遼西
通遼は蒙古の入り口である。旧の行政区分でいうと興安省あるいは興安南省にあたり、旗と県を含む満蒙漢混在の地だ。漢人に放荒されてから四十年ほどだが、西遼河沿いはすでに農耕地で大豆、粟はもちろん、水田もあった。満洲帝国[大清]皇帝は熱河省と共に興安省も蒙古の範囲と定めたが、国防上の事由で北西部のソ連・モンゴル国境沿いは帝国直轄とされている。
通遼の市街は西遼河の南にあり、穀物、毛皮、馬匹など周辺の産物の集積地である。商店の看板は支那語、蒙古語に混ざって西蔵語の表記もあり、回数は減ったとはいえ、駱駝隊の来訪も見られる。河を離れると、蒙古人たちが牛馬羊を放牧する鋒鋩たる草原が続く。北岸から北へ行くと、そこは米国人の入居地だった。
日曜日の朝はゆっくり起きて、おめかしをしたら一家揃って教会に行く。それから、近在の皆が集まるクラブかレストランで昼食をとる。年頃の男子と女子は教会のあと、いつのまにか家族とはぐれる。ペアになった男女は近くの林までハイキングをして、女子手製のランチをいただく。大人は気づかないふりをする。それが、米国人の日曜日の過ごし方である。通遼の北十数キロの所には、教会を中心にした米国人の町が出来上がっていた。
そのレストランは、内装とは逆に英国料理は出さない。まずいレストランは論外だからだ。教会から戻って来たオーナーシェフは、料理を端から確認していた。日曜の昼食は朝食を兼ねるのが通例だから、オーダーを受けたらすぐに出さねばならない。料理は最後の火を入れるだけまでに仕上がっていた。緊張した顔つきの使用人たちは、オーナーがソースと火加減をチェックするのを見守る。
店の最上席には、いつもの客が陣取っていた。この辺りで一番大きい牧場主の夫婦、町長夫妻、米陸軍分遣隊の中佐、銃器店の主人の六人で、牧師が座るとこの町の名士たちが揃う。今日のゲストは、五十過ぎの老嬢だ。東欧系少女の給仕を受けて、ワインを乾杯すると昼の正餐のはじまりだった。
詰襟の青い軍服を着た中佐が赤らんだ顔で老嬢に話しかける。
「ベネディクト博士、日本人は白人に間違いないと言われるのか」
「いえ、日本人の祖先である縄文人は白人であろうと言ってます」
「しかし、ジョーモン人が白人なら、その子孫も白人になる。そうでしょう」
「そうとは限りませんよ。縄文人と弥生人との混血が日本人なのです。例えば、白人と黒人の間に生まれた子供はどうかしら。さらにその子供は?」
「ああ。ま、父親がどちらかでしょうね。しかし、その、白人らしさというものがある。私には日本人に白人らしさがあるとは思えない」
そう言うと、中佐はグラスを飲み干した。ワインのボトルを持って給仕の少女が微笑む。
「わたしは文化人類学ですので、容姿や血統は専門外です。日本人の文化や行動規範は特徴的ですが、それは中佐の考えられる白人らしさの側にはないようですね」
「そうでしょう。そうですとも」
町長夫人が質問する。
「じゃあ中佐が思われる日本人らしさは何かしら」
全員に見つめられて、中佐は思いつくことを口にする。
「個人と集団の関わりじゃないかな。わたしはフィリピンスカウトの練成に長く関わっていた。フィリピン人は個人の能力が集団の能力に表れる。団体競技を行なうと、強い個人が多いチームが勝利する。日本にも行って学生や民間、軍隊のスポーツを見たが、必ずしも強く上手な選手が多い方が勝つ訳ではない」
そう言って、ワインを一口飲む。驚いたことに、ベネディクト博士は満面の笑みだった。
「素晴らしいわ、中佐、非常に良い着眼です」
「そ、そうですか」
「個人だけでなく集団にも着目されたこと、比較対象に東洋人の中でも南方島嶼のフィリピン人を選ばれたこと。ふつうの人には思いつけません」
「さすがは選ばれた駐屯軍の隊長さん、頼もしいですわ」
博士が持ち上げると、町長夫人もすかさず褒める。中佐は上機嫌になってグラスを空ける。
