国境
日満議定書により満洲に駐留する関東軍の総司令部は首都の新京にあった。国境東正面に第一方面軍を、北正面と西正面に第二方面軍を置いている。ほかに民間誘導と後方確保のために奉天に関東防衛軍があり、機動防御のための第一機甲軍と第二機甲軍を整備中である。再来年に対ソ防備が完結した時、米国機甲軍は南正面を担当することになっていた。
第一方面軍は牡丹江に司令部をおいて、配下に第二軍、第三軍、第五軍、第二〇軍と方面軍直轄部隊を持っていた。このうち第三軍は東正面の中央を受け持つ。主力は第九師団と第一二師団で、ほかに六つの野戦重砲兵連隊や多くの重砲、山砲、臼砲、速射砲の大隊があった。春までは戦車連隊も三個あったが、機甲軍編成のためにすべて引き上げられた。
東正面防衛の中心は浜綏線の綏芬河駅である。同一軌道でそのままソ連領内のウラジオストックへと行ける。ソ連軍にとってシベリア鉄道に直結する綏芬河は、北正面の孫呉と等しく最重要であった。もちろん戦争になれば鉄道は真っ先に破壊される。無傷の鉄路を侵攻軍に渡すことはない。しかし、鉄道が敷設された地勢は変らない。周辺では最も平坦で堅固な地盤だということだ。それに、鉄道の野戦修復は鉄橋架設を含めてもそれほど困難な作業ではない。
最重要であるから綏芬河の近郊に第三軍は司令部を置いていた。第一方面軍司令部がある牡丹江も同じ浜綏線にある。これを抜かれると次は哈爾浜であり、孫呉からの浜北線と合流されて敵の兵站線は太くなる。改訂された満洲防衛計画でも綏芬河は最重要防衛拠点であった。第二国境守備隊が駐屯している。
綏芬河駅から四〇キロ南に東寧駅がある。二つの駅を結ぶ綏寧線は国境の山地の背後を回るように敷設されている。駅の北にある川が綏芬河で、ソ連領へと流れてウラジオストックで日本海へと出る。第一国境守備隊が駐屯する東寧は国境の町であり、万を超える将兵が起居する軍都でもあった。
東寧から南は千メートル級の山地が続く。向かいのソ連領にも同じくらいのオーストラヤ山がある。この山を東に抜ければラズドリノエで、ヴォロシロフとウラジオストックの中間地点である。何重もの陣地とトーチカが敷かれていた。山に篭っているのは一個師団だが、背後にも二重の陣地がある。かつての東部決戦構想の主攻線であり、第一二師団の主力は向かい合う老黒山にあった。
歩兵第四六連隊の衛戍地は石門子である。東寧と老黒山の中間辺りで、第三軍直轄の重砲兵部隊も配置されていた。歩四六は二個大隊を老黒山に入れており、石門子に常時あるのは連隊本部と一個大隊だ。北方連隊への装備改変と慣熟訓練を交代で行なっていた。新兵の教練もここで行なわれている。
山口篤たち初年兵も満州に来て一ヶ月が経った。北方連隊の制式である九九式短小銃への転換訓練を済ますと、交代で勤務に出される。石門子の兵営を出て山中を南へ三〇キロほど歩くと警備拠点の白刀山子である。長白山脈の端だが、山地は途切れがちで起伏の多い地形だった。
第二中隊は古参曹長の先導で軍道を進む。疎林の所を選んでいくつも作られており、今日は一番坂の多い道だった。この辺りも雨量は少なく乾燥しているから、磨き上げられた中隊長の長靴もすぐにほこりで真っ白になった。
拠点に着くと小隊ごとに営舎が割り振られ、交代で警備勤務につく。篤の小隊は、午後一〇時から朝六時までの夜番だった。営舎の中には二〇畳ほどの部屋が四つあり、三つの分隊と指揮班で分かれる。部屋の掃除を済ませると、食事の仕度にかかる。
営舎の裏手に作られた炊事場では各分隊の初年兵が集まって飯を炊く。夕飯と夜食用に、戦友の分も合わせて二人分の握り飯をつくる。焼いた味噌玉を溶かして汁もつくる。副食は牛缶や鯨缶が配られてあり、それが営外勤務の楽しみだった。
