表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第四章 昭和一七年九月
31/45

倭城(一)


 石井典侍らを乗せたトラック二台は鐘路通を東へ驀進した。パコダ公園の前を過ぎ、若草町を右に折れる。観水橋を渡って真っ直ぐ南下した突き当りが憲兵司令部である。このあたりは大和町と呼ばれる日本人街だった。その昔、李氏朝鮮と通商を求めて来る大名や商人を接待する倭館があったところで、大和町に改称される前は倭館洞と呼ばれていた。

 明治になると、日本公使館や韓国統監府が置かれた。二階建ての最初の朝鮮総督府がこの場所に建てられると、一帯は倭城台とも倭城塞とも呼ばれるようになった。旧日本公使館の跡地が憲兵司令部に相当し、総督府旧庁舎は恩賜記念科学館になっている。その中間に朝鮮総督の旧官舎があった。

 すでに南山の山麓で見晴らしは良く、府内の大半を一望できる。すぐ下が東本願寺で、右手一キロほどに西本願寺、その反対側に天主教堂が見える。


 憲兵司令部の正門前は土嚢が積まれ、機関銃が据えられて殺気立っていた。案内役の松山少尉が衛兵に告げると、すぐに憲兵大尉が出て来る。石井典侍と親しく話すと、十人ほどつけてくれた。憲兵補ではなく上等兵の、本物の憲兵たちである。

 宝物は思ったよりは少なかった。塗り物の大型の唐櫃が四つである。しかし、ずしりと重く専用の棹を通しても二人では担げない。憲兵たちが一人ずつ四隅を支えて手伝う。典侍らは鞭を持った手を腰に当て、仁王立ちで睨んでいる。憲兵たちは手際よくトラックに積み込んだ。おそらく、持込んだ時も手伝ったのだろう。


 憲兵を引き連れた松山少尉が柴山准尉の前に来た。

「隣の科学館に人影があると言ってます」

「戒厳令で閉館だったのではないか」

 一人の憲兵上等兵が説明する。

「午前の見回りでは無人でした。しかし、お寺の裏の崖から入れば、司令部からは死角で見えないのであります」

 帰路は、科学館と京城神社の間を抜けて朝鮮神宮の第二小隊に合流する予定だった。一番早い。すぐ下の南山町から旭町あたりは、入り組んだ細い道で速度は出せない。明治町まで行けば路面電車の広い道だが、南大門までの遠回りになる。

「掃討しますか」

「われわれが狙いかな」

「窓から銃を撃たれると面倒です」

 柴山准尉は躊躇した。革命派が女官や宝物を狙うとは思えない。科学館から朝鮮神宮までは山沿いの坂道、片側は崖で襲撃は考えられない。一気に駆け下りれば任務完了だ。ここは警察か憲兵の出番だろう。

「鐘路通からこちらは日本からの引揚者が多く住んでおり、王制派で軍にも従順です。実際に大和町や明治町では外出者はいない」

「つまり、賊ではなく敵だと」

 准尉が柴田少尉の顔を窺う前に、松山少尉が決心した。

「踏み込みます。いつでも発進できる様にしていてください」

 拳銃を抜いた二人の憲兵を先頭に、松山少尉らは科学館の正門に向かう。その時。


 パーン。西の空に信号弾が上がった。

 ガガガガーン。眼下の天主教堂が爆発した。




 天主教堂のある明治町は、以前は明洞と呼ばれていた。カトリックでは司教が長を務めるのが大聖堂であり、通常の聖堂や教会堂は司祭が長である。もっぱら天主教堂と呼ばれる大聖堂の中で、二人の神父が数人の朝鮮人信者と向かい合っていた。戒厳令の中でも外国人の聖職者は特別扱いだが、一般の朝鮮人が来ることはできない筈だ。


「神父さま、本当にこれをいただいていいのでしょうか」

「ムンよ、主の思し召しだ。よくわれらに仕えてくれた」

「神父さま、北からは長い旅でありました。これほども」

「ユよ、それもまた主の思し召しである。これも進ぜよう」

 神父が信者に燭台や食器を渡す。

「神父さまらは金ばかりで、わしらは銀や銅ですが」

「キムよ、すべては主の思し召しなのだ。われらが決めるのではない」


「神父さま、革命派の地を無事に通過できたのはキムがいたおかげです」

「何を言うか。軍の検問はわれら米国人の従者であったから通れたのだ」

 神父と信者は睨み合う。キムと呼ばれた男が、懐からモーゼル拳銃を出した。二人の神父は身を固くする。

「神父さんよ、全部とは言わない。半分でいい。俺らも軍資金がいるのだ」

「何ということを。神罰があたるぞ」

「へへ。そっちの神罰があたるか、俺のモーゼルがあたるか、どっちが早いか試してみよう」


 パーン!銃声が響いた。


 煙る拳銃を手にリウ中尉が飛び込んできた。しかし賊たちは、ムンもユもキムも脱兎の如く逃げ去る。中尉の後に続いて来た第三小隊の篠崎組は、神父たちの影に入った賊を撃てなかった。

