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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第三章 昭和一七年九月
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新義州


 長白督軍である張学銘の任務は長白省内の満州化である。満洲帝国は日米に倣って軍制を改編中で、長白省軍政長官の張中将は、すなわち長白軍司令官となる。北緯四〇度近傍に満朝の境界を確立し、省内の匪賊を掃討して満人の入植を即す。満人とは満洲民籍を持つ者であり人種や民族での区別はない。農林業だけではなく鉱工業も対象である。張は長白省の省長でもあり、豊富な水力を活用した鉱工業を有望視していた。

 長白省と朝鮮との境界は、西岸の清川江河口と東岸の城川江河口を結ぶ線とされた。地名でいくと安州と興南を結ぶ線で、半島横断線では最も短くおよそ百七十キロである。日米軍制は一個師団の守備正面を十キロから三十キロとしていたが、戦争するわけではない。すでに朝鮮人は北緯三九度以南に退去している筈だから、戦闘が起きるとすれば、相手は朝鮮匪賊だけだ。

 長白軍司令部は、掃討すべき匪賊を、各派合わせて最大で一万二千とみていた。長白軍の戦力は二個騎兵旅団と一個歩兵旅団を主力とし、これに満朝境界線の守備にあたる三個警備大隊を合わせて、およそ三万である。ほかに、平定した満人入植地の治安にあたる保険隊や遊撃隊、すなわち馬賊が二千騎ほどいる。


 長い間、支那では中央政府の警察力が地方まで及ばなかった。村落や村民を守るためには、もっぱら保険隊や遊撃隊と呼ばれる武装騎馬集団と契約する。契約の主体は郷や村の有力者たちである。隊を組織する頭目たちは、有力者が認めた近在の武辺や侠客が多い。隊員の中には賎民や無頼もいて、隊の存在自体が郷村の治安や失業対策にもなっていた。

 日本では馬賊と称されるが、賊ではない。長く続いてきた職業であり商売であった。契約を遵守するためには契約主への忠誠心が必要で、新たな契約を得る信用にもなる。匪賊との戦闘は命がけであり、隊としての秩序を維持するにも、相応の組織力と戦術眼が必要だ。おのずから隊の運営は軍隊式となる。

 大馬賊の頭目は兵団指揮官と同等の能力を有する。日清戦争で日本に敗れた後、混乱する満州では軍隊を組織することも維持することもできなくなった。主要な馬賊団が軍隊に取り込まれ、その頭目は政軍界の要人となった。東三省大元帥の張作霖も、現満洲国務総理の張景恵も、元満洲国軍政部長の馬占山も馬賊の大頭目の出身である。


 長白軍の作戦は単純なものだった。長白省と吉林省の省境を増強した吉林軍で固める。鴨緑江から三個旅団の横隊で東に進み、右翼が定州に達した時点で朝鮮との遮断線の構築に入る。西と満朝境界が固まれば、匪賊を追いながら北東へ進撃する。ここからは森林・山岳の中の進撃となるから、進軍速度は鈍るだろう。

 あとは匪賊の数次第である。少なければ、一気に東岸へ追い落としてもいい。多い場合や合流して一群となった場合は、守勢に有利な地点まで撤退して冬営してもいい。匪賊の基盤を潰して、満州や朝鮮との交通を絶てば、今年の作戦は成功である。

 海岸線については日本や米ソが封鎖を確約していた。満洲帝国としての国威があるから作戦の失敗は許されないが、急ぐ理由は何もない。功を焦って万が一にも西に突破されてはいけない。新義州ではすでに満人農民が耕作を開始しており、その西の安東や大東は米国の進出拠点であった。




挿絵(By みてみん)



 今年五月の大日本帝国の朝鮮分離宣言を、米国は歓迎し、満中ソはじめ各国も好意的に受け取った。分離された朝鮮は併合前の大韓帝国に復され、日本王族であった第二代李王が帝位についた。昌徳院李王垠殿下は方子王妃とともに日本国籍を脱して韓国籍となり、特別船と御召列車で京城府に入る。ほかの王公族や日本で爵位を得ていた貴族らも同行した。両班や儒家、名士らに迎えられて王城である景福宮に入る。その前に立つ朝鮮総督府はすでに朝鮮人官吏だけで日本人はいなかった。

