表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第五話

「着いたぞ」



天使の一言で、それまでうなだれていたオオツキは首を上げた。


「此処が天翔る国―――お前らが一般的に魂の還る場所と形容してる、天国だ」


オオツキの眼前に広がった光景―――それは、誰もが想像するであろう、土地は輝き、神々しく天使が舞い踊る極楽浄土ではなく―――実に現代的な光景だった。


交通整備の施された道路。立ち並ぶ高層ビル。道を歩く人々。オオツキの感覚で言う「現世の都会」と全く寸分違わない光景。


「言っただろ?天界も発展していったんだって。あれ見てみな」


天使の指差す方向に在ったのは、大型の巡回形バス。目的地には御丁寧に『地獄行き』と表記されている。


「今や天国から地獄の行き来なんて自由なもんさ。向こうは向こうでアバンギャルドで楽しいなんて抜かす奴も沢山居る。ま、娯楽に困らねえ街なのは確かだがな」


「……はぁ。そうですか」



オオツキも地獄が贖いの場で無いことは認識している。既に彼も天界の状況について順応してしまっていた。純白の世界とのギャップを再確認するオオツキの双眸は、新たに奇妙な人物を捉えていた。


大正の文豪を思わせるボサボサ髪の男が、書店らしき建築物の店員に何やら口を尖らせながら物申している。


「天使さん、あれは……」


「ああ、あいつか?ありゃ太宰治だ」


「へーえ、太宰治………へ?」


オオツキは一目もはばからず素っ頓狂な声を上げる。


「え、太宰治って……あの?」


「二代目太宰治だとかそんなものはないだろ。正真正銘『走れメロス』や『人間失格』を執筆した大正の文豪、太宰治だ。自殺の罪を地獄で償った後にまた作家として活動してるが………ありゃまた抗議してるな」


「抗議?何の抗議ですか?」


「最新作が未だに店舗に陳列されてないことが癪に触ったらしい。100年前とやってることは変わんないな」


歴史上の有名人が、こうも鮮やかに一般に溶け込んでいると思うと、オオツキは何か奇妙な感覚に襲われる。しかし考えてみればどこかしらに何やら怪しい会社名及び看板名がずらりと並んでいる。徳川物産、ナポレオン航空、、ペルリ水産、イスカンダル生命保険。選挙看板には田沼意次、タレーラン、クロムウェル、田中角栄といったそうそうたる面々の名前で溢れている。


「あの寂れている看板は何ですか?」


「ありゃ確か、足利義昭株式会社だな。経営がド下手くそでな、今や織田建築の『お茶くみ』よ」


「死後の世界も世知辛いものですね………」


「のうのうとしてる場合じゃねえぞ。あくまでも俺達の目的地は三途の川だ。三途の川の手続きが終わらなきゃ辿り着けない所を、お前は羅刹国に落ちたから、経路変更で先に此処に辿り着いたんだ。大体下界でお前がどんな奴だったか、どんな状況で死んだのか、そもそも生きてんのか死んでんのかも確認しなきゃならないんだから此処で油売ってる場合じゃねえんだよ。ほら、きびきび歩け」


長々とした説明を終えて、曲がり気味のオオツキの背中を平手で叩く天使。


オオツキはそれを受けて、少し体裁の悪い顔を作る。


「……はは、何だかあなたと居ると、少しばかりか心が和やかになりますよ」



不思議と、オオツキの心は落ち着いていた。これだけの突拍子もない光景を双眸に焼き付けて置きながらも、平静を保っているのは、他でもなく天使と名乗る青年のお陰なのだろうと、オオツキは密かに感謝の念を天使に送った。


「俺も今あんまり金も無いしな………よし、バスで行くか」


近場のバス亭でバスを待つこと数分。『三途行き』と書かれた比較的小型のバスが停まり、二人はそれに乗り込む。都会でありながら、そのバスにはオオツキと天使しか乗客は存在していなかった。


天界の喧噪を隔てる様に静かに時間の流れ行く車内。暫くすると、少しずつ窓から見える風景は霧が深まっていく。


「羅刹国でしたっけ。そこからの移動もバスで行けたら良かったですね」


「お前一体誰の賃金で乗ってると思ってんだ?」


口からふと零れた言葉だったが、オオツキは墓穴を掘る思いに駆られる。良く考えれば自分は一文無しで、全てこの青年の世話となっている。


「それにな、もし羅刹国にバスが通ってたらな、俺とお前はトマスのおでん屋なんか眼中に入りもしてなかったんだ」


おでん屋をしながら『贖罪の旅』を続けるトマス・アルバーン。オオツキはつい先までの記憶を回想する。けしてその思想には納得は出来なかったが、口には確かに含んだ大根の味が、トマスの人柄が残っている。もしもあそこにバスが通行していれば、彼に会うことは無かった―――オオツキは短絡的で安直な自分の発言を恥に思った。


「『便利』ってものはある程度人と人との出会いを犠牲にして出来上がってんだ。コンビニエンスストアなんてそうさ、そこにあるだろ」


天使の指を指した方向には、霧でうっすらとしか見えないが、確かにコンビニらしき建物が見える。『リョウマート』と言う名前のコンビニの様だ。


「客は店員に商品を出すだけで、一言も発することなく商品を手に入れることが出来る。店員も店員だ、笑顔一つ見せず決められた言葉だけ言ってりゃ仕事になる。そこにコミュニケーションなんてものは存在しない。結局生きてても死んでても、人間は便利さばかりを追い求める。本当に大事なものを遠くに忘れていったことにも気付かないでな」