「ウォルシュ神父にドラウト神父ですね。米国政府のリウ中尉です」

「おおっ、助かりました。信者からの寄進を賊に付狙われておりまして」

 白い煙と共に何かが飛んで来た。がつん。中尉が二人の頭を床に押し付ける。閃光と共に爆発が起きる。

 ガガガガーン。


「中尉。向こうには加勢がいるようです」

「曹長、退こう。南山だ」

「了解」

 篠崎組の六人は唇から血をたらす神父の襟を掴んで走り出そうとする。しかし、神父は大人が入れるほど大きなトランクに抱きついて拒んだ。

「信者の寄進じゃ。米国に持って帰らねば」

「中尉!」

「すまん、曹長」

 中尉は背負ったトンプソン短機関銃を前に回すと連射した。

 タンタンタンターン。


 銃を肩に担いだ隊員たちは二つのトランクを引き摺りながら走る。神父はトランクの後ろを押しながら続いた。

 ガガガガーン。

 タタタタターン。パンパンパパーン。




 柴田少尉は目を見開いた。煙を上げる天主教堂からキ印のトラックが一台上って来る。その後に百人ほどの一団が続いていて、盛んに銃撃している。軍曹と伍長に目で合図し、体で女官らを庇いながらトラックへと後退する。

「少尉、乗車して科学館の裏庭へ」

 柴山准尉は短く言うと、科学館へ走る。班員が傘型に広がりながら続く。


 科学館の正門を入ると、憲兵たちが入り口を囲んでいた。全員が拳銃を抜いている。やはり館内には賊が潜んでいたらしい。准尉は息を呑む。二人の憲兵が喉を横一文字に切られて絶命していた。

「准尉、中は便衣ばかりだ。手練れがいる」

「了解。松山少尉、ここをお願いします。トラックは裏門へ」

「引き受けた。どれくらいかかる?」

「トラックが入ったら撤収してください」

「ここを守る意味はないか」

 松山少尉は残った憲兵たちを正門の内側に配置する。館内から銃声が始まった。背後はもう気にしなくていい。トラックを追う賊の一団に射撃を開始する。二百メートルに迫っていた。


 パン、パンパン。

 タン、タタタタ、ターン。


 柴山准尉は右手でトンプソンを操りながら、左手で盛んに合図を出す。真後ろに一人が続く。ほかの隊員も二人ずつになって、一階と二階を順に掃討して進む。科学館と言っても、博物館として建てられたものではない。韓国総監府、朝鮮総督府としての威厳と庁舎としての機能、年次による拡張で複雑怪奇な城塞と化していた。准尉の頭の中に入っているのは本館の見取り図だけであり、後方の建物は初見だ。固執しては危うい。



 正門では、松山少尉と憲兵たちが追われて来るトラックを掩護していた。隣の総督旧官舎まで応援の憲兵隊が出張って来て、小銃と軽機で賊を撃っている。賊の大部分は死角に駆け込んだようだ。つけ入りを謀っているのか。

 下を見ると、東本願寺には数百人が集結中である。軍服を着ているから、革命派の兵隊だ。裏門の柴山班の脱出までは、まだ時間を稼がねばならない。掃討の終わった館内に篭るのも一計かな、と少尉は考える。

 突然、轟音がして周囲が暗くなった。咄嗟に身を伏せる。


 グオオォォン。ガガガガガガガ。ブロロォン。


 松山少尉が身を起こすと、二式単戦が通り過ぎた後だった。賊たちは十三ミリ機関砲でずたずたに撃ち裂かれて、立っている者はいない。トラックが正門を入ってくる。

 もう一機の二式単戦は東本願寺に急降下していく。機首の機関砲が連射され、両翼から白煙があがる。


 ドンドン、ドドーン。


 境内は大爆発に包まれた。

「あれが四十ミリロケット弾か、凄いもんだ」

 松山少尉は、今のうちに司令部に戻るように憲兵に告げる。憲兵たちは戦友の死体を担いで走り去る。


 本館内の掃討が済んで、トラックが飛び込んで来ると、柴山班は裏門への撤収を開始する。胸の手榴弾を建物に投げる。


 バン、バン、バーン。


 濛々とする煙幕の中をトラックが疾走し隊員が駆ける。トラックは三台になった、隊員には今のところ欠員はない。




 二式単戦二番機のロケット砲から逃れた革命派は、無事な本堂に駆け込む。そして本堂がいっぱいになったところで、引き返して来た一番機が残弾全発を撃ち込む。大爆発と共に本堂は革命派ごとぺっしゃんこに・・・、ならなかった。

「くそっ、やつら科学館への崖に走っている。敵味方混在になれば空襲はできないと知っているんだ」

 双眼鏡を外した長田少尉は舌打ちをした。


 第二小隊附きの長田少尉は、朝鮮神宮の大鳥居近くから上空の対地直協機に指示を出していた。小隊の試製三式二号無線機から本部の九四式三号無線機を経由して、直協機の九四式飛二号無線機との電話回線が開かれていた。しかし、二回の中継では応答に時間差が出る。

「なんとか間に合ったと思ったんですが。どうします」

 松の木から降りてきた隊員が指示を求める。

「応援を出すしかあるまい。もう府内はどこも戦場だ」

「了解」

 隊員は松の木に礼と拍手をすると、班長のもとへ走り去る。


 長田少尉は再び双眼鏡を手に取る。再来した一番機は目標を変え、科学館の北から東本願寺への道路を掃射してくれた。しかし二番機は西側の崖を狙えず、攻撃を諦め旋回上昇していく。背後に南山があって、降下射撃後の引き起こしができないのだ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