共同生活開始
王立学校の生徒達は、同じ建物の中で生活を共にする。
全寮制なので、それも当然の事。
学年が上がるごとに人口密度の低い部屋を与えられるが、入学したばかりの生徒達が暮らすのは大部屋になる。部屋の広さだけが取り柄の、クラスメイト全員での共同生活だ。
大きな部屋の中には私物を置ける場所も少なく、貴重品を持ち込むのは難しい。
クラスメイトの窃盗を疑いたくはないが、しばしそういった問題が出るのも確かだった。
そんな問題が出る度に皆で解決法を模索したり、予防策を立てたり。
そうやって彼らは社会生活や共同生活の難しさを実地で学んでいく。
しかし王族や大貴族の御曹司といった王国でも最高位に近い子息子女に雑多な共同生活を強制することに、問題がない訳でもなく。
学校側からの配慮として、学年で上位5人までの家格が高い生徒は入学した年から個室の使用を許可されていた。
奨励されている訳ではないが、身分を思えば致し方のない配慮として。
今年入学した生徒達の中で、最も家格が高いのは侯爵家のアロイヒ・エルレイク。
だがしかし、本人があっけらかんと個室を拒否!
当然の如く大部屋でクラスメイト達との寝起きを希望した為、今年度の男子寮で個室の利用を希望する新入生は存在しなかった。
流石に侯爵家の嫡男を差し置いて個室で安眠できるような神経の図太い少年はいなかったらしい。
空気を読むこと、そして上位の者に遠慮すること。
社交界では当然の様に求められる必須能力だ。
中にはアロイヒ・エルレイクが大人しく個室に引っ込んでいてくれれば、と忌々しく思う者もいたのだが……既に部屋割りの完了した後となっては詮の無いことである。
同じ部屋で寝食を共にすることが決定してしまったクラスメイト達は、最初から不安の中にいた。
何しろ相手は侯爵家のご嫡男。
本物の高位貴族である。
同じ貴族の出身であっても、下位の貴族とは雲泥の差がある。
侯爵家の息子なら、最低限の自分のことも出来ないに違いない。
その生活もさぞかし優雅なものだったのだろう、自分達とも住む世界が違ったはずだ。
そんな先入観を持たずにいられた生徒は少ない。
中には単純にアロイヒとの新生活を楽しそうと能天気に考える商家の息子さんも存在したが。
それよりは圧倒的に頭痛を覚える者の方が大多数であった。
だが、少年達の予想に反して。
アロイヒ・エルレイク少年はたいそう神経の図太いお子さんであった。
そしてクラスメイト達にとっては意外なことに、『自分のことを自分でする』のも大の得意であった。
彼らの知らぬことではあるが、何しろアロイヒ少年は……王都の南西にある領地から王都まで、身一つで1人旅してきた経験の持ち主なのだから。
しかも『直進』してきたにも関わらず、王都到着は入学式の朝というギリギリ具合。それも全て余計な寄り道をしてきた結果だ。
露天での野営を平然とこなし、魔の山で全裸になって温泉につかる。
そんな経験の持ち主が、自分で自分のことを出来ない筈がないのである。
大部屋の中に、等間隔に並ぶクラス全員分の簡素な寝台。
私物を置く場所は壁際のロッカーと、ベッドの脇に1台ずつ配置された小さな棚だけ。
勉強する場所はベッドから離れて大机がいくつか置いてあるのみである。
こんな環境に身を置いたことの無い子供たちは、初めての生活に戸惑っていた。
ちょっと世間を知る市井の子などは、孤児院か何かの収容施設みたいだと思う。
学校の寮なので、収容施設という意見も間違いはないのだろうが。
真新しい生徒達を部屋に案内したのは、上級生のお兄さん達だ。
既に前日までに入寮していた生徒もいるが、多くの子は初めて親元を離れることになる。
ギリギリまで親元で甘えた結果、入学式の後になって入寮する生徒の方が多い。
そこで入学初日が終わった後は上級生によってクラスごとに学校案内が行われ、最後に寮の各部屋で引率されるのが毎年の恒例行事であった。
「ロッカーとベッドにはそれぞれの名前を書いたプレートがはまっているはずだ。そのプレートは学年が上がっても各部屋のネームプレートとして使うから大事にしろよ。棚はベッドの右隣にある物を使え。寝具は荷物を置いたら取りに行く。あ、貴重品は身に着けておけよ? 気を抜いたら失くすからな」
