01 - 衝撃
穏やかな陽だまりに包まれる午後。ユリアは喫茶店の常連客達と他愛無い会話を弾ませながら、客が帰ったテーブルを片づけていた。質のいい木製のテーブルを心を込めて布巾でなぞる。その単調な動作からも、真心がモットーである店主の教育が行き届いているのが窺えた。
その時ふと視線を感じたような気がしてユリアは何気なく窓へと視線を移した。レトロな窓枠がはめられた透明なガラスの向こうに立っていたのは、この小さな村では見かけない、幼い少女だった。透明な陽の光に溶け込むように、じっと静かに佇んでこちらを見つめている。
「…どうしたのお嬢ちゃん、ママを探してるの?」
安心させるように優しく微笑み声を掛けると、少女はふるふると首を振るった。頭の左右から伸びる黒のリボンで彩られた薄茶色の低いツインテールが可愛らしく揺れる。
「むむー?じゃあどうしたのかな?おつかい?偉いねぇ」
再び、ふるふると首が振られる。何も言葉を発さない少女にユリアは不思議そうに首を傾げながら少女が立っている窓へと近づいていった。窓を開き、冷たい窓枠に手を乗せて少女に顔を近づける。
店内からだと見えなかった少女の身体が見えた。ところどころに白いレースがあしらわれている、黒いドレス。ふわふわのスカートからは白い足がすらりと伸びて、足先までも完璧に可愛らしくコーディネートされていた。頼りない細い両腕は少女の身体には少々大きいテディベアをしっかりと抱き締めている。少女への親の愛情がびしびし伝わる、文句なしのお嬢様風スタイル。少しやり過ぎな感もあったが、背丈の低い色白の少女にはとてもよく馴染んでいた。
自分を真っ直ぐ見つめる赤い瞳を自分の姿で埋め尽くすように、ユリアは身を乗り出しもう一度優しく微笑んだ。
「どんなご用事?お金、ちゃんと持ってる?」
そこで初めて、少女の小さな唇が開かれた。
「チマ、持ってない。ブカ、持ってる、です」
少し言葉足らずなその言葉に違和感を覚えていると、ユリアはチマと名乗ったらしい少女の人差し指がどこかを指差していることに気が付いた。その小さな指先に誘われるように視線を横へ流す。
「………ん?」
(あれは…え?でも…まさか…えぇ!?)
少女の目線に合わせて屈めていた身体を瞬時に起こし、ユリアは目を見開いた。暫くぽかんと口を開けたままその光景を凝視していたが、数秒後はっと我に返ったようにカウンターで談笑を楽しむ喫茶店のマスターへと大声で叫んだ。
「マスター!!人が!外に人が倒れてるー!!」
チマという少女の指の先、その数メートル先には、一人の男性らしき人影が力無くうつ伏せに倒れ伏していた。
「いやー申し訳ない」
弱弱しく笑みを見せているのは少々痩せてはいるが長身の青年である。物静かそうな顔立ちに長めの白髪が掛かり、髪の先は無造作にあちこち広がっている。この青年こそ先程ユリアに発見され、力自慢のマスターにより喫茶店の中へと運ばれた張本人である。しかし青年を店内に運び込み、さぁ医者を呼ぼうと駆け出したユリアの耳に届いたのは。
「オ、オレンジジュースを一杯…頂けませんか…」
という、何とも可愛らしい嘆願であった。
「すみません。僕、定期的にオレンジジュースを摂取しないと体の機能が停止するんです」
「何よその中途半端なエネルギー摂取は…B級映画のヒーロー設定じゃあるまいし」
「いやはやお恥ずかしい」
口ではそう言いつつもストローでオレンジジュースを吸い上げる顔は幸せそのものだ。何となく気が抜けてしまったユリアは、大きな溜息と共に近くにあった椅子に腰を下ろした。椅子から明らかに派手な軋む音が聞こえたのは気がつかなかったことにしよう。
前髪を掻き上げながらもう一度青年へ視線を向ける。と、その隣にちょこんと座るチマという少女に自然と視線が吸い寄せられた。親子、にしては似ていない気がするし、兄妹というには歳が離れすぎているような気がする。ユリアの視線には気付かないようで、チマはマスターがサービスで出してくれたショートケーキの上に乗っている苺を一気に頬張った。途端、チマは頬がとろけそうなほど表情が和らいで、見ているユリアもつられるようにほんわかと和んでしまった。
