アルノルト・ジーンの厄災
アルノルト・ジーンは王城に勤める役人だった。
広報関係の部署に勤務しており、学生時代は新聞部に所属していたこともあって、今の職場には満足していた。王城という場所柄、取り扱う情報は真面目なものが多い。その一点のみが、少し残念ではあったけれども。
今でも、思い出す。
学生時代に手掛けた、ユーモア溢れる特集の数々を。
特に七不思議を代表とする都市伝説系の記事がアルノルトは得意だった。
そんな学生時代に、ちょっとやらかしてしまった若気の至り。
うっかり人面猫だと思って拾ってしまったイキモノが、実は第一級の危険生物……人食いの人顔獅子だったというヤバイ過去を隠していた。
最初は人面猫だと思っていたので、ある程度育てば学校新聞の記事に取り上げようとウキウキわくわく名前を付けて大事に育てていたのだが……育ってみれば、まさかのバケモノ。いや、人面猫の時点で既に化物だが、予想以上のバケモノだったのだ。
本来は事実が発覚した時点で寮監なり担任の先生なり、学校の教職員に相談すべきだったと思う。
あるいは頼りになる先輩とか、魔物の研究をしている先輩とかでもいい。
全てに共通して一つ言えるのは、自分ひとりで抱え込むのは悪手だったということだ。
だけどまだ若すぎたアルノルト・ジーンは、誰かに相談するということができなかった。
叱責を恐れたことも理由ではある。
しかし何より恐れたのは、人食いのバケモノを新聞記事にすること前提で良い感じに躾けて育てた結果、素敵に懐かれて物分かりが良い上に命令によく従う人顔獅子が爆誕してしまったことである。
おそらく、人顔獅子と自分との関係は特殊だ。
人食いのバケモノは、人には馴れないとされている。
だというのに何故か人顔獅子はアルノルト・ジーンに懐いた。異例の事態だ。
この関係を他者に知られ、利用されるのが何より嫌だった。
大人や社会に命じられるまま、人顔獅子を従える協力はしたくなかった。
何より、人顔獅子というバケモノを従えられることを理由に、将来的にそっち方面の仕事に就かせられるのも嫌だった。
人顔獅子は知能も高く、凶悪な魔物だ。
だけど凶悪ということは、つまりとても強いバケモノということである。
そんなバケモノを人が従えられるとしたら?
それを人に知られた場合を考えると、ろくでもない結果しか想像できなかった。
アルノルト・ジーンはお城の広報官になりたかった。
決して、魔物の研究職や軍関係に採用されたかった訳ではない。
誰かに相談することを良しとしなかったアルノルト・ジーン。
結果として彼は、あまりにも残酷な仕打ちをすることとなる。
思い悩みに悩み、思いつめ、彼の思考回路は煮詰まっていた。
相手は人食いのバケモノ、野に放つという選択肢は以ての外だ。
だからと言って手元に置き続けるのも軍事利用の四文字が頭をチラついて勘弁願う。
何よりバケモノがすくすく順調に育ちすぎて、もう手元で隠すのも限界だった。
誰にも相談できなかった少年の取れる手段は、そう幾つもない……。
苦しまないように相手の命を絶つことは、どうしようもなく難しい。
何よりアルノルト・ジーンには度胸と覚悟が足りなかった。
自分の手で決着をつける、その覚悟が……。
そうして少年は、結果的にとても残酷な最後を選ぶ。
自分を慕うバケモノを、自分以外の者が知らない隠し部屋に閉じ込めたのだ。
バケモノ封じで有名な聖銀の鎖でぐるぐる巻きにして……アレはもう、閉じ込めたというよりも『封印』したと言った方が正しいかもしれない。
そうしてゆっくりと時間をかけて、スフィンクスが餓死なり衰弱しなりすることを望んだ。
そんな自分を、「最低だ」と自分で失望した。
イキモノを捨てる。それだけでも最低なのに。
自分はバケモノを封じる聖銀鎖で、身動きすらできないようにしたのだから。
縛り上げられ、動くことも出来ず。
きっとあのバケモノは、主人と呼んだアルノルト・ジーンに憎悪と怨嗟を向けながら死んだはずだ。
――実際は今に至ってもぴんぴんしていたが。