天使の言葉は、けして推測論ではなく、確かな経験によって語られている様に思われた。少なくとも、自分に見栄を張りたいから、といった見え透いた言葉ではなく―――苦悶を味わった人間のもつ独特の深慮が天使の言葉には現れていた。


「……貴方は、一体何者なんですか」


出会った当初と同じ質問をする。あの時とは少しニュアンスが違う、疑いの心でない素直な疑問をぶつける。


オオツキは天使に自分と近いものを感じていた。記憶を失う以前の自分が分からないにも関わらず、オオツキは不思議と彼のもつ不可解な雰囲気に引き込まれていた。彼を知れば、もしかすると自分の記憶の手掛かりを掴めるかもしれない―――そんな希望さえ持ち始めていた。



だが、その希望を掻き消す様にバスは目的地へと到達する。



~~~~~~


―――静かな場所だった。どんよりとした薄暗い雲に包まれ、空は薄紫紺に染まっている。霧は深く、瞳を凝らさなければ足の踏み場さえ見失ってしまう。


三途の川。現世から離れた者の魂が、川を渡り冥土へと運ばれ行く場所。本来ならば、オオツキは此処から天界へと渡らなければならなかった場所。オオツキの記憶の手掛かりに、最も近い場所。

とは言え、オオツキ本人にその実感は無く、寧ろ天使の方が事の重大性を理解している様な面持ちで立っていた。


「どうした。気の抜けた様な顔して。心なしか顔も青いぞ」


「いや……なんか……此処……寒気が立っている感じで、ちょっと気持ち悪くて」


「直ぐにその気持ち悪さの正体は掴める。我慢しな」


そう言った天使は何やら回覧板らしきものを懐から取り出し、ペンで何かを書く。次の瞬間、それは別の生き物の様に神々しく目映い光りを放ち、雲の彼方へ消えてしまった。


「い……今のは?」


「入門票……みたいなもんだ。天使と、それに追随する奴の名前書いて『入っても良いですか』ってサインを送るんだ。俺達はOKだったみたいだな。ほれ、ついて来な。


お前の下界の姿、見付かるかもしれねえぞ」


天使はそのまま深い霧の中を前へ前へと進んで行く。


彼の言葉に間違いは無いのだろう。実際、彼は天界に着いてから長い間感じていた浮遊感が、この河川に着いてからは感じない。寧ろ地に足がぴたと張り付いた感覚がある。肉体が現世のものに近付いているのだろうか。


だがそれは、オオツキに安堵を与えるものではなく―――逆に、そこはかとない不安感を埋め付けるものだった。何か、自分を大きく揺さ振るものが直ぐ傍にあるような―――




―――促されるままに、天使が手招く方向へと歩いていく。


濁った青が広がっている。美しいとは到底形容出来ない濁り江だが、色は辛うじて青と判断出来る。それが三途の川を覗き込んだ印象である。


「あの……何も見えませんが」


「黙って覗け。目を背けずに覗け。お前の求めているものは確かに此処に有るんだ。例え何が見えても逃げるな」


天使の強い語彙に押され、強迫観念にも似た思いで汚れた川を覗き込む。





最初は何も感じなかった。こんなことをして何の意味が有るのか疑問に感じる程に。


変化が見られたのは覗き込んで15分程経過した頃だった。


濁ったままの水面下に波紋が生じては消えていく。石を投げ込んだ訳でも何でもない。にも関わらず、次々と波紋はその輪郭を広げていく。


やがて濁っていたはずの水面が、その広がった波紋の面積の部分だけ煌々と光り輝き、聖水の様に透き通って行く。


オオツキが更に覗き込むと―――そこに映っていた景色は、現世の日本だった。日本がありありとその姿を恥じらうことなく現していた。


最初はただまじまじと見つめていただけのオオツキであったが、やがてその水面が見せる景色は変わっていく。


保育所。幼稚園。小学校。中学校。そして、職場。


オオツキはその風景に見覚えが在った。そしてその風景は、オオツキに忌まわしい記憶を蘇らせていく。


失せろ。消えろ。死ね。カス。ゴミ。グズ。次々と現れては消えていく罵倒の言葉の数々が、オオツキの脳内にへばり付いたまま離れようとしない。


喉から焼ける様に熱い嘔吐を吐き出す。瞳からは傷みがそのまま形になった様な涙が流れる。それでも透き通った水面は容赦せずに、彼の心をズタズタに切り裂いていく。


「ううう、うああああ」


逃げようともがく様に立ち上がろうとしたオオツキだったが、天使が腕と頭を掴んで、オオツキの動きを御する。逃げるな、目を背けるな。彼の言葉がオオツキの心を突き刺す。赤子の様にひとしきり泣きじゃくるオオツキ。目をつむるが、もう遅かった。水面の見せる景色はオオツキの心中へと直接侵入し、彼に記憶を植え付けていく。紛れも無い現実を。逃げることが敵わない現実を。








やがて、オオツキが最後に見せられた記憶は―――






―――病室で一人、延命装置を身に纏いながら横たわる、自分の姿であった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