第九章 期待と不可解な現実と。
筑紫が帰った後、俺はぼんやりと考えた。
―もしベタベタしすぎて飯山に嫌われたところで、どうせ高校は違うし、おそらく行く大学も全然違うだろう。それならば、せっかくだから、少しくらい攻めてもいいかもしれない。
まずありえないことではあるが、もし向こうがまんざらでもなかったら、それはそれでラッキーだ。
俺は、ぜひともドヤ顔で筑紫に、飯山とのツーショット写真を見せつけてやりたい、と考えた。
友情もへったくれもあるか。ここまで来たら引いてたまるものか。これこそが日本男児の正しい生き方でではないだろうか。
その翌日、俺はいつもの時間にいつもの階段に向かった。だが、飯山はいなかった。
おかしいな、などと考えていると、後ろから声をかけられた。
誰かと思って振り返ると、いつも飯山と一緒にいる、背が低くて目鼻立ちのくっきりした女の子が立っていた。俺は軽く、首だけで会釈をした。
「サキちゃんのこと探してるんですか?」その女の子はニヤッと笑いながら言った。
肯定するのが何だか悔しかったので、俺は意地を張って違う、と答えた。
「正直じゃない人ですね」その女の子はそう言って笑った。いつもはいかにも性格のきつそうな顔だが、笑うとなかなか可愛い。
「サキちゃんは駅前の本屋さんに寄ってから来るそうですよ」「会いたいんなら、行ってみたらどうですか」その女の子はまるで俺の心を見透かしたかのように、微かに微笑みながら俺に言った。
なんと恐ろしい女子高校生なんだろう。あの子の思った通りに行動してたまるものか。
俺はそんなことを思いながらも、駅前の本屋へ足を延ばしてしまうのだった。
というのも、この夏、俺がこの予備校に来るのは、今日が最後だからだ。
俺は本屋に着くと、参考書コーナーへ向かった。俺が思った通り、飯山の姿があった。
今日は露出の少ない、大人びた格好だった。俺はなぜか安心した。
飯山は俺に気づくと眉をあげて合図した。喜んだ風にふるまうのが何だか癪なので、俺はゆっくり飯山のもとへ歩いて行った。
「ども」飯山はそういうと敬礼のような仕草をした。悔しいが、可愛い。
長い黒髪を頭の斜め後ろで縛ってポニーテールにして、肩に流しているからだろうか。妙に大人びて見える。
「何探してんの」俺は飯山に話しかけながら、すこし手元を覗き込んだ。
飯山は、超高難易度で有名な数学の問題集数冊を吟味しているところだった。
これが彼我の差である。二流公立進学校と、超一流私立進学校の差である。
「飯山、そんな問題集やって、どこ行く気なのさ」俺は苦笑いしながら言った。
「えーっ、内緒にしときたいんだけど」飯山はそういうと笑った。
―内緒にしておく必要がどこにあるのだろうか。俺は少し理解に苦しんだ。
「K大?」「違う」「まさか、T大?」「惜しい、ちょっとなんかつけてみ」
―T工業大。 理系の受験生なら、恐らく一度はその名を耳にしたことのある超名門国立工業大学である。
俺は笑うしかなかった。「なんでまた、そんな男まみれのところに?」俺はやんわり疑問をぶつけた。
「化学やりたいんだけどさ、日本でT大K大以外で化学強いって言ったらあそこなんだよね」
なるほど。俺は妙に納得した。
「そういうわけで、大学入ったら、女捨てる覚悟です」飯山はニヤリと笑った。
「だから最近妙に着飾ってたのか」俺がそう言うと、飯山はうなずいた。
わざわざ工業大学に入ったからと言って、女を捨てる必要性があるのかどうか、俺にはよくわからないが、こいつなりの覚悟の示し方なのだろう。
それより、筑紫の野郎、適当なこと言いやがって。俺は筑紫に憤慨すると同時に、少し理解に苦しむ事実に驚いた。
そして、少し落ち込んで、家路についたのだった。
(第十章に続く)