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LS兵隊戦史第一部「機動連隊」  作者: 異不丸
第一章 昭和一七年七月
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帰還兵


 岡山県の北東端、県境のその村の森は深かった。夏は暑いといっても山地では場所による。大きく南にせり出した山の西側の家では、九時を過ぎないと日は当たらない。明るくなっても、家の中はまだひんやりとしていた。

 浅越誠吉は朝食を終えると、女房のスマに言う。

「土曜に帰るで」

「へえ」

「日曜に見に行くけ」

「えぇじゃ」

 家を出て下の本道まで三〇分歩くと、汗ばんできた。今日から四日間、陸軍さんの案内人を頼まれている。昨年も文部省の学者さんたちを案内したことがあり、それで村役場から指名があった。今朝は役場の書記の上村と一緒に駅まで出迎える。待つほどもなく、役場が借りたトラックが来た。

 美作土居駅は、姫新線を姫路から来ると万ノ乢トンネルを抜けたところにある。村からは南へ二十キロほどだ。列車から降りた陸軍さんは五人で、三人が木箱を背負って雑嚢二つを下げていた。革の背嚢に図嚢の士官が指揮官だろう。背嚢を背負って、雑嚢と図嚢も下げたもう一人は顔見知りで、姫路連隊区の准尉さんだ。

「浅越さん、またお願いしまぁす」

「へえ、ご苦労様でぇ」と、帽子をとった誠吉は頭を下げる。


 北に向かうトラックの荷台で准尉が地図を広げると、ようやく指揮官が口を開いた。弾丸列車計画に関する調査行で、兵庫と岡山の県境の山稜から南東を観測する。三室山までずっと尾根伝いに歩きたい。四日目の夕方までに終える。

 誠吉は考えてきた行程を話す。大原宿の先から山に入り、日名倉山から後山、駒の尾山、長義山と順繰りに巡る。三室山まで尾根を辿った延長は二〇キロ。夏場の今、歩くだけなら二日で充分だが、わからないのは観測の回数と時間である。

「一日に二回か三回、各一時間とみてくれ」

 後山は霊山であちこちに行場があるから、案内も宿も道仙寺に頼んであった。誠吉は、地図の上を指でなぞりながら、日付と時刻を唱える。食事と休憩、それに観測時間も順に入れた。いずれも朝五時起床、夜八時就寝の間に余裕をもって納まる。指揮官は首肯した。

 吉野川支流の後山川を渡って山に入る。半分ほど登ったところで、誠吉は小休止とした。まだ一時間経っていないが、これからが山道で人が入らず、夏草も茂っている。荷物の緊縛や足回りの確認は今がいい。振り向くと、准尉はすでに指示を出していた。各自が靴とゲートルを確かめ、荷物の偏りを正す。

 薄刃の鉈を持った誠吉が先頭に立ち、覆い被さる木枝や長く伸びた草葉を払い落としながら進む。続く上村が長柄の鎌で残った枝葉を刈る。後の三人の兵が草を踏み土を固めるから、指揮官と准尉が通る時には杣道が出来上がっている。

 夕方、後山の寺に着くと指揮官は時計を見た。破顔して准尉に告げる。

「日露戦争の強者だと」

「工兵第一〇大隊です」

「工兵か、うむ」

 三人の兵も深く頷いた。




 日曜日、誠吉は家のお山への道を歩いていた。もうわずかしかなく、山出しの難儀な奥の方だった。最後に残していた檜もこの冬に出したから、木々は二〇年足らずのものばかり。伐っても金にはならないし、山が崩れては元も子もない。親父さまがな、と鉈鎌を振るいながら思った。

 誠吉の父親は美作では評判の大工で、津山に出て弟子も六人いた。お山で取れる木材でやっている分には間違いはなかったが、宮大工の真似事を始めてしまった。宮大工は腕も要るが、材料も尋常ではない。自家では不足とわかると、遠方まで買い付けに走る。それが借金を生み、終いには大半の山を売り払うことになった。

 道具にも凝った。この辺りには昔からタタラ製鉄場があったが飽き足らず、日本中から集める。西洋の道具を買って柄や把を自分でこさえたりもした。指揮官どのに褒められた鉈や山刀も、今手にしている鉈鎌も、そうして買い集められたものだ。

