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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第四章 昭和一七年九月
32/45

倭城(二)


 パン、パンパン。

 タン、タタタタ、ターン。


 一行は科学館裏門前の別館内に閉じ込められていた。第一小隊の柴山班十三名と柴田少尉、第三小隊の篠崎組六名、松山少尉、リウ中尉。石井典侍と女官二名、それに神父二人だ。兵隊が合わせて二十数人もいるから、脱出を強行できないことはない。お客さんは背負えばいいのだ。

 しかし、唐櫃四個とトランク二個は担ぐだけで二十人は必要で、そうすると武器を持つものはいなくなる。三台のトラックはきちんと裏門前に整列していたが、一台がパンク、もう一台がエンジン破損、最後の一台は後半分がなかった。


 階上で朝鮮神宮からの手旗信号を観察していた篠崎曹長が降りてきた。

「第二小隊が応援を出してくれた」

「「おうっ」」

「科学館を取り囲んでいる革命派は二百を超えた」

「「えぇー」」

 部屋の隅で士官と班長、組長が集まって善後策を練る。明確に指揮権を持っている最上級者は柴山准尉である。どう考えても損害、損傷なしの龍山帰還は困難と思われた。しかし、朝鮮国軍や憲兵隊の応援を考慮するには士官の助言が要る。


 交代で休憩している隊員たちが別の隅に腰を下ろした二人の神父を一瞥する。険しい顔つきである。ウォルシュ神父とドラウト神父は、日本では有名人だ。数ヶ月前に東洋経済新報が日米交渉の特集号を出していて、その中で二人の神父の行動は大いに疑義ありとされていた。発行部数は情報局の週報よりはるかに多い。



 隣の小部屋で、熊野軍曹は気絶した石井典侍を介抱していた。トラックが横転した時にどこかを打ったらしい。咄嗟に下敷きになってやったから、軍曹の左半身はずたぼろである。典侍の息が落ち着くと、ポケットから錠剤を取り出した。典侍の体を擦り続ける女官に、軍曹は問う。

「おんばの晩酌は何合だ」

「え。軍曹さま、何を。すけさまは晩酌はなさりません」

「寝酒は」

 軍曹は女官を睨みつける。真剣な顔に観念した女官は小声で言う。

「三合です」

「年の割には達者だな。いや胃の話だ」

 軍曹は典侍の身体を起こすと、半分に折った錠剤を口に放り込む。水筒の水を注ぎ込んで、顔を上に下に向けると典侍は飲み込んだ。止めようとした女官は、意外と優しい軍曹の手つきに安心する。

「気つけだ。効くぞ」

 そう言って、軍曹は残った半分を飲み込んだ。



 パン、パン。

 タン、タターン。


 熊野軍曹は荷物の間を抜けて小部屋を出る。両側に司馬伍長と柴田少尉が座り込んでいた。二人とも銃を構えてはいるが、顔も何も軍曹と同様に疲労困憊である。

「下火になったような」

「すでに二百人は殺傷しています。しかし包囲の人数は減らないのであります」

「波があるようだ、その人数を揃えるのにな」

「どうして憲兵司令部に向かわないんでありますか。敵討ちですか」

「十分足らずで二百人を殲滅する敵を放って行けるか?」

「やりすぎたのでありますね」


 熊野軍曹は伍長の隣に腰を下ろすとカービン銃を確かめ、窓を見つめる。

「伍長、荷物だ、問題は」

「そうであります」

「百式輸送機は滑空機を引き上げて飛ぶ。ならば、この荷物を吊るのもわけないよな」

「軍曹どの、横と縦では大きく違うのであります。横に引き上げるには、車輪と翼があればできます。しかし、縦に吊るには」

「ああ、わかった。飛行機は飛んでいるのか」

 司馬伍長はほっとした。頭も打ったのかと心配したのだ。

「上で止まってもらえばいい」

「はい、カ号観測機です。オートジャイロは空中に静止出来るのであります」

 二人の目の前にロープが下りてくる。そうだ、そのロープに荷物を結わく。そして、するする・・。


 パン、パン。タン、タターン。

 ガチャン。パリパリン。


 屋上から何本ものロープが下がり、黒い漢服を着た男たちが中庭に降り立つ。二人が銃で掃射すると、中庭の男は倒れる。しかし、まだ降り立ってない数人は、窓を蹴破って飛び込んできた。見事に二人の頭上を越えて着地する。漢服の向こうには柴田少尉がいて、銃が撃てない。

 一人が振り返る。咄嗟に熊野と司馬がキ印刀を投げる。一つが首に、一つが胸に刺さって絶命した。熊野と司馬は顔を合わせて睨みあう。もったいない。一つ無駄にしてしまった。

 女官の悲鳴がした。小部屋に侵入されたらしい。軍曹は腰からゴボウ剣を抜きながら後を追う。少尉は伍長の方に向けてトンプソンを連射する。伍長がその場で回れ右をすると、下げたままのロープから兵隊がわらわらと降りてきていた。伍長も撃ち始める。


