01話
「お困りですか?」
俺が泥に車輪を取られて動けなくないっていた荷馬車が抜けだす手伝いを頼まれたは良いが、まったく動かず困っていた時に背後から鈴を転がすような声をかけられた。
びっくりするような綺麗な声に、どこのご令嬢かと思い振り向くと、そこには180フィー(180センチ)を大きく超え、190フィーに届こうかという背の高い女性が立っていた。
「おう、姉ちゃんも手伝ってくれんか?」
俺が驚いて何も言えずにいると、荷馬車の持ち主である親父がその女性――、輝くような銀髪をポニーテイルにまとめている、に助けを求める。
「お任せ下さい」
彼女はそういうと腰を落として俺の横に並んで荷馬車に手をかける。
「いつでもどうぞ」
「よし、それじゃもう一度いくぞい」
二人のその声に我に返り、慌てて俺も構えをとる。
「そーれいっ!」
親父が掛け声とともに馬に鞭を入れる、それに合わせて荷馬車を突き上げるように押す。先ほどまでは僅かに浮くだけで抜け出す気配がなかったが、今度はまるで畑から根野菜を引き抜くようにあっさりと抜け出す。
「おー、こりゃすごいのう」
親父の驚く声に俺も内心同意する。悔しいが、おそらくは俺が居なくても彼女だけで荷馬車は抜け出すことが出来ただろう。
「雨上がりは道がぬかるみます、お気を付け下さいね」
「通いなれた道なんで油断しちまったんさ……。おっと、そうそう二人には礼をせんといかんなぁ」
「そのような事はお気になさらないで下さい」
「まぁ、そう言いなさんなって。売れ残りで悪いが味は保障するぞい」
親父はそういいながら俺と彼女にリンゴを数個づつ押し付けるように渡してきた。俺も彼女も――結局は親父の勢いに負けて受け取る。表面がつやつやとしていていかにも美味そうだ。
「なんか俺までもらうのは気が引ける気もするな……」
「んなことねぇ」「そんなことありませんわ」
俺がぽつりとつぶやくと、親父と女性は何をばかなという風に否定する。
「人を助けようという気持ちは尊いものです」
「んだ、お前さんが何も言わずに荷馬車を押してくれた時はどんなに嬉しかったかわかんねぇ」
二人にそう言われ、少し照れくさくなるが悪い気持ちはしない。
「んじゃありがたく頂くよ」
答えながら照れ隠しにリンゴに噛り付くと酸味とたっぷりと入った蜜の味が口の中いっぱいに広がる。
「うお、これは本当に美味いな」
「あら、本当ですわね。こんな素晴らしいリンゴはめったに味わえるものではありませんわ」
「だろう」
俺と、同じようにリンゴを口にした彼女が絶賛すると親父は誇らしげに笑った。
「それじゃあ気ぃつけてな」
「親父さんもな」
「美味しいリンゴをありがとうございました。ご亭主様もお気をつけて」
結局三人でリンゴをひとつづつ食べるとそういって別れる。親父は自分の村へと、俺は反対方向にあるとある街へと、そして彼女は――。
「貴方様もこの先の迷宮都市へ向かわれるのですか?」
どうするのかと声をかけようとしたときに、先にそう言われる。
「そうだけど、どうしてそう思いました?」
「腰に剣を差していますもの。それにどこかわたくしと同じ雰囲気を感じましたわ」
「って事は……」
「ええ、わたくしもかの迷宮に挑むために参りましたの」
そういって彼女は腰にぶら下げた、鉄球からいくつものスパイクが飛び出した頭部をもつ凶悪な武器――モーニングスターの柄を軽く叩いて見せる。
声と顔は可憐なお嬢様という風だが、そのずば抜けた長身と服の上からでもわかるくらい鍛えられた体。そしてその腰を飾る実用一点張りのモーニングスター。そのどれもが彼女が優れた戦士であることを示していた。
俺がじっとその武器を見つめていると
「家から持ち出した武具はこれだけですの。あとは家に頼らずに自分で何とかしようと思いまして」
そういって愛おしそうにモーニングスターをなでる。
「俺も師匠に餞別としてこの剣を貰ったきりだ」
あとは少し丈夫な服を着ている程度で、とてもいっぱしの戦士とは言えない格好だが、元農家の息子では仕方ない。
「ところで、俺はクルトって言うんだがあなたは?」
「あら、これは申し遅れましたわ。わたくしはエレオノーラと言いますの。よろしくお願いいたしますわクルト様」
「農家の息子に様は止めてくれよ、エレオノーラさん」
「それならばわたくしのこともエレンとおよび下さいませ」
俺が苦笑しながら言うと、エレオノーラ――エレンさんがそう答えた。
「それではクルトさん。目的が同じなら一緒に行きませんこと?」
「そうだな、俺もエレンさんと一緒なら心強いよ。ぜひお願いしたい」
「クルトさんは迷宮都市にお詳しいんですの?」
日の傾いてきた街道を街へを向けて歩いているとエレンさんがそんな事を聞いてきた。
「俺も行ったことはないんだけど、俺の師匠がずっと迷宮都市で冒険者をやっていたんで話は聞いてるよ。と言っても実際迷宮に潜る際の細々とした取り決めなんかは現地で聞けと言われたけどね」
