ご入学おめでとうございます?
王国の名門『王立学校』。
この学校には王国中の王侯貴族、名門と名の付く家に生まれた子らが集まる。
勿論、平民からもその才能を認められた若者たちが集まるのだが。
12歳からの少年少女が切磋琢磨し、己を磨く修練の場。
全寮制の学校だからこそ、それぞれに思うところもある共同生活の場。
在学中は身分の上下を気にしていられない事案も多いのだが……名門の子が集うだけに社会の、否、社交界の縮図めいた部分も多分に含まれる。
将来的には国家の上層部に食い込むことが確定している子供達も多いので、若い時分から社交界の空気を匂わす場所を経験しておくことも無駄にはならぬだろうが。
だが、社交界の縮図ということは。
将来を見越して権威に擦り寄ろうという、少年らしくない思惑を以て利己的な関係の構築を考える者もいるということである。
まだ年若い少年少女の集う場だというのに、人間関係にはどうしても家の意図が絡む。
裏の無い純粋な友情を得ることは、人によってはとても難しいことだった。
それは高位貴族の家こそ、その傾向が強いのだが。
入学式の善き日。
多くの初々しい子供たちが、学校の門を初めてくぐる。
前日までに学校に隣接した寮へ入寮している者が多かったが、学校の敷地へはまだ足を運んだことの無い者が大勢で。
真新しい制服に、緊張で顔を染めて。
それでも入学できたという誇らしさに、頬を少し興奮で赤くして。
彼らはそれぞれ将来への期待と不安を胸に秘め、学校の一員となるべく校門からの道を歩く。
中には入学そのものは重要ではないと、これからの学生生活の展望を語り合う者もいたけれど。
「おい、聞いたか?」
貴族の中でも下位に位置する、男爵家の息子が側を歩く2人の少年に囁いた。
既知の仲、同じような家格の、同じような立場の少年同士。
同じランクに位置する気安さが、少年たちの軽口を誘発する。
「今年の入学者、エルレイク侯爵家の一人息子がいるって」
「ああ、僕も父上に聞いた。同じ年だったんだね、エルレイク家のご嫡男様」
「僕は気鬱だ……そんな高貴な方が同じ学年だなんて。気難しい方だったらどうしよう。同じ教室だったら? 下位の者をいたぶるような方じゃないと良いんだけど……」
「心配性だな、お前。でもイライラはされるかもな。全寮制だし、使用人はいないし。高位のご子息なら使用人に頼らず自分で自分の世話をするなんて、きっと不慣れだろ。学生生活の不便さに不自由されるんじゃないか?」
「……ああ、そこが君の狙い目なんだ? 君、昔から野心家だったものね」
「上昇志向と言ってくれ。そうさ、不便と思われるならそれこそ結構。そこを解消するように、僕ら下位の者が気を利かせてお世話して差し上げるのさ。上手くやれば気に入っていただけるだろう?」
「君にはプライドがないの……? そりゃ、僕らなんて侯爵家の方に比べればプライドとか持つのも馬鹿らしいのかも、だけど。でも僕の父は男爵家の息子だからと卑屈にはなるなって……」
「だからお前の父上は出世できないんだな」
「おい、失礼だぞ。他家の当主に対して」
「僕は出世したい。プライドも、それを守るかどうかは時と場合だ。侯爵家の方に便宜を図ってもらいたいんだよ。出世して、地位を得る。……僕の妹は、そうじゃなければ成金商家の親父に後妻にされてしまう」
「えっ? 君の妹っていうと……まだ3歳じゃなかった?」
「3歳だよ! 結婚なんて先の先さ。なのに、あの成金親父……っ12年経ったら、嫁に寄こせだなんて」
「………………君の家も、色々あるんだね。詳しくは聞かないよ」
「うん。手段を選んでいられないって気持ちは分かった。僕らも君を応援する」
「出来ることがあったら、言って。君には前に助けてもらったし……力になりたい」
「……助かる」
様々な思惑を抱えて、少年たちは学生生活の展望を語る。
それが上手くいくのか、失敗するのか。それは場合によりけりで。
特に他人に依存するような作戦は、相手の性格をきちんと分析できていなければ大概の場合「失敗」に繋がる物なのだけど。
少年たちは取敢えず「捕らぬ狸の皮算用」という言葉を覚える必要がありそうだ。
何しろ彼らが噂する「侯爵子息」は、一筋縄ではいかない存在で――
「こらぁーっ!!!」
突如、少年たちの背後から。
今しがたくぐってきた、校門の方から。
成人男性の怒号が響いた。
それは校門の脇で入学者たちの見守りをしていた教師のものだ。
入学式当日という厳粛な空気を木端微塵にする勢いで、物凄く怒鳴っている。
少年たちは思わずぎょっとして振り向いた。
少年たちだけでなく、校門側にいた人間全員が声の発生源に注目した。
その場には声の主である男性教諭(47)と、小柄な何者かが佇んでいて……
「なんなんだ、その恰好は!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る、男性教諭。
対して首を傾げるのは………………なんだろう?
