過去からやって来た年貢の納め時
シリアスさん「今回はね、ちょっと頑張ってみたの……」
カオス君「そんな、病み上がりに無理しなくっても良いんだよ? シリアスさん、退院したばっかりじゃないか」
シリアスさん「ううん、良いの。私ががんばりたかったの……。いつも、カオス君にばっかり頑張ってもらってるから」
カオス君「僕は僕が楽しくてやってるんだけどね?」
アルノルト・ジーンは、どことも知れない場所を歩かせられていた。
目には目隠しをされ、光は目に届かない。
両手を左右からずっと年下の後輩2人に引かれ、誘導に従って歩くことだけが許されていた。
まだ十代も半ばに達さぬ、初対面の少年達からのこの扱い。
三十路を超え、自分で生計を立てる良識ある大人として、許して良いものではない。
だが、この扱いに甘んじるしかなかった。
彼のこの扱いを指示した少年が、王国屈指の名家の一つ、家名も名高いエルレイク侯爵家の跡取り息子だったからだ。
侯爵家となれば、当然だが貴族の階級としては上から2番目。
文句なしの高位貴族だ。
家格の差だけで、逆らえば社会的に抹殺される。
いや、物理的な死すら必至といえる。
貴族社会と密接な役人社会で身を立てる者の一人として、逆らう訳にはいかなかった。
そもそもが平民出身のアルノルト・ジーンにとって、相手はまさに雲上人なのである。
役人としては、こうして身分に唯々諾々と従うような真似はまずいのだが。
これは役人としての職務範囲から外れた、プライベートな時間だ。
それが良かったのか悪かったのかはわからないが、面と向かって逆らえるだけの名目がない。
本来であれば、こういうお貴族様の無茶に巻き込まれた時、職場の上司などから縁や伝手コネを伝ってどこか有力なお貴族様の派閥に入るなり、王家の直臣の庇護下に入るなりして後ろ盾を得ておくのだが。
文字通り『盾』として機能するはずのそれが、何故か今回は全く役に立ってはくれない。
エルレイクの嫡子様と面会の予定が入った時点で、ちゃんと上役にご相談したのだ。
相手の用件がわからない分、得体のしれない恐怖があった。ちゃんと切実に訴えた。
だが、何故だろうか。
上役は悟りを開いた異国の神像『お地蔵様』のような目で、アルノルト・ジーンに一言こう告げた。
「骨は拾って……やれないかもしれないが、供養はしっかり頼んでおくからな」
悪ノリした時のふざけた声ではなく、芯からいたわりと憐れみを詰め込んだような、穏やかで優しい声だった。
殺されるのは確定か、とアルノルト・ジーンは震えあがった。
こうして当日を迎えた今でも、アレが脅しだったのか本気だったのか計りかねている。
何しろ相手はエルレイク侯爵家。
関わり合う羽目になるまで全く知らなかったが、現王朝の初期から善し悪し関係なしに様々な方向で名を馳せてきた『名家』だ。同じ貴族の間でも畏怖をもって尊重されていると、貴族の同僚が真心のこもった忠告をくれた……というか公爵家からも恐れられているとかマジだろうか。
派閥なんて、関係なかった。
後ろ盾も、意味なんてなかった。
だって守ってくれるはずの方々が、必死になって目を背けるんだ。
エルレイク家に目をつけられたか……可哀想に。そんな心の声が聞こえた。
面と向かって我らには如何ともしがたいとか言われたしね!
