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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第三章 昭和一七年九月
26/45

琿春


 今週は満洲の祝祭日が続く。月曜日が建国忠霊廟秋祭、火曜日が日満議定書が結ばれた友邦承認記念日、金曜日が満州事変記念日、土曜日が忠霊塔秋季慰霊祭、日曜日が航空日である。

 先週からの衛戍地移動で日曜日も休めていない。友邦承認記念日の今日は、朝から訓示があっただけで休日となった。早速、二年兵たちは外出する。初年兵が残った。

 山口篤たち三人は兵舎の裏の川で洗濯に励む。洗濯物は溜まっていた。外出が出来ないのは面白くないが、初年兵だけの集まりは歓迎だ。それに三時になれば酒保が開く。

「俺たちはどうなるんだ?」

「何がだ、中島」

「ここにはもともと琿春駐屯隊があって、第七一師団、第四師団と代わったが、第二軍の守備地区だろう」

「いまは第三軍に変わったのだな」

「それだ、大島。第三軍の守備が南に広がったのか、それとも」


 歩四六の初年兵たちは四期の検閲が終わり、教練は第五期に入っている。四期の教練では、今しか出来ないということで水泳と漕艇が集中的に実施され、中島も大島もめでたく一等兵に昇進した。このところ、大島は将校集会所に分遣されていたから、聞き知ったことがあるだろう。

 あたりを見回しながら、大島は小声で告げる。

「第三軍だけでなく、第一方面軍の主力全体が南に再配置されるらしい。国境守備隊の配置には変更なし。空いた所は独立守備隊をはめ込んでいる」

「ほ、ほーぅ」

 篤と中島も小声で頷く。洗濯のために兵営の外に出ることは黙認されていたが、一応は裏門衛兵の視界内にいなければならない。衛兵も初年兵だが、勤務中だから聞こえないに越したことはない。



挿絵(By みてみん)



 第一から第十四まである国境守備隊は重要国境地帯に配置され、まず動くことはない。国守は連隊規模だが、要塞地区では重砲もあるから旅団規模を超える。半数が東部正面にあり、残り半数の半分が北正面にあった。これに対して独立守備隊は鉄道守備が本来任務であったが、実際は関東軍の直轄部隊として運用されており、駐屯地の変更は頻繁だった。第一から第九まであって旅団規模である。

「この間の小隊規模のソ連軍越境だがな、あれは第二軍が会寧に移った直後だぞ」

「大島、あれは脱走でも亡命でもなく、偵察だったというのか」

「第二軍が移動したから第三軍も移動するだろうとソは偵察に来た。ところがどっこい、こっちは動いていない」

「ほかの国境も確かめているのかな」

「そして兵団と兵団の間隙が大きいと見たら、そこにつけ込む」

「つけ込むってどうするんだ。山口、まさか攻めてこないよな」

「兵隊は来ないと思うよ」

「え」

「第二軍の南には朝鮮人が集結しているそうじゃないか」

「あ!」



 歩兵第四六連隊は衛戍地が琿春に変更になった。所属する第一二師団の図們移駐に伴って、前の衛戍地よりさらに南に移動して来た。大島が聞いたとおり、第一方面軍司令部は方面軍全体の配置を変更していた。満朝国境が南に下がって、それだけ満洲国軍の任務は広がる。長白省はまだ不安定で、吉林省以南に軍を集中させる必要があった。それに伴い、第一方面軍の再配置は前倒しとなる。

 満洲防衛教義は今年の春に一応の成案が得られている。朝鮮分離と米国の満州進出も想定の内に入っていた。しかし、いざ現実になると問題が噴出である。まず、朝鮮政府の統治力が皆無だった。政治的には理解できる事由はあるのだが、不穏や不安定を抜けて無政府状態である。長白省内は関知しなくてもいいのだが、朝鮮の動静は無視できなかった。

 一方で、米国が派遣する満州駐屯軍は日本政府が驚くほどの大規模であった。外務省は拙速の派遣を止めて、二年かけて漸増するように頼み込んだぐらいだ。ただ、興安省以西の蒙古防衛を担当してくれるから、関東軍は第二機動軍を北に上げることが出来る。総司令部は、第二機動軍と機動旅団とでなら北東の三江湿地帯からの敵を迎撃、進撃阻止できると判定していた。


 つまり、新満洲防衛教義でも懸案だった北東と西南方面に目途が立ったので、第一方面軍を南にずらすことにしたのだ。東正面の防衛は複郭構想を基礎としており、国境線沿いの永久陣地と要塞、外郭の野戦陣地、内郭の半永久陣地の構築には時間と人手がかかる。工兵や土建業者は永久・半永久陣地で手一杯であり、野戦陣地は兵隊の手で造るしかなかった。

