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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
間章 米国参戦
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一 戦略爆撃


 一九四二年六月、米国の四発爆撃機B17E二七機がグレートブリテン島中部の英空軍基地に着陸した。米国陸軍航空隊第8航空軍の先遣隊、第92爆撃グループである。翌々日には第93爆撃グループのB24D十八機が到着した。月末にはB17とB24合わせて百機を超えたが、出撃はまだ先だ。機体と乗員の員数は揃ったが、搭乗員の練度が足りなかった。初めての欧州の空だ、気象条件や地理にも慣熟しなければならない。何より、独空軍の迎撃に対抗する防護機銃の銃手たちの訓練不足は明らかだった。

 第8航空軍司令官のスパーツ少将は、爆撃航空団司令イーカー准将の進言を入れて、初戦を八月中旬とした。本国の陸軍航空隊司令官アーノルド中将も承認した。初戦は勝利で飾らなければならない。参戦のその月に空軍を派遣できたのだ。政治的には十分であろう。出撃を急いで無駄に隊員を死なせることがあってはならない。


 米国の指揮官たちは足繁く英空軍を訪れ、英国側も助言を惜しまなかった。何と言っても英空軍は一九三九年からドイツ本土爆撃を実行してきた。一九四〇年のバトルオブブリテンでは独空軍の全力攻撃を四ヵ月に渡って凌ぎ、遂にねじ伏せた。独空軍機だけでなくドイツ本土の防空網に関しても三年間の蓄積があるのだ。それに、パスファンダーや電波誘導システムなど見るべきものも多い。大先輩に聞くことは多かった。

 護衛戦闘機部隊である第31戦闘飛行連隊は、米国製のP40「ウォーホーク」の運用を中止し、英国製のスーパーマリン「スピットファイア」へ転換することになった。そのせいで、自前の護衛戦闘機は初戦に間に合わないがやむを得ない。しばらくは英空軍が護衛を出してくれるという。連日の猛訓練によって第8航空軍の練度は上がり、八月には初出撃の見込みが立った。



 一九三九年一二月の独キール軍港爆撃行において大損害を受けて以来、英空軍は昼間爆撃をやめて夜間爆撃だけを実施していた。それは、ドイツ本土まで長躯できる護衛戦闘機がなかったこと、爆撃機に搭載されている7.7ミリ機銃だけでは不安があること、そして本国爆撃航空団司令官のハリス中将の持論である『地域徹底破壊』を達成するには夜間爆撃で十分であったからである。

 英空軍は先の欧州大戦末期に陸軍から独立して英国王立空軍となった。そして、一九三〇年頃から基本戦略を『戦略爆撃』とする方向で検討してきた。敵国の産業基盤を空襲で破壊して継戦能力を奪い、恐怖感を与えて厭戦気分を増長させる。まさに都市無差別爆撃であった。

 それは、独立空軍だけに考案できる戦略だった。陸軍の一部である米国の航空隊や地上軍直協に特化した独空軍には考えもつかない。米国第8航空軍も英空軍から夜間爆撃を検討するように助言されたが、スパーツ少将は昼間爆撃でやることに決めていた。

 米国爆撃機の防備機銃は12.7ミリであり、威力は大きく装備数も多い。爆弾搭載量は英軍機に劣るが命中率によって補える。英国にも秘密の新鋭の精密照準器があった。ピンポイントの精密爆撃や防御火力は昼間爆撃においてこそ活きてくる。それに、敵軍事施設だけを狙う「点」の攻撃と違って、無差別に「面」を爆撃することは、戦争とはいえ不健全な臭いがした。


 長距離護衛戦闘機の不備は、重武装高速爆撃機の編隊ならば敵戦闘機の迎撃を無効化できるという説から来ていた。その影響は米国において顕著だった。最初に予定していたP40は時速五五〇キロ、航続八百キロで、英空軍のスピットファイアの時速六〇〇、航続千二百に遠く及ばなかった。

 ほかの現用機ではP39「エアラコブラ」も航続距離は千キロ程度だった。双発戦闘機のP38「ライトニング」だけが時速六六〇、航続千七百超で、唯一随伴可能と思われた。しかし、米英上層部の協定で、P38は北極海方面と地中海方面での配備が優先されている。

 スパーツもイーカーも知らなかったが、近くの基地には米国製の戦闘機があった。時速六二〇キロ、そして航続距離は千二百キロ超。英空軍の発注に応じて新興のノースアメリカン社が開発したもので「マスタング」と呼ばれていた。英空軍は上昇能力に劣るマスタングを高速を生かした偵察機や戦術爆撃機として活用しようと考えていた。もちろん、米国陸軍航空隊では採用されていない。



 初出撃の日には、ロンドン駐在の米国陸軍航空隊の関係者も集まった。十数ヶ月も前から米英間の連絡と調整にあたって来たから、今日の感慨は深い。ずっと英国人特有の性格に泣かされてきたのだ。軍務であるから我慢してきたが、ようやく報われるというものだ。

 トーマス・ヒスコック少佐もその一人だった。英国男性にはついていけないところが多々あったが、女性秘書の献身に励まされて両国の協力に邁進して来た。戦闘飛行連隊の機材を、英国テストパイロットの意見を容れて、P40からスピットファイアに転換させたのもその一つである。


 一九四二年八月一二日、一二機のB17Eが基地を飛び立ち、フランスに向かった。編隊の上空には英空軍のスピットファイア戦闘機二四機があった。目標はセーヌ川河口東部、ルーアン市郊外の鉄道操車場だ。敵機の迎撃はなく、無事に任務を完了して全機が帰還した。その夜、基地では盛大なパーティが催された。

 初戦のあと、八月中にもう八回の出撃があった。しかし、独戦闘機の迎撃はない。遠くに機影を見ることはあるが、攻撃は受けなかった。損害は皆無で、そして戦果は大きい。米国陸軍航空隊第8航空軍は昼間爆撃行に自信を深めていた。



 九月になって間もなく、第8航空軍司令官に大統領からの電報が入った。一一月の中間選挙に向けて戦果を期待するというものであった。スパーツ少将には、百機出撃での大戦果が楽観できた。






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