「では、もう少し研究してみましょう。うちは騎兵ですので、集団戦の中でも個人の戦技が必要とされるのです。各国の競技を比較してきました。博士、何かアドバイスをいただけますか?」
「中佐、是非とも騎馬戦や棒倒しを研究してくださいな」
「え」
メインが運ばれてきて会話は料理に移り、それから町や周辺の話となった。牧場主は夫婦共にハンガリー系だという。
「祖父母から故郷のプスタの話ばかり聞いて育ったので、成功したら牧場をやるのが夢だったのですよ。ここは気候も条件も良い。牛より羊の方が多いですがね」
「プスタと言えばホルトバージ大平原ですね、ナイマンさん」
「はい、博士。幸いに次男が理解してくれまして、牧童頭をやってくれてます。祖父さんの形見のチコーシュを着てね」
「ベネディクトさん、うちに来てくださいな。母に習ったシチューを食べていただきたいわ。あなた」
「うん。次の日曜日はうちで昼食をどうでしょう。親類が集まるのです。みなさんもどうぞ」
「グヤーシュですね、行きます。楽しみですわ」
「おお、ノイマン牧場のロデオか。行きますぞ。うちの若いものにも見せたいものだ」
「中佐。どうぞ、お連れください」
デザートを食べ終わる頃には次週の予定が出来上がっていた。ナイマンはハンガリー読みで、英語読みならノイマンだった。
町にはサロンもあった。バーと食堂と旅館を兼ねている。さらに娼館と賭場も兼ねたいところだが、満洲では別の鑑札が必要だ。通遼市街まで出れば間に合うし、テーブルでのカード遊びぐらいはとやかく言われない。この町では健全なサロンで通そうと、若い頃は探偵社にいた店主は考えていた。
独り身の男たちは勝手気儘なこのサロンに集う。スイングドアを両手で開いて、中を見渡し、手ごろなテーブルに着く。ボーイは居ないからテーブルに着く前にカウンターで、店主にオーダーを告げる。店主は無愛想に頷くが、実は、客の武装を見計らっていた。
賑やかな集団が店に入って来た。店主の顔がほころぶ。お得意様だ。客はGN幹部御一行で、金遣いがいい。グレートノーザン鉄道は米国の満州進出そのものであった。店主はカウンターを飛び出して、酔いつぶれていた初老の男を引き剥がすとテーブルをきれいに拭き上げる。
GN一行はいつもビールで乾杯する。店にはラガーとエールとスタウトがあった。チーズやソーセージは北の東欧系移民の農場から仕入れている。
「うん、クシロやダイトーでは見つからない味だ。これだけでも毎週来る理由には十分」
「GN満航が大東直行便を始める。奉天駅南西の立体交差も完成間近だ。工事機材は大東、大蓮、奉天、新京から直送される。N四五の本番だ」
カウンターで聞いていた店主は興奮する。ついにはじまる。西へ西へと鉄路一万キロの大工事だ、集まる労働者は十万を超えるだろう。そのうちの中の上、米国人技師や監督がこの先の顧客になる。この店はほんの手始め、これから主要駅ごとに店を出して行くのだ。
幹部の一人がカウンターを向いて声をかけた。
「マクロードさん、ご希望は通りました。最初の隊商列車に店を出してもらいます、工事列車にもね」
「ありがたい、エヴァンズさん。何かお礼を」
「いや、うちの会社は厳しいのですよ」
エヴァンズというその幹部は南軍のエンブレムが着いた灰色のシャツとズボンを着ていた。そして、腰にはコルトSAA拳銃を下げている。銃身は短めだ。おそらく、ウィンチェスターライフルと弾丸が互換できる四四口径だろう。
「じゃ、これはどうです。きっと似合いますよ」
店主はカウンターの下から木箱を出すと、中を見せる。白い象牙の飾りグリップだった。ピンカートンのロゴが入っている。
「これはいい。『眠ることはない』はボスの口癖だ。いただきますよ」
エヴァンズは気に入ったようだ。クシロやダイトーと違って拳銃は必需品だった。ここはフロンティアの始まりなのだ。