分目
機動連隊の第一中隊が米式装備の試射を行なっている頃、第二中隊が到着した。駐機場で待ち伏せていた波須美連隊長は、第二中隊長の日野中尉と手短に打ち合わせする。連隊長は第一中隊と共に第一陣で進発し、一時間後に連隊副官と第二中隊が後続する。第一陣を乗せた十機の輸送機は一〇三〇に通化を離陸する。
輸送機は関東軍直轄で、第二航空師団の所属ではない。白城子陸軍飛行学校の教導飛行団所属である。陸軍教育機関であるから教育総監の指揮下であるが、実戦に限って関東軍総司令官に指揮権限が移譲されている。陸軍内の組織にあれこれの問題はあるが、第二飛行師団隷下の飛行場で実戦運用するとなれば、関東軍直轄のほうがなにかとやり易いのは確かである。
百式輸送機は十機とも三型ではあったが、艤装は様々であった。連隊長を乗せた編隊長機と二番機は、足掛け肘掛けのついた背当角度調整椅子席で、便所洗面室もついた上等であった。民間用とほぼ同じ配置で後部貨物室は便所の奥だから、いざ戦闘となると具合が悪い。一一席めを外して武器を置けるようにしてあった。百式輸送機三型上等は朝鮮王室用に用意されたものだ。
編隊三番機から七番機は一等で、八番機から十番機が二等である。一等ではまだ残されていた人員室の十一個の大きな展望窓が、二等では視察窓四個に減った。木製長椅子で便所なしは同じである。他にも、各機ごとに異なる部分があったが、学校の教材だから仕方がない。
八番機に乗った第一小隊柴山班柴崎組の熊野軍曹は、まだ躁状態が続いていた。饒舌で、時々歌ったりと騒がしい。しかし、同乗している班長も組長も何も言わない。精神安定は各自に任されていた。隊員はそれぞれ、目を閉じたり家族の写真を見たり、饅頭を喰ったりお化粧をしたりで余念がない。
熊野軍曹を興味深く見つめている者が一人だけいた。同乗した米国政府の要員である。見たところは東洋人であるが、支那人なのか印度人なのかは風貌だけでは判別できない。まだ若いが、軍服の階級章は中尉だ。
実際のところ、中尉は呆れていた。関東軍精鋭の機動連隊というから、大いに期待して来た。しかし、出撃だというのに隊の統制はとれているのかあやしいものだ。銃器はカービンとトンプソンだけだが、他の装備は、矢尻やら匕首やら小刀やら果物ナイフやら、てんでばらばらだった。軍服はお揃いだが迷彩の模様は各自で違う。迷彩とはそういうものだったか?
機内で一番騒がしい軍曹が米国人に声をかける。
「よう、中尉さん。わざわざ米国から監視とはご苦労様だね」
「任務だ、何ほどのことでもない。軍曹こそたいへんだな」
軍曹は、ちらりと班長を見て、それから向き直る。柴山准尉は眠ったふりらしい。
「お前は朝鮮人か?」
「俺は米国人だ」
「なに、朝鮮人でないだと。いったい何の役に立つんだ」
「もちろん、米国人は米国の役に立つ。貴様が貴国の役に立つかどうかは知らんが」
軍曹は面食らったようだ。日本語を話すのは当然としても、口喧嘩できるほど達者とは思わなかったのだろう。
「中尉さん、お見それした。俺はお国のために敵を撃ったことがある。中尉さんは人を撃ったことがあるか?」
「あるぞ。妹の部屋に入り込もうとした破廉恥漢の尻にショットガンをな」
それは米国では決まり文句で、ジョークの類である。だが、軍曹は真に受けたらしい。
「そうか、中尉さんは立派だな。俺にも妹がいるんだ、大勢な。うちじゃ男子は俺だけで、あとは女ばかり。上はすぐに二十歳だ。俺が婿さんを見つけてやらなきゃ。俺はな、この作戦が終わったら退役なんだ。故郷に帰って婿さん探しだ。あっはっは」
中尉は仕方なく答える。
「それは一大事だ。しっかりやれ」
突然、軍曹は立ち上がると右手を差し出した。一瞬、戸惑ったが中尉は固く握り返す。
「日本陸軍軍曹、熊野三樹夫であります」