 大韓帝国の最初の仕事は、日本が投下した資本と残していった資産を清算することだった。資料は朝鮮総督府がきっちりと残していった。その内容を熟知する朝鮮人官僚も揃っている。しかし、李王が王宮と政府の人事を発布する前に、事態は動いた。満洲帝国[大清]が属国化を要求してきたのだ。最後通牒であり、断れば戦争である。三十数年前の礼式を記憶している老人たちが鞭打たれて引きずり出される。その証言により独立門が撤去され、迎恩門が新築された。李王は三跪九叩頭の礼を練習する。

 幸いに大清の副使は慈悲深く、李王の懇願は容れられた。国号は朝鮮とされたが、大韓国国制の撤廃に一年間の猶予を与えられた。それまでに旧李朝鮮や大韓帝国の負債を工面することが出来れば、領土の割譲は最低限で済む。さらに一層の譲歩や緩和も得られるだろう。米英ソそれに中国の支援があれば、負債償還の目途はつく筈だ。そして、米英ソ中の支援が得られないわけがない。そう側近は報告し、李王は安堵していた。




 長白軍の作戦会議は、今日は新義州で開かれた。振り出しに戻った形である。先月、張中将はこの新義州を進発したのだ。作戦参謀の加茂大佐が感嘆する。

「西卿閣下、想定外でした。朝鮮は何も約束を守っていない。退くしかありませんでした」

「作戦参謀。例外は常にあるものだが、まさか全くの無為無策、拱手傍観とは驚いたな」


 長白軍が進撃してみると、朝鮮人はほとんど退去していなかった。ふつうに居住し生活している。同行の朝鮮人の官吏が言っても聞かない。朝鮮官吏の依頼で村の中へ銃弾を撃ち込むと、ようやく動揺したようだ。取調べは少々手荒に行なわれた。

 朝鮮官吏は進軍に先んじて、村々を襲撃し略奪するように懇請した。住民は怖れて退去すると言うのだ。満洲国軍が恐れられるのは好ましいことだが、まさか兵隊に略奪をやらせるわけにはいかない。せっかくの近代式軍隊が元の木阿弥となる。保険隊を先行させて略奪にあたらせるしかない。

 ところが、住民の中には中国共産党の残党である共匪が混ざっており、隠し持っていた武器で応戦して来た。そうなると、保険隊も手加減してはいられなくなる。馬賊の本領発揮である。二度の衝突で保険隊に十数名の死傷者が出た。俘虜も五百名を超えると面倒をみきれない。専任の部隊と収容所が必要である。張司令官は進軍停止を命令した。


 共匪対策を担当する副官の張忘実が報告する。

「司令官閣下、あの朝鮮官吏は中国共産党員でした。安州の先も同様の手配がされています。大規模な集結の兆候がみられると、先発の密偵が報告してきました」

「王閣下と電話で話した。京城府に戒厳令が布かれるらしい。しばらく長白軍は動くなといわれた。これから日本の梅津大使と会うそうだ」

「軍事介入ですか」

「わからん。朝鮮が自力で国内を治めきれないのであれば、帝国は介入するしかない。しかし、仲介に入っている米中ソの顔もある。もとより皇帝陛下の心底は計り知れない」


 そこで加茂参謀が立ち上がり、両手を机につけたまま顔をずいっと突き出す。満漢では無礼ととられる仕草だが、張中将は知っているから怒らない。日本人の仕草にはそれぞれ意味がある。

「西卿閣下、南だけに目を奪われてはなりません」

「加茂大佐、西はありえません。東海岸も関係国が封鎖を請け負っていて、北には吉林軍が布陣しているのです」

 副官の張忘実が応える。それが彼の任務だ。

「副官、日本とは軍事同盟を結んでいるが、米英とはそうではない。ソ連は言うまでもない」

「そうですが、外交には口を出せません。戦線を固定して静観するのが良策かと存じます」

 加茂大佐は口を歪めると、いかにも愉快そうに言う。

「副官、長白省内に潜む共匪の兵站が南からだと思うのかね」


 唇を噛んだ張忘実は、さらに臍を噛んだ。満洲帝国が信頼できる同盟国は日本だけなのだ。現に属国としたはずの朝鮮でさえこの有様だ。俺の諜報網は米英をすり抜けさせていないか?





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