怒鳴られている何者かは、何者なのか判断に困る格好をしていた。
何しろその何者かは、頭から大きな猪の毛皮を被っていたので。
よく見るとまともな服はズボンだけ。
上半身は素肌に直接毛皮を纏っておいでです。
猪の頭部を、まるでフードか帽子かのように頭に被っている。お陰でシルエットは猪男現る、といった感じだ。猪の上顎のしたから愛らしい少年の顔が見えていなければ、猪頭の怪人と間違われてもおかしくない。いや、現時点でも十分に『怪(しい)人』ではあるのだが。
毛皮を纏った少年を見て、入学者たちは戸惑った。
そして思った。
「え、なにあの蛮人……」
「蛮人……???」
「どこの田舎から、いや未開の奥地? 秘境???から出てきたんだ……?」
取敢えず、少年少女たちの印象は『蛮人』で統一が図られたようだ。
どこからどう見ても、立派な不審人物。いや、不審少年だ。
愛らしく上品な顔立ちがチラリと見えている分、余計に怪しい。
戸惑いと困惑を我が身に集めながら、しかし毛皮の人物は周囲の困惑に気付くことなく。
怒鳴られて自分こそが戸惑っていると、首を傾げながら男性教諭を見上げている。
「なんだ、と言われましても……猪さんからもらった毛皮?」
「………………そもそも、お前はなんなんだ。今日は我が校の入学式、何の用があってここに来たんだ」
相手は年端もいかぬ少年とあって、怒鳴りながら男性教諭も困惑していた。
少年が無害そうな顔をしているので、余計に困惑していた。
これがただの不審人物であれば、警吏にでも引き渡すだけなのだが。
誰かが余興で芸人を呼んだという話も聞かないし、ただの蛮人なのだろうか。
いや、蛮人ってなんだ。
ウェズライン王国はさほど小さな王国ではないが、辺境まで行ってもこんな未開の部族めいた格好で生活している人間はいない筈である。たぶん。おそらく。
男性教諭から何とも言えない目を向けられながら、毛皮の蛮人はほわっと笑って言った。
「この学校には、入学しにきました。新入生です!」
「侵入者の間違いじゃないのか!?」
良家の子息子女、それから各地から選りすぐりの優秀者たち。
いわば未来のエリート養成校である名門の王立学校に、まさか蛮人の入学者が――!?