 満洲防衛教義における内郭とは、いかなる場合においても確保し持久にあたる絶対防衛地域であり、その前縁が最終防衛線となる。図們から新京、奉天、大連は内郭に入り、兵站維持のために大連港と大東港、清津港を内包する。満鉄の京図線と連京線は内側とはいえ最終防衛線に間近いから、この二つだけに兵站を頼るのは危うい。さらに内側を走る鉄道線路が別個に必要である。西では連京線の内側を走る奉吉線がそれだ。東は会寧南西の茂山支線の拡張延伸とされたが、まずは長白省の安定が先決であった。



 三人はすすぎを終えると、洗濯物を絞りはじめる。

「堪らんな。日本語で助けてくれとか叫んでるのだろ」

「ああ、そうか。そりゃ堪らんぞ」

「といっても、何から助けるんだ」

「さあ?」

 第二軍が司令部を置いた会寧は、今は満洲長白省とはいえ、数ヶ月前までは朝鮮だったから住民は朝鮮人ばかりである。内鮮一体だったから日本語は話せる。第二軍はつい先日までの大日本帝国臣民を前にしているのだ。


「しかし、大島よ。他所事ではないぞ。ここにも朝鮮人は多い。東寧の倍以上はいる」

「そうなんだよ。しかも、日本統治を嫌って移住してきた者が多いから、むしろ朝鮮国内より危ない」

「危ないって?」

「俺たち日本人が、だよ」

「まさか」

満洲三省の内、吉林省は朝鮮からの移住者が多い。なかでも図們江流域の琿春平野は稲作が可能であり、延吉、図們、琿春では住民の二割が朝鮮出身である。なにしろ図們江の対岸は朝鮮だったのだ。間島とは、昔は図們江の中洲のことだったが、今は広く長白山以北の朝鮮人居住地の意味で使われていた。


「山口、朝鮮人て何人ぐらいいるんだ?」

「ええと、昨年末で朝鮮に二四五〇万、内地に一五〇万、満州や支那に一五〇万てところかな」

「すると今は朝鮮に二六〇〇万人か」

「満州の一五〇万を忘れているよ」

「移住者は満人になるのじゃないのか?」

「昔だったらそうかも知れないが、ここ十数年の移住者はそうはいかない。朝鮮国籍のままだ、民籍を取得しない限りは」

「出稼ぎ扱いか。でも満洲帝国の一部なんだから、すぐにとれるだろう」

「そうもいかないらしい。とりあえずは送還だ。だから朝鮮の人口は二七五〇万人」

「現に大勢いるじゃないか、ここにも」

「皇帝陛下の御慈悲だそうだ」

「えー」



 明治四三年の韓国併合で、それまでの大韓帝国国民は大日本帝国臣民たる朝鮮人となった。日本政府は大韓帝国の戸籍を継承して朝鮮戸籍を作成し、朝鮮総督府の管理下においた。朝鮮戸籍は内地の日本戸籍とは全く別のもので、日本の国籍法や戸籍法は適用されない。日本国籍が認められたのは朝鮮王公族など僅かだ。日本国籍がない朝鮮人が日本人を自称できたのは、同じ大日本帝国臣民であったからなのだ。

 日本人なら、満洲国の民籍を取得すれば日本国籍からの離脱が認められる。しかし、朝鮮戸籍には離脱を認める条項がなかった。法的に国籍離脱ができないのである。満洲国は朝鮮人に対する民籍の発行を拒否した。二重国籍になってしまうし、忠誠がどちらに向くかどうかの前に満洲の国法を適用できない。



 突然、兵営の方から喇叭が聞こえてきた。裏門衛兵が怒鳴り、警笛を鳴らす。

「非常呼集だ!」

「たいへんだ。戻らなきゃ」

「あ、洗濯物はどうする?」

 篤は立ち上がりながら、騒いでる裏門衛兵を見る。

「干野一等兵!」

「はっ」

「頼んだぞ」

 三人は裏門衛兵の待機小屋に洗濯物を放り込むと、走り去る。

「あれ、しまった」

「あとは干すだけだ」

「こら、お前ら!」



 非常呼集は、琿春川周辺に大勢の朝鮮人が集結中であり警備行動をとるというものであった。篤たちの第二中隊は琿春南西の西砲台駅前面の警備を命ぜられた。実弾が配布される。着剣し実弾を込めての行軍ははじめてで、しかも駆け足である。銃の安全子は回してあるが、何が起きるかはわからない。初年兵が大半の中隊は無言で南西へ走る。全員が緊張で汗をかいていた。





挿絵(By みてみん)





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