 大工の棟梁の息子だったから、兵役では工兵を志願できた。弟子入り修行では何年もかかる図面や器械の扱いも一年目で覚えられる。同じ工兵でも大工出身は特業兵扱いで後方勤務が多い。出征した日露戦役でも最初はそうだった。だが、ついに萬寶山で突撃路開削の任務が回ってきた。

 そういえば健吉も無類の道具好きだと、これから見に行く息子のことを思う。


 健吉が生まれたとき、誠吉はもう三十半ばを過ぎていた。スマも三〇を過ぎていたから子は一人だけだ。甲種合格で入営したのは昭和一四年だが、支那事変が始まって兵役の服役期間は延長されていた。日支和平を聞いたときはスマと手を取って喜んだ。

 健吉の部隊は姫路第一〇師団の留守部隊で編制した第一一〇師団で、北支駐屯だったらしい。今年の陸軍記念日に凱旋した。村でも凱旋祝賀会が開かれ、健吉は胸に従軍記章と凱旋記章をつけて堂々と参列した。しかし、すぐに戻るという。

 家にいた数日も祝いの宴会つづきで、三人で話す機会はない。健吉は、客の前では快活に応対したが、客が帰ると途端に無口になる。皆の前では大皿や丼で飲み干す酒も、勧めても飲まなかった。

 ようやく、除隊で帰って来たのが先週だ。役場で村長の挨拶があったが御座なりだった。誠吉もスマもそれでいいと思った。凱旋記念の杯はもう配ったから、外を廻ることもない。やっとゆっくり話が出来ると思ったが、そうはいかなかった。

 帰って来た健吉は鬱いでいる。もともと表情に乏しい子供だったが、まるで気が抜けて、生気まで失ったようである。朝、山に行くと言って出ていく。スマは泣き出しそうになる。それが火曜日のことだ。


 道が下って沢に出た。土は流れ去って岩とごろ石ばかりだ。ここまで入る者は滅多にいない。少し先に家の道具小屋が見えた。辺りが乱れているようで、誠吉は足を速める。

 入り口の前に健吉がいて、まずはほっとした。頭をかかえてしゃがみこんでいる。何か言ったようだが聞きとれない。声をかけながら小屋の裏に回って、息を呑んだ。そこには一頭の猪が倒れていた。死んでいる。その猪の後肢には手拭いが巻かれてあった。

 聞いても何も言わないから想像するしかない。罠から逃れて来た猪を、健吉は介抱したのだろう。よくなった後、猪は襲い掛かってきた。それを小屋の道具で倒した。そんなところか。

「仲良くなれると、思ったんじゃ」

 ようやく、健吉の呟きを聞き取れた。しばらく考えた後、誠吉は向き直って言った。

「聞け。母やんにも、誰にも話したことはねぇ。父やんはな、戦役でロシア兵を殺したんじゃ」



 萬寶山は奉天の南にあって、前年秋の沙河会戦でも激戦で、取ったり奪い返されたりが続いた。奉天会戦の時は露軍にあり、前面には鉄条網が幾重にも張り巡らされていた。誠吉の分隊は雪の中を進出して、鉄条網を爆砕し歩兵の突撃路を開いた。

 しばらくすると、砲撃がひどくなった。露軍の大砲は日本軍の倍の速度で発射できるから剣呑だ。雪と砲煙の中を逃げ惑い、崩れかけた散兵壕を走る。露軍の砲弾は榴霰弾ばかりだから屋根がないと安心できない。

 横穴の中に入って蹲り両手で頭をかかえていると、穴の外に人が立った。露軍の兵士だ。奥に詰めて場所を空けてやると、何か言いながら入って来て同じ姿勢をとる。砲撃が止むと、顔を合わせ笑いあった。それから、誠吉は装具を背負って壕を出る。その時、銃声がして、地面が弾けた。

 後ろから撃たれたと気付くのにしばらくかかった。驚いて振り向く。露兵が銃を持ったまま、やはり驚いた顔をしていた。この距離でなぜ外れたんだろう。

 誠吉はゆっくりと肩の銃を下ろして構える。露兵は、ただ目を見開くばかりだ。誠吉は教範どおりに狙って、ゆっくりと引き金を引いた。銃声がして、露兵の胸が弾けた。



 誠吉は話し終えると、健吉に微笑み、そして言った。

「次は仲良くなれる」

 顔を上げた健吉は、笑おうとした。誠吉は健吉を立たせて、尻の泥を叩いてやる。

「おめぇはようやったんじゃ、ええな」

「父やん」

「帰ぇる。母やんが待ってるけ」

「んじゃ」






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