「思ったよりきつくはないな。ま、楽でもないが」
「聞いたか。東寧要塞の中には風呂場があって、炊事場も電熱だそうだ。暖房もある」
「そりゃ地下要塞だ。薪炭はまずかろう。冷房はあるかな」
「国境守備隊は陣地で死ぬのが任務だからな」
「ああ、俺たちは作戦次第で移動も撤退もできる」
初年兵だけ集まれる機会は少ない。教練の間は教官や助教の古参下士官がつくし、兵営に引き上げると隣は古兵の寝台だ。いつ制裁がはじまるかと緊張が続いていたが、聞いてたよりはずっと少なかった。
起居の規律や命令に関しては完璧が求められ、特に兵器・弾薬に関する失敗に対して容赦はない。懲罰は団体責任だ。ひとりのしくじりが部隊全体の危機につながるからである。しかし、個人的な苛めや制裁は少なかった。たしかに大村の内務班よりは楽であり、警備勤務がはじまると制裁はなくなった。
警備勤務中は実弾が配られる。取り扱いには厳しく、銃口の向きや薬盒の開閉、復唱の声などの非違不良に対しては、即座に軍靴での蹴りが跳んできた。やられるのは下半身で、銃は撃てるが行軍が不自由になる。そして営舎に帰り実弾を返納すると止む。初年兵たちは緊張と弛緩の使い分けを体で会得していく。
小隊は早めに夕飯を済ますと仮眠する。八時に起きて仕度を整える。夜目に慣れるために灯りはつけない。今日の警備区域は白刀山子の拠点から三キロ、山を一つ越えたところだった。両側から山地が逼った狭い谷がソ連との国境で、雨が降ると川になるが、狭いから渡れないことはない。
国境から二百メートルほど下がって第二線の陣地がある。分隊ごとに、九九式軽機関銃を中心に散兵を配置する。軽機は弾薬を置いた屋根つきの掩体壕の近くに置く。ほかはむき出しの塹壕だ。各員は草葉をどけて円匙で掘り返す。手榴弾や雑嚢を周りに置き、銃を構えてみる。分隊長の軍曹が点検して回り、円匙で叩いて不良を指摘する。
壕の中の分隊配置が一段落すると、交代で交通壕の掃除を行なう。警備勤務といっても初年兵の教育も兼ねているから、交代ごとに陣地線は変わった。数か月分の草葉をどかさないと、走ることもできない。枯葉枯枝は多く、ぎょっとするほど大きな音がする。周囲は、ソ連側も含めて真っ暗である。
一時間ほど経つと、また分隊長が来て兵の勤務を確認する。呼ばれない限りは振り向いてはいけない。ずっと前方の闇を睨み続ける。軍曹の点検に合格すれば煙草休憩をもらえることもある。篤は銃を抱えて頭だけを出して前方を睨んでいた。体の筋肉は弛緩させ、時々左右のこぶしを握る。
五分ほど眺めた後、軍曹が言う。
「山口一等兵、腰から下も休まるように考えてみろ」
「はっ、分隊長どの。これでどうでありますか」
「前よりはいい。そこから伏せ射ちに入ってみろ」
「はっ」
篤は伏せ射ちの姿勢をとって、照尺を通して前方を見る。
「分隊長どの、着剣してもよろしいですか」
「どうした」
「正面の山が動きました」
「待て」
軍曹は頭を出して陣地の外を下から前方へと見上げ、また見下ろす。たしかにソ連側の谷のすぐ上で動きがある。そう思うと、草葉を踏みしだく音も聞こえた。風向きを確かめた後、決心を声にする。
「分隊っ、着剣。弾込め。撃つなよ」
分隊の布陣に沿って緊張が走った。カチャ、カシャンと、実弾を装填して遊底を閉じる金属音が一斉に響く。向こうに聞こえない筈がない。軍曹は大声を出していた。
「伝令っ。小隊長へ。国境線に武装ソ連兵およそ十名。越境を企図すると認む。復唱」
小隊長が駆けつけた時、白旗をもったソ連兵が現れた。