ませめてこれを持っていきなさいと上役が用意してくれた手土産を抱え、アルノルト・ジーンは戦々恐々の態で懐かしの母校へと向かった。
憐れみに満ちた、上役の目が忘れられない。
あれは確かに出荷される子牛を見送る目だった。
あまりに懐かしすぎて、現実逃避がたいへんはかどりました。
エルレイクのご嫡子様に自ら足を運ばせちゃならねえと、自ら母校へ馬車を回す。
実に卒業以来、はじめての来校だ。
面会の予定を告げれば、応接室の1つへ通される。
わざわざ応接室を押さえるあたりは、流石お貴族様。
だけど卒業生なので、アルノルト・ジーンにはわかってしまう。
通された部屋……数ある応接室で1番密室的な性格が強いとこだ。
扉を閉じられたら、外部には一切室内の様子が伝わらない。
こんなところに通されて、何をされてしまうんだろうか……。
自分はコワイお貴族様に目を付けられるような、何をやっちまったんだろう……。
最初にもらった『お手紙』は、訪問日を迎えた今になっても解読できていない。
何が書いてあるのかわからないので、こうして会う羽目になった用件もわからない。
内容を周囲に知られることが怖くて、専門知識のある相手に相談することも叶わなかった。
心当たりはない筈なんだが……だけど自分行動に気を付けていても、どこでどう因果が巡って貴族に目を付けられるのかわからないのは世の常だ。
エルレイク家の嫡子様を待つ間、アルノルト・ジーンの背中はイヤな汗で始終乾くことがなかった。
そうして、ついにやってきてしまった約束の時間。
爆速ダッシュで駆け込んできた『過去』に、とうとうアルノルト・ジーンが背中から不意打ち強襲を食らう時間の到来だ。
自分に待ち受ける運命を知らない男の前に現れたのは、3人の少年だった。
先頭にいるのは、亜麻色の髪の育ちが良さそうな少年だ。
優雅な物腰、品のある仕草。
落ち着いた声音の、ゆったりと余裕に満ちた話口調。
間違いない、彼がエルレイク家のご子息に違いない。
出会ってすぐ、名乗りを聞く前にアルノルト・ジーンは確信した。
だが確信するとともに、次なる疑問が噴き出てくる。
彼が手に握っている、真っ黒なアイマスクは何だろう……?
ここからがアルノルト・ジーンの苦悩に満ちた試練の始まりだった。
「それじゃあ、これをつけてください」
「え?」
「大丈夫。お楽しみの前なので、勿体ぶらせてください」
にこにこと笑顔で差し出される、アイマスク。
残念なことに、後ろ盾からも見捨てられたアルノルト・ジーンには、疑問を投げかけることも拒否することも出来なかった。
ただ口答えせず、大人しくアイマスクをつけるのみ。
それだけが、彼に許された行動で。
「それじゃあ行こうか、出発だ!」
楽し気なアロイヒの声と共に、ばごっと硬い何かの蓋を開けるような音がした。
「え、ええっ!? まさか、こんなところにも……!?」
「この学校……どうなっているんだ」
アロイヒの後ろにいた少年の声だろうか。
アルノルト・ジーンには聞き覚えのない声が、驚愕に小さな叫びをあげる。
何にどうして驚いているのか、目をアイマスクで閉ざされた男には知ることなど出来ない。
「感動の再会まで、最短コースで行くね!」
感動の再会ってなんのことっすか?
自分はどこに連れていかれようとしているんだ……!?
出入り口の方向は、ちゃんと覚えている。
なのにドアのある方とは見当違いの方向に、少年の手が引っ張る。
ドアをくぐった気配はなかった。
それどころか、どこにもそんなものはなかったはずなのに。
「あ、足元気を付けてくださいね! 段差があります。というか階段がありますから!」
「アロイヒ、目隠ししたまま階段を移動させるのは危険じゃないか……?」
何故か、本当に何故か。
どうして自分は、存在しないはずの階段を下っているんだろう……?
階段なんて、応接室にはなかったはずなのに。
自分がどこに連れていかれようとしているのか、もう見当もつかない。
階段を何度か下り、上り、また下り。
時折平坦な道をまっすぐ進んだかと思えば何度も連続した曲がり角を抜けて。
もうどのくらい時間が過ぎたのか?
五感の一つを封じられた状態……目を塞がれた状況じゃ、時間の経過もよくわからない。
体感時間で15分が過ぎたとも、30分が過ぎたとも感じられる頃。
「それじゃあ到~着っ!」
るんっと明るく楽し気な少年の声がして。
軋んだ音を立てながら、重い扉の開く音がした。
「――おお、待ちかねたぞよ!」
……そしてどこかで聞いたような発音の、聞いた覚えもない成人男性の声がいた。
声から判断して、おそらく壮年一歩手前ぐらい。
成熟した大人の声だ。しかも聞いていて不安を煽られるような重低音。
一体自分はどこに連れてこられて、誰と対面させられようとしているのか。
言い知れない不安が、アルノルト・ジーンの全身を痺れさせる。
一歩、足を踏み出すことが恐ろしくてならなかった。
「それじゃあ感動の再会、だね!」
そんな声と共にアイマスクを取っ払われて。
最初に目に入ったのは、真正面の『人の顔』。
視線を引く彫が深くて濃い、推定年齢35~40歳くらいの男の顔。
……あまりに巨大なソレに、目を塞がれている間に遠近感が狂ったかと思った。
だが違った。実際にデカい……!!
物理的に巨大な顔が、目の前に!
