憲兵隊
傾いた陽射しを左手に受けながら、速度を落とした特別急行富士は東京駅のホームに入る。今月の初めに関門トンネルが開通したので、それまでの下関から長崎までに延長された。長崎上海間の定期船発着に合わせるから、今のところ週に三便である。
列車の中は一気に騒々しくなった。三等客車の通路側に乗っていた実は、隣の窓側席の中学生の荷物を網棚から降ろしてやる。リュックザックには住所と名前が書かれてあった。
「山口さん、ありがとう」
「話は面白かったよ、俊三君」
「ごきげんよう」
リュックを背負った宮垣少年は、降り立ったホームを階段に向けて走り去った。
実はゆっくりと歩く。憲兵司令部は駅前であるが、直行はしない。寝台車がとれず長崎から椅子席でまる一昼夜、着たきりの国民服はくたくたである。まず、京浜線に乗って大井町まで行き、篤の下宿に寄る。五年の付き合いのおかみさんとは遠慮はない。篤の近況を伝え、しばらく世間話に付き合う。土産の干物を渡して、着物の洗濯を頼んだ。それから官舎に戻って軍服に着替えると司令部に出勤する。
憲兵司令部の中は喧騒に満ちていた。東京憲兵隊と同居しているから、定時と直交代が重なるこの時間帯は人で溢れる。人員も増えていた。去年に比べるとおよそ二倍か。憲兵隊は大きく増強された。それは支那事変の戦訓によるものだった。
軍刀を押さえて人波を渡った実は、特務課長の部屋に入った。憲兵司令部の特務課は軍需生産協力が主務で、工場内の防諜や怠業阻止を担当しているが、他の課が担当しない雑多な業務も回ってくる。特務という名前がそうさせるのだろう。今回の出張もそうだった。
「憲兵中尉山口実、ただいま戻りました」
「ご苦労。騒がしいだろう、また増えたよ」
課長の小坂憲兵少佐は書類綴りを閉じると、笑った。
「報告書は読んだ。あれでいい」
「はい」
実は乗車する前に、長崎地区憲兵隊から画像電送で報告書を送っていた。画像電送は電話よりも先に発明されていたが、なかなか実用化には至らなかった。日本では、昭和三年に日本電気が画期的な技術開発を行なって新聞社に広まった。逓信省が『写真電報』を一般に提供している。
陸軍では、受信装置、発信装置、暗号復号装置を一体化して運用している。電話回線を数本使用することで鮮明な画像を送受信できた。つまり、長崎まで出張しても書類を持ち帰る必要はない。通常の書類は軍事郵便で、機密文書は暗号電送で送れるようになったからだ。
「さて。今夜は空いてるかね」
「予定はありません」
「班長と一緒に来てくれ。近いうちに第四課ができる。中尉には帝大聴講生の話も出ている」
一気に言われて実の頭は追いつかない。返事をするのがやっとだ。
「はっ」
その夜、特務課第二班長の太田憲兵大尉に連れて行かれたのは、裏通りの小さな民家だった。中に入ると小さな老婆が出て来て部屋に案内される。すでに小坂課長は一人の陸軍大尉を相手に飲んでいた。
「中尉ははじめてだな。兵務局防衛課の山尾大尉だ」
実は挨拶をする。勅令憲兵と呼ばれる国内の憲兵隊は陸軍大臣直属であり、任務や作戦に関しては陸軍大臣から命令を受ける。司令部と部課の組織を持つが、装備調達や予算作成までするわけではない。それらの兵務兵事を主務するのは陸軍省兵務局の防衛課である。
「ま、話を聞いてくれ」
「山口中尉、支那事変は早期に終結すると思われていた」
その通りです、と実は頷く。事変勃発の翌月に北京入城、一〇月に上海占領、一二月には首都南京を落して、半年足らずで大勢は決したからだ。ところが、五回を超える日支の和平交渉は不調と決裂に終始し、戦線は拡大する一方となった。