そんなことは様子を見に行かなかった彼にとって知る由もないことであった。
自分がやったことは鬼畜の所業だと、アルノルト・ジーンはよく理解していた。
それが、その鬼畜の所業が。
王立学校をとうに卒業した今になって、借金取りよろしく取り立てにこようとは。
やらかしたことが事実なだけに、いつか過去に追いつかれることを恐れてはいたのだが……まさかこんな唐突に、こんな形で直面するとは、彼は欠片も想像していなかった。
いつか、過去の過ちが学校側に知れて、追及されるかもしれない。
疚しさからそう恐れる心がないではなかったのだけれども。
だけどまさか。
まさか、絶対に逆らえない権力者の御嫡男様が取り立てに来るとは欠片も想像していなかった。
生き物を拾ったら、最後まで責任を持ちましょう。
たまに聞くその言葉。
その言葉が凄まじい勢いで自分に体当たりかましてくる未来を、彼はこれから知ることになる。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「僕ちょっと今日の午後、外出するね」
何の前振りもなく、アロイヒ少年がそう言った。
学校探検に心身ともにギリギリまで疲弊した、その翌日の事。
アロイヒがどんな放課後を過ごしているのか、一端を知ってしまった直後だ。
いきなり外出すると言われて、学級委員長スコルの警戒心は否応なしに高まった。
「外出って……学校の敷地外に出る、ということか?」
「そうだよ。寮監の先生に外出届を出しに行ったら、学級委員長にも伝えておいた方が良いって言われたんだ。同室のみんなが心配しないようにって」
「そうか……外出届を出すという発想はちゃんとあったんだな」
その点においては、少しだけ安堵したスコルであったが。
しかし数年もすると外出届の提出もなく、アロイヒが学校の門以外の場所からこっそり外出するようになってしまうことを今の彼はまだ知らない。
「それでひーちゃん、外出って、どこに行くの? おうち関係の用事?」
何しろアロイヒは、これでも、こ・れ・で・も名門貴族エルレイク侯爵家の御嫡男様だ。
まだ12歳であっても家の関係で何かしらの仕事や社交が回ってきてもおかしくないし、家の用事で外出すると思えば何の違和感もなか……なi…………ない、はずだ。
考えれば考える程、アロイヒの立場を考えると不思議はない、はずなのに。
アロイヒが、と考えれば考えるほどに違和感が強くなる。
このギャップの原因はなんだろうか……?
思考を遠くに飛ばしつつあったスコルの耳に、アロイヒの気負いない一言が突き刺さった。
「ううん、家は関係ない個人的な用だよ。ちょっと王城まで行ってくるね?」
現場は学校の、クラスメイトもずらりと揃った教室の中。
アロイヒが唐突に告げた「ちょっくら王城に行ってくるわ」発言。
クラスから音が消えた。
それまで雑談していたクラスメイト達まで、気付けばアロイヒの言葉に意識を向けている。
少年達の戦々恐々とした視線がアロイヒだけに注目していた。
スコルは自分の顔が引きつるのを感じながら、今にもアロイヒが飛び出して行ってしまうような錯覚と戦う為、アロイヒの肩を渾身の力で掴みながら言い募る。
「待とう、アロイヒ。王城に何しに行くつもりだ。個人的な用って、そんな簡単に王城に行って良いものなのか、少し冷静に考えてほしい」
スコルの目は、何故か懇願するような色を帯びていた。
懇願されているな、というのはわかる。
だけど何を願われているのかまではわからず、アロイヒはきょとんと首を傾げた。
「何をしにって……アルノルト・ジーンさんに会いに行くよ? 調べてみたんだけど、アルノルト・ジーンさんって独身で王城内にある寮住まいみたいだから、お話するには王城まで行かないとね!」
「アルノルト・ジーンって……バケモノとの口約束、律義に果たすつもりだったのか……!!」
驚愕に固まるスコル。
その口ぶりは暗に人顔獅子との約束など反故にしてしまえと言っているも同然だった。
だが、誰がそれを咎められるだろう?
