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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第三章 昭和一七年九月
23/45

吉林


 吉林城外にある満州第五〇二部隊は夜明け前から喧騒の中にあった。大声はなく物音だけで、低い号令で兵隊が走り回る。営庭の真ん中には飛行機がどんと鎮座していた。その一式指揮連絡機は、何の前ぶれもなく静かに飛来して、ふわりと営庭に着地した。発動機の爆音は聞こえなかったから、かなり手前から切られていたのだろう。

 営舎の隅で週番と衛兵が小声で会話する。

「非常呼集の演習は一ヶ月ぶりか。楽しみだな、今朝は肉入りの味噌汁だ」

「それにしては手が込んでいないか。指揮連絡機はうちの装備にはないぞ」

「それもそうだ。航空兵はいるのに航空機はなかったな」

「おい、営外居住者が登営して来たぞ」

「では、本番か」

 週番と衛兵はさっと離れると所定の位置に戻る。すぐに非常呼集の喇叭が鳴った。



挿絵(By みてみん)



 兵営の一番奥の炊事場では兵長たちが黙々と朝食を作っていた。経理部長から肉を入れろとの指示があったが、昨日の友邦承認記念日のご馳走で使ってしまって豚も鶏もない。烹炊長は渋い顔で鰹節を出す。

「勝男だから出陣にはふさわしい」

「しかし、勝男武士でありますが」

「出汁が効いていいじゃないか、厚く切れ」

 炊事番の兵長たちは聞いてないふりをする。だいたい、兵長が炊事番など聞いたことがない。兵隊の位は二等兵にはじまって、一等兵、上等兵、そして兵長だ。兵長はひと昔前の伍長勤務上等兵にあたり、退役時には下士官となる。その兵長さまが、機動連隊では、掃除、炊事、厩番などの使役に使われていた。

 編制直後の機動連隊では、使役も衛兵勤務も不寝番も最下級の伍長があたっていたが、さすがに不満が募る。隊員が訓練に専念するにも、軍紀や士気を保つにも支援の兵が必要である。連隊長の波須美大佐の要請が承認されたのは二月だったが、すぐに出動があって、実際に兵長五〇名が配属されたのは五月に入ってからだ。


 集会室には機動第二連隊の幹部が集合していた。連隊本部から波須美連隊長を筆頭に、連隊附の井上少佐、連隊副官の大上大尉、経理部長の折目主計中尉、衛生部長の酒巻軍医中尉。実働部隊は第一中隊長の水田大尉と中隊附の少尉が三名、第二中隊長の日野大尉と中隊附の少尉が三名、第三中隊長の石居大尉と中隊附の少尉が三名である。総勢一七名の中には小山勇吉少尉もいた。

 波須美大佐が決定事項を復唱する。

「出動は第一中隊を第一陣、第二中隊を第二陣とする。第三中隊は兵営で待機、留守隊長は井上少佐」

 続いて、大上大尉が要領を述べる。

「出撃拠点は通化の陸軍飛行場。第一中隊は〇七三〇に吉林飛行場を離陸、第二中隊の離陸は〇九〇〇。装備は一号。通化到着後、各個に作戦会議を行なう。以上、解散」

「「はっ」」

 第一中隊、第二中隊の士官らは部屋を駆け出し、それぞれの中隊に向かう。留守隊長は連隊長に話しかける。

「連隊長、やはり出られますか」

「出る。向こうの縄張りに出張るんだ、仁義は通さんとな。他の者には無理だ」

「そうですね」



 待機といっても、第三中隊がのんびりできるわけではない。小山少尉は一個小隊三九名を率いて、吉林飛行場の警備を命じられた。飛行場はすぐ近くで、京図線の線路を越えた向こう側にある。小隊は通常装備に身を固めて点呼を終えると、小山を先頭に駆け足で営門を出る。朝食はまだだが文句はない。軍隊の任務に貴賤はないが、同じ飯抜きなら、穴掘りより歩哨の方がずっといい。

 上空からは遠く爆音が聞こえてくる。多数だから第一中隊を運ぶ輸送機だろう。吉林飛行場は新京に司令部をおく第二航空師団の管轄下にあった。予備飛行場ではなく不時着場の扱いだから、分隊規模の分遣隊しかいない。衛兵に申告するまでもなく、2階建ての管制小屋から曹長が飛び出して来た。