有り得ない。男性教諭も、周囲の生徒達も、全員がそう思った。
「そもそもなんで毛皮なんて着ているんだ! どこの田舎の出身だ!? 制服は!? 事前に支給されているだろう! いきなり来ても試験の合格なしに入学は出来ないんだからな!?」
「試験はちゃんと受けましたよ? 合格通知ももらいました。制服は……その、僕の故郷から真直ぐこちらを目指して上京してきたのですけれど、途中の山越えで失くしてしまいました……」
「……山越え? 何をどうやったら制服を失くせるのかわからんが、出身は?」
「南西の方から来ました」
「途中で山越えの必要な場所があったか……? 街道沿いに来たんだよな」
「いや、街道は使わず、本当に真直ぐ直進してきたんですけど」
「南西、直進………………………………まさか、ニブルヘル山を越えてきたー……とか、言わんだろうな?」
「あ、多分その山! 山のふもとに確かそんな看板が!」
少年が喜色を滲ませた声を上げ、手を叩いて教師の予想が当たったことを告げる。
当たるとも思わなかった予想がまさかの大当たり。
教師の顔が、蒼褪めた。
ちなみに毛皮の少年が見たという問題の立て看板には、こう書かれていた。
『――この先ニブルヘル山。命が惜しければ引き返せ』
「ちょ、おま……っなんて無謀な真似を!? 魔物は、魔物が出るだろうあの山!!」
「ええ、入山した途端にブルーオーガに襲われてしまいました」
「なんでちょっと照れた風に言う!? ブルーオーガってオーガの上位種じゃないか!」
「はい。全然青くないのになんでブルーオーガっていうんだろうって思っていましたが、彼らの血って青いんですね! 返り血を浴びてびっくりしてしまいました」
「しかも戦った後か!? 返り血って、お前……」
焦って男性教諭は毛皮の少年の全身を眺めまわす。それはもう、舐める様に眺めまくる。
だが、いくら全身を探しても怪我をしている様子はない。
――あ、よく見たらズボンが王立学校の制服だ。
そんな今更どうでもいい発見があったくらいである。
ブルーオーガと相対し、無傷でむしろ相手に傷を負わせた。
そんな馬鹿なと男性教諭が愕然とする。
「ちょっと色々賑やかなお山でした」
「賑やかって、お前……」
「でも山の中腹で温泉を見つけたんです!」
「温泉!?」
もう何の話を聞いているんだか。
男性教諭は『魔の山』とも言われる場所で温泉に話が飛んだことに困惑を隠せない。
「あまりに綺麗だったので、ちょっと旅の垢を落とそうと入浴したら……」
「入浴したのか!? 魔の山で!? 魔の山で脱いだのか!!?」
何この子、度胸ものすんごいんですけど。
入浴したということは、全裸だろう。
強力な魔物が数多く跳梁跋扈し、入山したら命はないとまでいわれる山で、全裸。
服も剣も手放して入浴したのか、この少年。
唖然とするばかりの男性教諭。
この話はどこまでが作り話だろうかと、荒唐無稽さに信じられない思いばかりが募りゆく。
「そうしたら……お猿さんに、シャツとジャケットを盗まれてしまって……」
「そこで制服を失った話に繋がるのか!?」
どうやら少年の制服は、魔の山で逞しく生きる野生動物に頂戴されてしまったらしい。
ブルーオーガは退けるのに、そんな経緯で少年はズボン以外の服を失った。
いや、辛うじてズボンは残ったことを幸いと思うべきか……
何しろそれまで失っていたら、今頃彼は『下着一丁』である。
「流石に僕も、乳首を曝して公道を歩くのは恥ずかしくって……ご飯代わりに捕まえた猪から毛皮を取って被って来たんですけど」
「恥ずかしがるポイントは乳首なのか……?」
この少年、盛大にナニかがズレまくっている。
相手をすることにも疲れ果て、男性教諭はがっくりと肩を落とした。
荒唐無稽な話を聞かされ、馬鹿にしているのかと怒りださない点をみれば、この男性教諭も本来は話の分かる相手なのかもしれないが。しれない、が……毛皮の少年が話す内容は、話の分かる教師でもわからない部分ばかりだった。
疲労の極致、まだ入学式も始まっていないのに男性教諭は疲れ果てている。
なんだか投げやりになり、どうでも良いような気持ちが胸に芽生えた。
この少年が本当に入学資格を持っているのか、半信半疑なのだが……本人がそうだというのなら、確認は取るべきだろう。
もうさっさと確認して、相手にするのを切り上げたい。
そんな気持ちで、男性教諭は毛皮の少年にこう言った。
疲れ切った口調で、言った。
「取敢えず、入学許可証と身分の証明になるようなものを持っていたら出しなさい……確認するから」
