歴史の授業と隠し書庫No.9(1)
アロイヒ達、ある日の授業風景
アロイヒ達の通う王立学校は、王立と冠する通り、国王を後ろ盾とした学校だ。
であればこそ、国の威信をかけて最高の教育を施すと謳っている。
教育は多岐にわたり、学年が上がるごとにある程度の専門性を持って細分化していく。
何を専門にするかは、学生次第。
しかし将来の展望を持たず、無為に無計画に無軌道に単位を取っていれば卒業を逃すと諸先生方・諸先輩方に散々脅されるので、まだ13歳と幼い1年生の頃から彼らは未来を見据えて何を専門に、どの分野に進むべきかと頭を悩ませる。
だがまだ、1年生だ。
彼らの学ぶ内容は、学年全員で共通の物ばかり。
つまりはこれから学んでいく上で学問の素地となる、基礎の範囲。
今まで家庭教師について深く学んでいた者達にとっては、既に知っている内容も多い。
だからと言って授業に身を入れていないと、思わぬ落とし穴にはまるのだが。
国の威信をかけた学校なのだ。
教師陣も侮ることを許さないその道の研究者ばかり。
彼らの教える内容は、既に知っている筈の内容でも新たな気づきと知識をもたらした。
結局は『教える』ということが抜群に上手いのだろう。
今日も彼らは、先生の話にひたむきに耳を傾けていた。
……時として、教師の話に真摯に向き合っていたとしても。
クラスメイトが思わぬ爆弾を投下して授業に身が入らなくなることもなくはないのだけれど。
例えば、歴史の授業の時なんかには。
「――という訳で、我が国の王国史は第一王朝が滅んだ革命戦争を皮切りに大きな転換を迎えており、革命戦争の前と後では国の姿がガラリと変わってしまいました。前王朝時代の資料が戦火で大部分焼失したことも関係しますね。特に歴史の分野から言わせてもらえば、史料を管理していた施設のことごとくが燃えてしまったため、残念なことに王国史を正確に遡ることが出来るのは第一王朝の末期300年までとされています。王国の建国時代に至っては、もうお伽噺のレベルですわね。眉唾物の神話めいた民間伝承のようなものくらいしか残っていません」
国の大まかな年表を生徒たちの前で広げながら、教師の中では比較的若手に入る女教師が苦笑を漏らす。敢えて板書はしなかったが、彼女が口にした建国の説話は確かにお伽噺のようだ。
「わたくし達の宗教にも精霊信仰が根ざしていますけれど、発端はこのお伽噺めいた建国史からきているとわたくしの史学の師匠は仰っていましたわ。精霊への感謝は重要ですけれど、わたくしたちの知る『良き隣人』とは少々印象が違いますけれどね」
彼女が師匠に聞いた逸話の中には、王国の始祖に助力した『力ある精霊』は額からビームを放ったという怪しいものがある。ビーム???ってなんだろう? そう思いながらも、逸話が冗談めいたものにしか思えないので彼女は内心呟いた。これは到底生徒達に聞かせられませんわね、と。
まさかその逸話が実話だと知る由もなく。
まあ、人間知らない方が幸せなことも結構あるもんだ。
歴史学者として生きている彼女だが、知ってしまったが最後、歴史の裏側や真実に打ちのめされること確実な運命なら、知らない方がずっと楽しく生きていけるに違いない。うん。
……60年前、当時同級生だった学友のエルレイク家嫡男にしつこく付きまとって闇に葬られた歴史の逸話を聞き出そうとした挙句、何を聞いてしまったのか歴史学者の道を自ら閉ざした若者が、彼女の祖父辺りにいたとかいないとか曖昧な情報が彼女の耳に入らないよう、職員室の同僚たちが気を使っているのもまた知らない方が良い事実ってやつなのである。うん。
「――では、本日の歴史の講義はここまでです。今までは革命戦争前の我が国の状況と諸外国との関わりを中心に話してきましたが、次の講義ではいよいよ第一王朝を終わらせた革命戦争について触れていきたいと思います。皆さんも馴染み深い英雄譚として幼い頃から聞き知っている話が多いことでしょう。特に男の子は好きな逸話も多いんじゃないかしら。皆さんが知らないような話もしていくつもりですので、楽しみにしていてくださいね」