「第二二四飛行場中隊の落合曹長であります。ご苦労様であります」

「機動第二連隊第三中隊の小山少尉、一個小隊三九名、連隊命令により警備支援に来た。航空兵出身が二名いる。よしなに」

「おお、ありがたくあります。無線を動かすと、もう半分も残りませんで」

 小山少尉は答礼だけして、あとは班長らに任せる。


 もともと小山は中隊附であって小隊長というわけではない。機動連隊は最小単位が隊員六名の組で、二つの組で班、三つの班で一個小隊、三個小隊で一個中隊となっている。中隊長から上は建制であるが、必ずしも小隊単位の作戦をとらないから小隊長は建制ではない。

 少数精鋭の班または組が作戦単位となる方が多く、班長の准尉または組長の曹長が指揮を執る。中隊附の士官がつくかどうか、少隊長として指揮を執るかどうかは作戦ごとに決められた。

 小山少尉は落合曹長と班長らの打ち合わせを聞いているだけで、口は出さない。時々、班長がこちらを向くので、頷いたり首を振ったりしてやる。五分ほどで終わり、班長と組長は任務と要領を全員に説明する。質疑応答が終わると、最後に小山少尉が宣言する。

「これより小隊は吉林飛行場の警備と業務支援を開始する。分担と要領は班長の説明どおり。小山はこの管制塔にある。以上、かかれ!」

「「はっ」」


 小隊の各組が任務に散っていくと、小山は飛行場の落合曹長に聞く。

「夜明け前に指揮連絡機が飛び込んで来たのですが、何かわかりますか」

 曹長は小山の顔を見ながら、慎重に答える。

「あの一式指連は総司令部直轄の機体でありまして」

「この飛行場があるのに何故使わなかったのでしょう」

「あっ、では、あの、作戦参謀の少佐殿でしょう」

「そう、その参謀少佐ですよ」

 曹長を見つめる小山の視線は鋭い。曹長は観念した。

「実は、あの参謀少佐殿は・・」



 小山と同じ中隊附の尾崎少尉は直立して、一式指連の機長と関東軍参謀少佐のやり取りを拝聴していた。後ろには一個小隊三九名がずらりと並んでいる。いずれも朝食抜きだから機嫌は好くない。塹壕掘りの装備を指示されたが、何をやるのかまだ決まらない。持っている十字鍬や大円匙は肩より高く掲げられていて、さながら一揆の有様だ。

 参謀飾緒をつけた少佐は肩を怒らせて、機長を問い詰めている。

「一式指揮連絡機は短距離発着機だろう、飛ばせ」

「少佐殿、飛行機は真っ直ぐ上には昇らないのであります。斜め上に上がっていくのであります」

「そんなことはわかっとる。無風でも六十メートルで充分とある。飛ばせ」

「少佐殿、上昇中途で機体が営門に接触します。主翼ならばそれまでです」

「なぜ、こんなことになった」

「飛行計画は飛行場への着陸でして、変更されたのは少佐殿です」

「もういい。わかった、その跳躍台を造れ」

 ようやく機長の中尉が振り向いて言った。

「尾崎少尉、お聞きのとおりだ」

「はい。第三中隊尾崎小隊は跳躍台を造成します。大坂班長」

「はっ。営門の高さは三メートル五百、跳躍台の傾斜は九度、必要な土量は・・」

 工兵の大坂准尉は、他の班長や組長に任務と要領を説明する。もっこを担いで跳躍台の造成が始まった。


 使役兵もいるから一時間もあれば終わるのではないかと、参謀少佐も最初はのんびりとかまえていた。しかし、出陣する中隊の集合、連隊長訓示などがあって、作業はたびたび中断される。その都度、営庭を片付けて明け渡さねばならない。出陣の儀式は別格であるから参謀少佐殿も否はない。

 第一中隊が出発していくと、朝食になった。参謀少佐は井上留守隊長と一緒に憲兵隊からの迎えの車に乗って市街まで出掛ける。吉林憲兵隊長が朝食を饗応したいというのだ。

 一式指揮連絡機の機長は、将校集会室で食事をもらうと機に戻って来た。なにやら営門のあたりが賑やかなので、見物に行く。

「どうした、准尉。なにごとだ」

「あっ、中尉殿。営門を切断して機体を外に押し出します。その方が早いです」

「あはは。ありがたいが無用だ。これぐらいは飛び越えて見せるよ、跳躍台がなくてもな」

「ですが中尉殿。風が吹き始めるのは昼過ぎです」

「そうか、それはいい」


 少し離れたところで尾崎少尉は石居大尉に声をかける。

「中隊長殿、よろしいのでありますか」

「なにがだ、尾崎少尉」

「このままでは参謀少佐殿が戻られるのは夕方になりますが」

「そうだよ。何か不都合があるかね」

「え、え」

「吉林から通化までは二百四十キロ、もう作戦会議も終る頃だろう」

「は、はい。そうですね」

「全く問題はない」

「そうであります」





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