「米国陸軍、ロング・リウ中尉だ。ミッキーでいいかな?」
「ミッキー?」
隣の伍長が軍曹にささやく。
「軍曹殿、ミッキーは三樹夫を縮めた言い方であります。日本で言うと、えー、まもるをマーさんと呼ぶみたいな」
まもるをマー坊と呼ぶことはあっても、マーさんはない。伍長が気を使ったのだ。
「そうか、ミッキーはミキさんか。よし、ロングも長いから、短くローだな」
二人は硬い笑いを交わす。しかし、中尉の心中は穏やかではない。畜生、俺は自分で自分のフルネームを口にしてしまった。そっと機内を見渡す。
「どうしました中尉殿。あんまり見つめないでください、手元が狂います。この剃刀、切れが悪くなっておりますので」
顔を剃っていた伍長が言った。手甲から抜き出した直刃形の剃刀が、機体の振動で揺れている。
「ああ、悪かった。これを使ってくれ。二枚刃だ」
「へぇ、殺傷用とは別に髭剃り専用の剃刀がありますか。さすがアメさまですねぇ」
「ごほん。これは私物だ。こうやってな、石鹸を擦り付けてから顔にあてるんだ。よく滑る」
「おお。こいつはいい。これできれいな顔で敵さんに会える」
リウ中尉は頭を抱えた。それほど高度はとってない筈だが、頭痛がしてきた。退役が間近で、妹の婿探しで、髭剃りだと。おまけに俺は名前を晒してしまった。きっと死神に目を付けられたに違いない。いま、分岐を超えたのだ。
龍山に着いたらこの班とは離れていよう。まさかとは思ったが、機内を確認する。視察窓は大きく、銃架がついている。非常脱出口にもなるようだ。後部左側の内開き昇降口、それから操縦席の天井窓も内から開く筈だ。
天井に落下傘降下用のワイヤロープが走っていた。落下傘降下は想定されていないから不要のはずだ。なぜ付けたままなのだ。そうか、これだ。あぶないところだった。これが死神のトラップなのだ。
顔を剃り終わった伍長が、中尉の視線を追って説明する。
「落下傘降下用のラ装置であります」
「それはわかるが、今回は不要だろう」
「はあ、搭乗員の脱出用に残してあるのでしょう」
「そうか、落下傘だと窓からでは無理なのか」
なおもぶつぶつ呟く中尉から、伍長はそっと視線を外す。
百式輸送機の編隊は北緯三九度を過ぎると高度を下げ始めた。柴山班長が目を開けて、時計を見る。京城府南部の龍山まで三十分を切ったはずだ。そこで気づいて、立ち上がりながら声を出す。
「おい、熊野が黙っているぞ。周囲を確認しろ」
隊員たちが視察窓に顔を寄せると、右手の方にチカチカと銃火が見えた。開城らしい。煙も見える。
「機体右側より銃撃を受けている模様!」
「着陸まで二十分。編隊四番機が至近弾を喰らったらしい。念のために扉を閉める」
前方の操縦室から機関士の大声が響いて、仕切りの扉が閉じられた。気のせいか機速が上がったようだ。
視察窓を覗き込んだリウ中尉が呟く。
「軽機や小銃じゃないな。もっと大きいようだが、開城にそんな装備があるのか」
黙りこんだミッキー軍曹に代わり、髭剃り伍長が答える。
「京城府と違って高射機関砲はないでしょうが、重機関銃や対戦車自動砲ぐらいはあるでしょう」
九七式自動砲は口径二十ミリ、機載機関砲の原型にもなった対戦車ライフルである。曳光徹甲弾だけでなく曳光榴弾もあった。高度を落とした輸送機にとっては剣呑だ。
「大丈夫ですよ、中尉殿。百式は三型になって機体下部が強化されています。上向きの銃弾ぐらい防げます」
「伍長、詳しいな」
「これでも航空兵であります。整備でしたが操縦も出来ます」
「そいつは頼もしい」
視察窓の中を二機の二式単座戦闘機が急降下していく。その主翼が白煙に包まれた。攻撃を受けたのではなく発砲煙のようだ。とすれば、こちらも相当の大口径なのだろう。開城はすでに落ちたと聞いたが、攻撃許可も出たらしい。間違いなく、死神は近くまで来ている。