去年までこの部屋を使っていた生徒が、今年の彼らの世話役だ。
手慣れた様子でてきぱきと指示を下すお兄さん方の言葉に、共同生活に不慣れな新入生たちはあたふたと慌てて荷物をロッカーに入れたり貴重品をポケットに突っ込んだりと忙しい。
そんな中、アロイヒは手に持っていた鞄とコートと猪の毛皮をロッカーに放り込んだだけで準備を終えた。
他の生徒達の様に、鞄から貴重品を取り出したり、今しなくていい荷物整理に手を出しかけたりと慌てる様子が欠片もない。
上級生のところまであっという間に戻ってきたアロイヒ少年に、お兄さん方はちょっと眉を顰めた。
「お前は……エルレイク家の御曹司か。貴重品、取り出さなくって良いのか? 上位の家系だからって高をくくっていたら簡単に物を失くすぞ。それとも身支度に不慣れでわからないのか」
「あ、ご心配は無用ですよ。貴重品は元から服の下に分散して身に着けてますから!」
にこっと微笑んで、12歳の少年は宣った。
「特に取られたらマズイ物はブーツの中に隠しているんで完璧です!」
「……君、本当に侯爵家の息子さん?」
貴重品を身に着けるにしても、発想が慎重すぎる。
上級生のお兄さん達の顔は微妙なものになっていた。
寝台は全員が同じもの。
寝具も同じものが支給される。
定期的に自分達で交換し、シーツや枕カバーを取り換える。
共同生活の中で、自分より立場が低い者から余分に寝具を強奪したり、自分の分の交換を相手に強要したりと横暴を働く者もいるのだが……
入寮初日、アロイヒ少年は率先してウキウキ楽しそうに布団を運んでいた。
アロイヒの侯爵家らしくない様子に戸惑い気味だった下位貴族の少年たちが、はっとした顔で「僕らがアロイヒ様の分までしますから……!」と慌てて取り入ろうとしても気にしない。
鼻歌交じりに布団を積み上げ、一度に部屋まで運んでいく。
「ひーちゃん、力持ちだね!」
「寝具セット1人分を1度に運べるのか……あんなに小柄なのに」
年齢よりも小さめの体ですいすい器用に大きな布団を運ぶ、アロイヒ。
ちょっと苦労して布団を持ち上げながら、その姿をベスパたちは唖然と見ていた。
アロイヒのネームプレートが収められていた寝台は、窓際の日当たりが良い一画。
居心地の良さそうな位置を選んだのは、学校側の配慮だろうか。
自分の寝床を楽しそうに整えるアロイヒは、そのあたり深く考えていなさそうだが。
初めてのベッドメイクとは思えない程、てきぱき手際よく寝台を整える。
そうして、最後に。
寝台の上に猪の毛皮をふわっと広げた。
「――よし!」
「いや、『よし』じゃない。よしじゃないぞ」
「ひーちゃん、その毛皮なに!」
どうやら登校時の一幕を知らなかったらしいベスパが、アロイヒの広げた大猪の毛皮に目を丸くしている。
教室から移動してくる際、小脇に何か茶色いモノを抱えているとは思ったようだが……
その全貌を目にして、ベスパも困惑していた。
つやつや見事な、立派な猪の毛皮だ。
……うん、見るからに温かそうですね?
だが濃厚な野生のニオイがした。
「清潔に整えられた寝具が台無しになるよ!?」
「大丈夫! ちゃんと煙で燻して虫は殺してあるから」
「いや、それだけじゃ不足だろう。これはちゃんと職人に処理してもらった物なのか?」
「ううん? 僕の一昨日のお昼ごはん(猪)から貰ったんだ」
「ひーちゃんが剥いだの!? っていうか猪食ったの!?」
「…………職人の工房に持ち込んで、きちんと加工処理してもらって来い」
疲れ果てたように目頭を押さえるスコル。
遠巻きにしながら、クラスメイト達は心の声でスコルに応援を送った。
がんばって、委員長!
「……こうしておけば、寝台間違えないと思ったんだけどな」
「間違えることが不安なら、もっと他にやりようがあるだろう……?」
ベスパとスコルの根気強い説得により、猪の毛皮は翌日の朝いちばんでエルレイク家の屋敷に預けられた。使用人たちが職人の工房に持ち込み、きちんと衣料品として生まれ変わってからアロイヒの元に届けられることとなる。
ちなみに寝台を間違えないか不安だというアロイヒの要望にお応えして、彼の寝台にはそれから1年間、共同部屋のロッカーの奥から発掘された上級生の忘れ物『遮光器土偶』がディスプレイされ続けることとなる。