彼らはまだ12歳の若人だ。
大人と社会と学校に守られるべき立場だ。
そんな彼らをして、絶対にアルノルト・ジーンからは歓迎されないだろうバケモノとの約束を果たすというのは、どう考えても荷が重すぎる。
学校地下のヤバ気な空間に無断で侵入したという事実さえなければ、速攻で学校の教職員に相談していてもい案件だ。
だというのに。
一番身分と立場を考えるべき、侯爵家の御嫡男様がきょとんとしているのだ。
「え? スコル、人とした約束、破るの?」
「アレは人じゃない……!」
顔面限定でとても人に似ていますが、人食いのバケモノでございます。
「うん、確かに人じゃないけど。でも約束っていうのは守らないとダメなんだよ? 僕、守れない約束はしないようにしてるから。だから約束出来るって思ったことはちゃんと果たすつもり」
「その心がけは立派だ。大変立派だ。是非とも今後も守っていってほしい。しかしな、アロイヒ、危険生物との約束についてはもう少し慎重い取り扱うべきだと思う。アレは取扱要注意の案件だ」
「そ、そうだよ、ひーちゃん! それにアルノルト・ジーンさんだって、急にひーちゃんがやってきたらびっくりするよ! 相手は勤め人なんだからお仕事の都合もあると思うし! いきなり行ったら困っちゃうよ!」
「そうだ、その通りだ、ナイスだベスパ! アルノルト・ジーン氏もいきなり来られたって迷惑だろう。大迷惑だろう! きっととことん迷惑に思われるはずだ! だからだな、アロイヒ。まずは先触れを出そう! お伺いの手紙を立てるんだ! そして手紙の返事で来られても迷惑だって言われたらここは潔く綺麗さっぱり諦めよう!!」
「そうだよ、相手にも都合があるんだよ! お仕事の邪魔をするのはダメだよ、ひーちゃん!」
滾々と必死に諭す、昨日の今日の学校探検隊隊員2名。
彼らの必死の訴えに、アロイヒもそういうものかなっと頷いて。
とりあえずは、お手紙書いた。
だけど相手は黒やぎさんではないので、読まずに食べたとはいかないのが世の中である。
そして無駄に格式高い侯爵家の御嫡男様として、最高の教育を受けてきたアロイヒ少年の手紙が、高位貴族特有の難解で教養に溢れまくった美文形式だったことも災いした。
手紙の受取人であるアルノルト・ジーン氏は、平民の出だったのである。
王立学校を出たエリートではあったが、教養人を自認する高位貴族向けの『教養』を煮だして固めてアンティークの最高級絵皿に芸術的に素晴らしいバランスで盛り付けてフルコースにしてしまったような、一般的な教養しか持たない人間には長々とした立派な解説書を必要とするようなお手紙は、彼の読解能力の範疇外だったのである。
それは最早、感覚的には別言語と言っても差し支えなかった。文字も文法も同じはずなのに。
その手紙は、王立学校でも最高学年の、特定分野の成績が特に優秀な一部の人間だけの為に特別に開講される特殊授業で取り扱われるような代物だった。書かれている内容はともかくとして。
スコルが念押しして「正式なお手紙だから、ちゃんと書くように」と言ってしまったが為に、更に手紙の解読難易度は貴族の方でもレベルお高めであった。
しかもアロイヒは、周囲の人間に添削を頼むこともなく手紙をポストに投函したのである。
アロイヒ少年自身にとっては、おうちで家庭教師に習ったことを参考に、普通に改まったお手紙書いて出したような感覚だった。
つまりは何が言いたいかというと。
アルノルト・ジーン氏は、侯爵家嫡子アロイヒ・ヒルデ・エルレイクの書いた手紙を判読できなかったのである。
いや、読むことはできた。
言語は現代語だったので読むことはできたのだが……意味を、理解できなかったのである。
同じ職場の人間と相談して辛うじて拾い読めた部分は、「会いたいので日時指定よろしく!」という本当に最低限も最低限の内容のみ。
なんで彼のエルレイク侯爵家の御嫡男様が、わざわざ一介の役人に過ぎない自分を指定して会いたいなんて……? 訝しく思いながらも、本人が認める通り一介の役人に過ぎない彼には、身分と権力と得体のしれない畏怖を背負うエルレイク侯爵家の御嫡男様からの面会希望をお断りすることなど、出来る余地もなく。
どうしてこんな手紙が来たのかと戦々恐々しつつも、謹んでお受けいたしますとお返事するしかなかったのである。
そのお返事の手紙を書く際にも、「これができたら一人前! お貴族様に宛てる絶対必要なお手紙マナー!」というマナー本とは思えないほどに凶器レベルで分厚い本と格闘しながら筆を執る羽目になったのだが。
「これマナー本じゃねえよ、辞書だよ……」
頭を抱えながら、同僚の伯爵令息にチェックしてもらいつつ、最低限度の礼儀をクリアしたお手紙を彼が書き上げることができたのは、アロイヒからのお手紙が来てから5日後のことだった。
そうしてアルノルト・ジーン氏のお返事がアロイヒ少年の手元に届いた、1週間後。
アルノルト・ジーン氏は、かつて己が捨てた『人面猫』と再会(※強制)を果たすこととなる。
良かったね、みぃちゃん!(ご主人様との再会)