昭和一六年一二月の事変終結までに編制された兵団は、師団だけでも三二個にのぼる。事変前の三倍以上の兵力を充足させるために、多くの兵士が動員された。現役服務年限の延長が決定され、兵役対象が甲種だけから乙・丙種にまで広がる。現役兵の徴集は三倍近くまでに増え、予備役・補充役の召集も現役と同規模までになった。すなわち、およそ二百万の兵士の半数が現役兵で、残り半数が応召兵である。
陸軍省の推計では兵隊の召集期間の平均は三年六ヶ月を超える。在陣の長期化によって、軍紀の弛緩が目立つようにもなった。前線の兵隊を交代させることが最善だが、なにしろ二倍、三倍に増大した将兵の補充だけで手一杯なのが現実である。部隊を挙げての凱旋交代は望めず、任期満了の兵は少数ずつ、ぱらぱらと帰還することになった。
結局、支那事変の終結までには四年五ヵ月を要した。国運を賭けた日清戦争が八ヶ月、日露戦争が一年七ヶ月であるから、異常に長い。山尾大尉の説明に、実は頷くばかりだ。
「欧州大戦は四年三ヵ月、シベリア出兵が四年二ヶ月だが、いずれも局地戦で動員した兵力はそう多くない」
「つまり、支那事変は帝国にとって未曾有の大戦争だったわけだ」
小坂課長が、そう引き取る。
「今、省部をあげて支那事変の戦訓を調査しておりますが、兵務局でも危機感を覚えています」
「すると、作戦でも装備でもない」
「ほかでもありません。兵隊です」
兵務局の危機感とは兵隊の質の低下であった。それは憲兵隊の任務とも無関係ではない。日露戦争と支那事変の出征兵力数と戦地犯罪や非違の発生数を比較すれば、支那事変のそれは異常に多く、対上官犯や逃亡犯の発生率は五倍を超えた。長期にわたる大量動員によって兵隊の質が低下したのは間違いない。
さっきから実の表情を見つめていた太田大尉が言う。
「山口中尉、発言していいぞ」
ふつうの兵隊と違って、憲兵は一人一人が陸軍大臣に直属している。憲兵伍長以上は陸軍司法警察官の身分を持ち、独立して捜査権を執行する権限もある。軍隊としての階級はあるが、司法警察官としては全員が同格なのである。
「所感があれば頼む」と山尾大尉も促す。
「はい。原因ですが大量動員と長期在陣だけとは思えません」
「犯罪の思想背景については調べているし、現役兵と応召兵との比較も進めておるが」
「対上官犯については、上官の階級と立場や階級差でも相違があるかと」
「なるほど」
「それと任務です。会戦と警備では兵隊のおかれる状況は違う」
全員が実を見つめた。
「例の雑誌『兵隊』ですが、兵隊の任務と投稿内容に連関があると見出せます。また、国府軍相手と八路軍相手でも違うようです」
「それは、兵隊の感情を言っているのか?」
「背景に思想がなく、病気でもないとしたら、残る要素の中で感情は重要になります」
三人は目を合わせる。山尾大尉と太田大尉が頷くと、小坂課長が言った。
「存分に研究してもらおう。来月から第四課附きだ」
憲兵隊司令部には、警務・教育・編成を担当する第一課、特高業務の第二課、防諜・外事の第三課があった。今回、特務課を第四課に昇格させ、新しく交通運輸の第三班、銃後全般の第四班をおくという。つまり広く軍の後方を担当することになる。課附きであれば、第四課の作戦立案と全体調整が任務となる。実の期待は膨らむ。
作戦参謀になることを夢見て、実は軍人になったが道は遠かった。佐官では戦争全体は観れない。将官まで進めば別だろうが、数十年も先の話だ。戦訓調査や戦史編纂もないではないが、すべては陸大の席次で決まる。
戦場の詳細を知ることは必要だが、深く嵌っては全体が見えなくなる。むしろ、歩兵科よりも憲兵科の方が兵事や軍事を広く大きく視れると考え、実は転科希望を出した。後方や銃後を担当できるとは最良である。
「それと、十月から帝大法学部の聴講生だ。来月末までに研究主題と希望講座を庶務課に提出してくれ」
「はっ!」