「おっと、ご紹介が遅れました」
グラスの底に残っていた僅かな水滴まで丁寧にストローで吸い上げてから、青年は顔を上げて周囲を見回した。まるで品定めでもするように一瞬、鋭い瞳でユリアの顔を確認した後、スイッチで切り替えたように瞬時に穏やかな笑みを浮かべ静かに話し始めた。
「僕の名前はブカ。オレンジジュースを愛するしがない旅人です。以後お見知りおきを」
穏やかな笑みと同様に穏やかな口調で言われ、やはり何となく力が抜ける。このブカとかいう旅人は人間から気力を奪う魔法でも使えるんじゃないだろうか。
「そしてこの子はチマです。ほらチマ、ご挨拶は?」
「はじめ、まして、です!」
「あは、可愛い!チマちゃんはブカさんの妹さん?」
「え?いや、あの…チマは僕の…あー………恋人、です」
「へぇー…って、はああぁあぁっ!?」
ユリアは思わず大声を上げて椅子から立ち上がった。腕を身体の前にかざし本能的に半歩下がる。ブカの言葉は先程のユリアの疑問を解消する意味を持っているはずであったが、何というか…理解したくないというか、人としてしてはいけないというか。
ユリアの侮蔑と嫌悪が混ざった冷たい視線にブカが青くなった顔を引きつらせていると、ブカの隣に座っていたチマがブカの腰に腕を回し(きれていなかったが) 、嬉しそうに可愛らしい笑顔を浮かべた。
「チマ、ブカ、恋人。ずっとずっと、一緒。チマ、ブカが好き、ブカ、チマが好き、です!」
宣言するように高らかにそう言って、チマはブカの身体に頬ずりをし始めた。そのチマの小さな頭を優しく撫でているブカの顔をよく見ると、どうやら「そういうことにしておいてください」と言いたげな表情であった。…成程、チマちゃんが哀しまない為に、というわけか。よかった真性の変態じゃなくて。医者ではなく警察を呼ぶところだった。
「で?しがない旅人とその恋人さんが、こんな辺鄙な村に何しに来たわけ?」
自分が住む村を貶めるつもりはないのだが、はっきり言ってここは田舎も田舎、ど田舎である。美しい海があるわけでもないし、かといって幻想的な山々が連なっているわけでもない。観光名所も何もない。行商の人々が都会へ行く途中でたまに足休めに立ち寄る程度の村なのだ。
この二人もこの先にある大きな街へ行くつもりなんだろうと、何となく見当をつけていたのだが。
「えぇ、実はある人を訪ねに来たんです」
「訪ねる、です」
二人はユリアの予想を見事に裏切る発言をした。
「こんな田舎まで?お友達?」
「いえ、お会いしたことはありません」
「なんて名前の人?ここは小さな村だから、皆が顔見知りなの。名前がわかれば案内してあげられるけど」
「あぁ、それは有り難いです…こらチマ、行儀よく食べなくちゃだめだろう?クリームがついてるじゃないか」
「むぐぐー、です」
ブカはチマの頬についた生クリームを自分の着ているコートの裾で拭うと、最後の仕上げと言わんばかりに再びチマの頭を優しく撫でた。微笑みあう可愛らしい恋人同士にユリアが思わず頬を緩めていると、ブカはゆっくりユリアへと顔を向けて、本当に穏やかに笑った。
「不老不死を手に入れたと言われている、ジン=カーネスさんにお会いしたいんです」
その瞬間、ユリアの心臓が痛いほどに跳ね上がった。カウンターの奥でグラス磨きをしていたマスターも驚いたようにこちらを向いたのが視界の端に映った。その反応はユリアとマスターにとっては当然のものであった。何故なら、その名前が声となって耳に届いたのは実に一年振りのことだったからだ。
「あぁ、確かカーネスさんには娘さんが…えぇっと…そうそう、ユリア=カーネスという娘さんがいるはずです。ご存知ですか?」
ユリアは答えなかった。いや、応えられなかった。全身を巡る血液の一滴一滴が心臓になってしまったかのように体中がどくどくと脈打っている。暑くもないのに汗が浮き出て、開けたままになっていた窓から流れ込んだ風がそれを不器用に撫でた。流動する感触は、眩暈がするほどに冷たかった。