「はい、わかりました」
外見と話の内容を直視しなければ、この少年も素直そうなんだけどなぁ……
話の内容が嘘臭いことこの上ないが、少年の口調や様子を見れば本気で言っているとしか思えない。
馬鹿にしていると怒って良い筈なのだが、何故か「素直そう」に見える不思議。
この少年はなんなんだ、と沁々疑問を噛みしめながら。
まさか本当に持っているとは思えなかった入学許可証と身分を証明するモノ……二つを渡され、男性教諭は目をやって…………そして、愕然とした。
少年が持っていた入学許可証には、明々とこう記されていたのである。
――入学許可証
(省略)
貴君の入学をここに許可するものである
エルレイク侯爵家子息 アロイヒ・ヒルデ・エルレイク殿
男性教諭に渡された、もう一つ。
それは少年がしっかりと握っていた、一振りの剣。
よくよく見れば業物の、精緻な細工を施された一級品。
……その柄の部分には、見事な細工で紋章が刻まれている。
エルレイク侯爵家の家紋である、『黒歌鳥』の紋章が。
男性教諭は、震える指で紋章をなぞる。
七宝と宝石で飾られた、大貴族の権威を象徴する紋章を。
顔から、ざっぱーと盛大に血の気が引いた。
青い顔で、震える声で毛皮の少年に問いかける。
「き、君…………名前は?」
「あ、申し遅れました! 僕はアロイヒ・エルレイク。エルレイク家の息子です!」
少年らしい、溌剌とした声音で高々と告げられたその名前に。
男性教諭と少年のやり取りを見守っていた全員が固まった。
驚愕に表情を固定したまま固まった。見事な石像ぶりで固まった。
こんな侯爵子息は、誰も予想していなかったのである。
入学式を前に、校門付近に大量の石像を生産した少年……アロイヒ・エルレイク。
その第一の武勇伝に上げられる逸話は、『入学式に猪の頭を被って登校』。
彼の学生生活は――その伝説(笑)は、まだ始まったばかりだ。
ちなみにこれは蛇足であるが、もう一つ逸話をつけ足しておこう。
登校時には猪の毛皮であった彼だが、流石にその姿のまま入学式に参列することには全方位から制止がかかった。
いくらなんでもこんな姿で入学式に臨まれては、エルレイク侯爵家にとっても学校側にとっても沽券にかかわる。
お供を振り切り、単独で今朝王都に辿り着いたばかりだというアロイヒ少年は替えの制服を持っていなかった。
王都にある侯爵家の屋敷には恐らく予備の制服もあったのだろうが……使いの者に持ってきてもらうにも、少々時間がかかる。
そこで学校側が予備の制服を貸し出すことにした。
身なりを改めた少年は、どこからどう見ても――蛮族ではなく、品の良い貴族の息子であった。
そのまま貴族の息子に変身したアロイヒ少年は入学式に参列し、
そして新入生代表の挨拶をした。
新入生代表――それは、新入生の中でも入学試験で最高得点を叩き出した者に許される栄誉。
つまり挨拶のために壇上に上がった者は、今期の最優秀者と目される。
伝統のある王立学校で、不正は有り得ない。
王族であろうと高位貴族であろうと、成績は厳正に採点される。
……勿論、幼少時から家庭教師をつけて厳しく教育される高位の家の者ほど学問の下地は整っており、同じ試験を受けるにも優位ではあるのだが。
その点でいえば、侯爵であるエルレイク家は家庭教師にも有能な学者を登用しており、アロイヒの家庭学習も高度なレベルに達していて不思議はない。優秀な成績を出す下地は、この場の誰よりも丁寧に整えられていて……そう、不思議はない筈なのである。
だけど少年の朝の姿を目撃していた者は、一様に再び真っ白な石像と化した。
壇上の少年を、死んだ魚の目で遠く眺めている。
「……俺ら、あいつに成績で負けたのか」
「言うな」
「蛮族みたいな恰好で登校してきた、猪マンに負けたのかー……」
「だから言うな、虚しくなる!」
これから先の学生生活を楽しみに入学した筈の、少年少女たち。
しかしあまりにも不安を煽って来る朝の出来事に、皆が思った。
わあ、幸先悪ーい……
その不安が的中したのか、外れたのかは……当事者たちのみぞ、知る。
アロイヒ・エルレイク(12)
レベル ??
HP????? MP3
装備 エルレイクの宝剣
(侯爵家嫡男に代々与えられる剣。歴代嫡男の腰の飾りとして活躍した。
業物だが活用されたのはアロイヒの手に渡ってから。)
猪の毛皮
身分 侯爵家嫡男
男性教諭(47)
レベル 37
HP370 MP21
装備 大きな三角定規
教師の制服
身分 数学教師