真実という名の毒に気付くことも、触れることも幸いにして今までなかった。
だからこそ柔らかく前向きな光が、彼女の笑顔を明るくする。
ちらりと時計を確認して、少し笑顔に苦笑が混じった。
「これで今回は終わり、の予定ですが少し時間が余ってしまいましたわね」
さて、どうしよう。先生は考える。
彼女の方針的に、時間が余ったからと早く授業を切り上げて生徒を野放しにするのは論外だ。
時間があるのなら、その分、歴史に関わる何か有益な話をしてあげたいものである。
ただ、自分の知っている蘊蓄を語りたいだけかもしれないが。
余った時間は、そこまで短くない。
何の話をしようかと考えながら教室を見回した時、ふと、入学以来何かと学内を騒がせている高位貴族のご子息が目に留まった。
普段歴史の研究と授業の準備で研究室に閉じこもりがちな彼女だが、そんな彼女の耳に届くくらい、あの少年の名は周囲の人間の口に上る。
また、その家名も歴史研究の観点からは重要な単語のひとつとして馴染みがあった。
「そうですわね。このクラスにはせっかくエルレイク家のご子息がいるのですもの。次回からの革命戦争にも関わる家名ですし、少しエルレイクさんのご先祖様にまつわるお話をいたしましょうか」
実際に末裔の方の前で話すのは、少々面映ゆいものがありますけれど、と。
そう言いながらも、教師は滔々と語りだす。
エルレイク家の始祖――黒歌鳥と呼ばれた吟遊詩人の話を。
曰く、エルレイク家の初代は王侯貴族の腐敗に端を発する危難を前に、革命の英雄たる王が起った当初からその旗下にあった吟遊詩人であること。
目立った戦功はひとつもないが、数多くの英雄詩と戦時下から戦後にかけて多くの歴史的証言を記録に残した史学的に大きな意味合いを持つ人物であること。
王の二番目の王女の臣籍降下を受けて妻とし、身分に釣り合いを持たせる為か王から『侯爵位』を賜ったこと。
あまりに王が厚遇する為、また、エルレイク初代の作ったお伽噺のような華々しい英雄詩の中には荒唐無稽なもの、あまりにも華々しすぎて大げさに言っているとしか思えないものがあり、王はエルレイク初代がご機嫌取りに作った歌の数々に気を良くして取り立てていたのではないかという逸話があること。
先生の語るそれらの逸話は、先生の語りが上手いこともあり、クラスメイト達の興味を存分に煽る。
そこにどれだけ真実が含まれているのかは、別の話だけれども。
「そうだわ、こんな逸話があります。革命戦争後、政情の落ち着いた頃にエルレイクの初代は戦火に巻かれて散り散りとなっていた新王の親族を次々に見つけ出し、王族として王の元にお連れしたそうですわ。その功績を前に、王は感極まって親し気にお声をかけたのだとか」
”――サージェス・エルレイクよ。そなたの忠勤にはまことに頭の下がる思いだ。
良く働いてくれたこと、この場の誰もが認めよう。
だがもうよい。そなたのお陰で王族の数はもう十分に足りておる。これ以上の王族はもう必要ない。そなたも腰を落ち着けて、ゆっくりと休むと良い。”
「王はエルレイク家初代の更なる功績を讃え、彼の望みをなんでも叶えるとまで言ったのだとか。それに対して、エルレイク家の初代が願ったのは王の健康だったというのですから、本当に初代エルレイク侯爵は忠臣の鑑ですわね」
ふふふ、と微笑みながら先生はアロイヒに頷きかける。
だがそれに対するアロイヒの顔は、凪いだように静かで悟りを開いたかのように大らかだ。
ここは一般的な男子であれば、先祖の名誉に胸を張って誇らしげな顔を見せるところだ。
あら? 思った反応と違う、と首を傾げる先生。
戸惑ったような視線に、アロイヒは慈愛の籠った眼差しで見つめ返すのみ。
この沈黙は何かしら。先生の疑問が表出する前に、
カローン、カローン……
授業の終了を知らせる、時計塔の鐘が鳴った。
さあ、授業はお開きだ。
先生は戸惑いを引きずりながらも、教室を去っていった。
アロイヒの反応への疑問に満ち満ちた、生徒達を後に残して。
☆毎度おなじみ(?)、ご先祖様の逸話☆
さあ、よゐこのみんなは先生がお話してくれた『黒歌鳥』の逸話を正しく意訳できるかなっ?