冷静になる隙を与えられることなく、受け入れがたい現実は目の前にあった。
この顔……! もっと若くすれば凄く見覚えがある気がする!
いや、それよりも!
気のせいだと思いたいけど思いきれない事実!
なんで獅子の胴体から生えてらっしゃるんでしょうかねぇ……っ
背中では、ばっさばっさと猛禽の翼が暴れていた。
思わず目頭押さえて蹲るも、現実は消えてくれない。
おいでませ夢の国。誰か自分を夢想の世界に連れ去ってほしい……!
しかし現実とは、無情なもので。
拾った責任を放棄して、自己保身を取った十代のあの頃。
人の来ない学校の地下深く、隠し通路の先に隠して捨てたはずの、人顔獅子。
自分にとっては過去の遺物だ。
死んだものと思っていた、それが目の前にいる。
ばっさばっさと翼を元気に動かしている。超元気。
……どうやら人顔獅子は、衰弱するどころか地下の隠し部屋でも健康に暮らしていたらしい。
化物の生命力の強靭さに、なんか泣けた。
だけどその涙の意味が、なんか自分でもよくわからなかった。
まだ、混乱しているのか。
なんとも言い難い、複雑な心境だった。
一概に生きていることを残念だと持っている訳じゃなくて。
どこかに喜んでいる自分がいることも、目を背けたいけれど背けられなくて。
そんな自分の身勝手さ、無責任さにやはり自分は低俗で卑怯な人間だとがっかりする。
でも人間ってそんなもの、身勝手なものだよなって。
まだ潔癖さの残っていた学生時代とは違って、薄汚い性根を肯定する自分がいる。
それが大人になるってことか、なんて思ったのは自分に酔っているみたいで少し嫌だが。
でも現実問題として。
どうしよう、目の前の物理的に大きな問題。
笑顔で飼い主と人顔獅子の再会を喜ぶ少年……大貴族エルレイク侯爵家の嫡男様を見て。
アルノルト・ジーンの背中に、ずしっと『飼い主の責任』という単語が重く圧し掛かってきた。
兎にも角にも、あれだ。
もう1人で抱え込んで手に負えない事態を無理やり強引になんとか解決しようと無駄に足掻く少年期は通り過ぎているのだから。
……そう、本当に、手に負えないので。
とりあえずは学校の諸先生方にご相談しよう……。
十数年越しに改めてぶち当たった事案を前に、過去のツケを払う時が来たと、腹をくくって。
他にやりようもないので、アルノルト・ジーンは学校の校長室にご相談に伺った。
アロイヒ・エルレイク様にご献上すべく用意したお土産の予備をその手に大事に抱えて。
同時に貴重な手札を幾つ切らないといけないだろうかと、頭の中は急速回転状態で学校関連の情報を掘り起こしまくっていた。
こんな急展開に晒された状況下で、彼が学校の協力を得るに有利な情報を幾つその舌に転がすことができたのか……大人の交渉の行方は、少年達の知らぬところである。
後日。
王立学校には世にも珍しい『人慣れした人顔獅子』の飼育小屋が建設された。
決して人には馴れないはずの人食い化物が飼育されるという事態に各界に幅を利かせているビッグな保護者の方々から猛抗議が殺到したが、魔物に関する分野を専門にする教員や学生たちの研究の為という名目で押し切られた。
元より学校の裏山は魔物への対処を学ぶ為、教員の引率があれば乗り切れるレベルの魔物が放たれている。魔物が敷地内にいるのは今更だと、強大な権力を握る理事の1人が保護者の訴えを一蹴した。
ウェズライン王国で初めて飼育に成功した人食い化物の貴重な第一例となった、人顔獅子『みぃちゃん』。
その調教に成功するという偉業を達成した、アルノルト・ジーン氏。
二つの名は、魔物研究に関する多くの資料に刻まれ、特殊分野にて歴史に名を遺すこととなる。
アルノルト・ジーン氏のその後
仕方がないから学校に交渉した結果、みぃちゃんを故郷に還すのは難しいとして、学校で飼ってもらうことにした。もちろん『大人の交渉』の結果である。
学校側としても貴重な人食い魔物の生態を記録に取れる、研究できるので損ばかりという訳でもない。
アルノルト・ジーン氏は魔物分野に関する特別講師兼みぃちゃん専任の飼育(監督)員として週に3回学校へ足を運ぶことになる。
ちなみに職場との兼ね合いは「エルレイク家が関わっている」と一言報告したら簡単に調整してもらえた。まさに魔法の言葉である。
そしてますます婚期が遠ざかった。




