼する。よろしく頼むの意味だろう。伍長は頷き、指を折る。

 五つ数えると、左の発動機が止まった。伍長は案内ロープを確かめると、えいやと主翼の下に取り付く。まず損傷の広がりと深さだ。動翼に触れないように、懸垂の状態で主翼全体を一通り眺める。発動機の周辺は触接も行ない、下に潜り込んで息を呑んだ。こいつはひどい。



 田辺機長は暗算を終わると、柴田少尉に説明した。少尉の返事は短く明快だった。

「それが最善ですか」

「ああ、最善だ。完全ではないがな」

「了解しました」


 燃料漏出は確かにあった。百式輸送機の航続距離は三型になって二千三百キロと短くなっていた。しかし、今回は往路四百八十キロ、帰路六百四十キロ、合わせて千百二十キロだから全く問題ない。左翼の燃料が失われても残量はあと六百キロ分、ここから安東までは十分である。

 問題は発動機後部にあった。百式輸送機の主脚の前輪は半格納式であり、車輪を含めて主脚の二割は暴露され、空隙もある。もちろん発動機との間には隔壁があったが、内側だから防弾は大して考慮されていない。

 前輪主脚の動作に異常はなかった。だが、伍長が格納口を覗き込むと、隔壁には大きく裂けた穴があった。破片は発動機後部に達したと思われる。持ち帰ったグリースを機関士が指でこねてみると機械油が混じっていた。発動機の潤滑油か主脚シリンダの作動油だ。



 リウ中尉は柴田少尉の説明を聞いて、ああそうかと思った。やはり奴は精鋭なのだ。

「中尉、この輸送機が着艦すると言ったのですが」

「聞いているよ。空母なら着艦で間違いない」

「はあ。陸軍特種船丙型は確かに空母に近いですが」

「次の言葉もわかる。機体は軽いほうがいい」

「いや、それは」

「少尉、すべて理解している。ミッキーのためでもある」

 今度こそ裏をかいてやると、リウ中尉は思った。そして、神父二人に拳銃を突きつける。

「神父さま、お二人の保護を命令されましたが、荷物は聞いていません」


 柴田少尉は思い起こす。

 ミッキー熊野軍曹が戦死したのは、石井典侍と女官を護るためだった。典侍らは宝物の入った唐櫃を守るために危険を冒した。だから、典侍ら三人と共に四つの唐櫃を満州に護送するのは連隊の任務だ。最善を尽くさねばならない。

 発動機と前輪に不安があるので早く着陸したい。もっともだ。しかし、すでに沖へ出ていて海岸までは七十キロはあるし、そこは敵地だ。人だけなら不時着水もあるが、荷物も救うとなったら着陸しかない。そして、最も近い味方の陸地は陸軍特種船丙型の甲板で、数分で到達できる。






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