 パン、パンパン。

 タン、タタタタ、ターン。


 小部屋に入った漢服は二人だった。軍曹は奇声を発して小銃を持つ一人に振りかぶる。繰り出したゴボウ剣はかわされたが、体が入れ替わり、軍曹は女官らを背にすることができた。すぐにゴボウ剣を投げる。小銃を撃とうとした漢服は避けようとして体勢を崩す。ようやく、軍曹はガバメントを抜くことができた。


 パン、パンパンパン、パン。


 拳銃を連射すると、狭い部屋は硝煙に包まれた。女官が咳き込む。撃ち尽くして弾倉を替えようと屈んだ軍曹の、すぐ頭上にナイフが突き出された。一人は生き残っていたらしい。ナイフはかわせたが、拳銃を落としてしまった。

 漢服は休む間もなくナイフを繰出してくる。手練れとはこいつのことかと、軍曹は思う。顔が見えるようになった。まだ若い。体力は向こうが上か。こっちは得物がない。床に拳銃が落ちているはずだが弾倉は空だ。奪うしかないか。

 漢服の攻撃はかわせているが、毎回どこかの動脈を切られていた。軍曹の出血は増えていく。そうか、刺して抜けなくなるのが怖いのか。軍曹は攻勢に出る。利きの悪くなっていた左手に刺させて奪ってやろうと考えたのだ。漢服の顔が歪むのがわかった。寝かせていたナイフが次第に起きてきて、動作も大きくなる。


「みっき、泥棒はだめじゃ」

 突然、大声がした。石井典侍が気がついたらしい。

「うおおおおーっ」

 熊野軍曹は左手で拳を構え、突進した。漢服はナイフを振り下ろす。ガチン。肥後守を仕込んだ左手の手甲で受け止め、ひねって手首を掴む。漢服も得物はなくなった。軍曹は全力で前に進みながら、右手で漢服の左手を掴む。二人は互いの両手を握り合って踏ん張り、力比べに入る。

 一瞬、軍曹は力を抜いて間を詰める。漢服の顔が間近に迫る。思ったより荒い息をしていた。軍曹は大口を開けて笑って見せると、そのまま漢服の首筋に齧り付いた。ガブッ。漢服は目を見開くが、もう軍曹には見えない。ガリガリッ。

「ぎゃあああーーっ」




 朝鮮神宮を出た第二小隊の一班は、科学館への坂道を必死で駆け上がって来た。天満宮の前を過ぎて曲がると見通しが開ける。革命派の兵隊数百人が科学館に群がっているのが見えた。班長の指示で弾倉を確かめ息を整える。最後の百数十メートルを撃ちっ放しで駆け抜けるのだ。班長が左手を揚げる。


 ドッカーン。ドドドド、ドッカーン。


 科学館の中央あたりで大爆発が起こり、火柱が天に向かって真っ直ぐ上がった。吹き飛ばされた敵兵が宙を舞い、崖下へと落ちていく。突撃の姿勢をとっていた第二小隊の隊員たちは肝を潰した。爆煙の中からトラックが飛び出して、もの凄い勢いで突っ込んで来る。キ印だ!咄嗟に山側に貼りつく。

 トラックは隊員たちにはかまわず、さらに速度を上げて通り過ぎる。数人が跳ね飛ばされたようだ。どうやらブレーキが壊れているらしい。その後にぼろぼろの兵隊が二十人ほど続いていた。ロープで結わえられている。何人かが足が回らず転ぶと、そのまま引き摺られていく。

 すると、トラックの中は敵兵だったのか?第二小隊は回れ右をすると、射撃姿勢で後を追う。


「班長、だめです。支えきれません!」

「黙れ、任務だ。引っ張れ、力を籠めろ!」

「勢いがつきすぎです。もう無理です!」

「綱を離すやつは中隊から放り出すぞ」

「「ひっ」」


 トラックの中には石井典侍らと直衛、神父二人とリウ中尉が乗っていて、暴れる荷物を抑えようと右往左往していた。だが、荷物より前に自分らが立っていられない。振り落とされないようにと命綱をつけたのが間違いだった。逆に行動の自由を奪われて、降って来る荷物から逃れるのに必死だった。柴田少尉は女官の一人と組んず解れつで顔は真っ赤だ。

「あーれーっ」

「オーノーッ」

 宙を舞うリウ中尉は完全に理解した。選択ミスだ。トラックに乗ってはいけなかったのだ。坂を下るブレーキのない六トン超の車両を二十人で引き止められるわけがない。勢いがついたらおしまいなのだ。これがトラップだったのか。自分が提案したことをすっかり忘れて、リウ中尉は唐櫃の一つを見つめる。



 だが、運転兵は冷静だった。朝鮮神宮の大鳥居が見えて坂の下りが納まりはじめると、時機を見計らう。機会は一度きりだ。砲兵だった運転兵は頭の中で計算尺を走らす。計算式は完璧だったが、今現在の時速がわからない。

 最後の曲がり角が見えた。ほぼ直角で、その後は緩やかに神宮の境内を潜る道だった。ここだけは速度を落とさないと飛び出してしまう。今まで辛抱してきたが、やるのは今だ。えいっ。


 ギャン。ギヤヤヤヤャャャャーッ。


 変速機を低速に入れられたトラックは、前につんのめりながらもなんとか停まった。車体のあちこちから煙があがる。






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