「それでもよろしいのでわたくしにも教えてくださいませんか?。恥ずかしながらわたくしはど無限に魔物の湧き出す迷宮という事くらいしか知らないのですの」
それでよく挑もうと気になったなと思いつつ俺は師匠に聞いた話を思い出す。
「迷宮都市っていうのは通称で、マンハイムっていうのは正式な名前らしい。まぁ、あんまりこっちで呼ぶ奴は居ないらしいが」
そのくらいは流石に知ってるだろうけど、話のとっかかりとして話すことにした。
「元々マンハイムは古代都市の廃墟だったんだが、その中で80年前に迷宮が発見されたんだ」
「確か冒険者ではなく、騎士の一行がたまたま見つけたと伺いましたわ」
「そう、ずっと昔からあったものらしい。それを巡察隊が普段は通らない廃墟を通った時に偶然見つけたんだ。どうもその少し前にあった地震で入り口の封印が壊れたんじゃないかと言われてる」
そこまで話したところで街道の先に迷宮都市の外壁が遠くから見えてきた、およそ2リッド(2キロメートル)くらい先だろうか。
「それから冒険者が集まるようになったんだが、他の迷宮と決定的に違うことは無限に魔物が湧き出すのと、同じように財宝なども取り尽くされることがないって事だ。普通の迷宮は一通り住み着いた魔物を退治して財宝の類を見つけてしまえば、あとは何もなくなってしまうがここだけはそうじゃない。だからこそ迷宮を中心とした街なんてものが出来たんだろうなぁ」
「そうですわね、言わば堀尽くされることのない鉱山のようなものかもしれませんわね。少々危険すぎますが」
鉱山、確かにそんな感じなのかもしれない。迷宮が見つかった当初は別として、今は持ち出される戦利品と迷宮に挑む冒険者たちの落とす金は国の財源の一つとなっているらしい。
「あと、迷宮発見当初はともかく、今はそれなりに初心者の手助けをしてくれるらしい」
「そうなんですの? それを聞いて少し安心しましたわ」
俺もそうだ、師匠からその話を聞いてなければ多分いきなりここに来ることは無かっただろう。しかしそのことも知らずに来たエレンさんの胆力は大したものだ。もしかしたらあまり物事を難しく考えていないだけかもしれないが……。
「街に着いたら迷宮挑戦者育成指導所、通称育成所ってところに行け後のことは教えてくれるそうだ」
「どんなところなのでしょう、楽しみですわ」
見上げた彼女の表情には何の不安の影もなく、本当に楽しそうにそう言って笑っている。やはり大物なんだろう。
「ところでエレンさんはなんで迷宮都市に? 俺はぶっちゃけ継母との折り合いが悪くて逃げ出してきたようなもんだが。師匠ももっと鍛えてから迷宮に挑むべきだとは言ってたんだけどなぁ」
継母のことを思い出すと苦い思いが湧き上がってくる。
「そうですわね……。わたしくも逃げ出してきたんですわ。我が家は代々騎士の家系なんですが、母はわたくしを生んでからは子宝に恵まれなくなってしまいましたの」
すこし遠い目をするエレンさん。
「幸いにしてわたくしの国は女性でも騎士となる道が開かれていたのですが、それには魔力か法力のどちらかを持っていることが必要で、わたくしにはそのどちらの才能もありませんでしたの」
「それは……」
「しかし、近衛騎士団だけは別で、純粋に白兵戦に優れていれば採用されますの。でも……」
「でも?」
エレンさんの言葉尻を引き取るように言うと、彼女は寂しげに続ける。
「近衛騎士団の選抜試験は一般の騎士団からの挑戦者も多い難関ですの。17歳の時から毎年受けたのですが4度とも力及ばず不採用となってしまいましたの」
実戦慣れした騎士とただ訓練だけしていた自分とでは格がちがったとエレンさんは言う。
「それで修行として迷宮都市に?」
「いえ、そんな前向きな理由ではありませんの。わたくしには17歳になる義弟が居るのですが――7年前に父の親友の忘れ形見を引き取りましたの、その義弟には剣技と魔術の才があり今年晴れて騎士となりましたの」
「それは……」
「いえ、それで義弟と揉めたとか父から見放されたとかそういうことは一切ありませんの。義弟はわたくしを慕ってくださいますし、わたくしも義弟の事はかわいくて仕方ないくらいですの」
「それでも、やっぱり家に居づらくなったんですね」
「ええ……、私は家族全員を愛しておりますし、家族もわたくしを愛してくださってると信じています。――ただ自分の心の弱さから逃げ出したのですが」
エレンさんの話を聞くと継母が嫌な奴だからと言って半端な状態で逃げてきた自分が少し恥ずかしくなる。
「そして、際限なく戦いが続くという迷宮で自分を鍛えなおせば進むべき道が見えるのではないかと思いましたの」
エレンさんはそう言って話を締めくくる。そしていつの間にか迷宮都市の城門が俺たちの眼前に迫っていた。