第五章 迷路の始まり
ある初夏の暑い日の放課後のことだった。
いつものように教室の最後列を占拠し、下敷きをうちわ代わりにパタパタしながら教室の人の往来を眺めつつ、俺たち五人は他愛もない思春期トークで盛り上がっていた。
「ま、学年トップは美加たんで決まりだな」
イケメン以外が言うと気持ち悪い男の気持ち悪い発言にしか聞こえない台詞を、驚くぐらい爽やかに、小村が言ってのけた。俺はこれが彼我の差か、と愕然とした。
「お前ちょっと前まで小嶋さんのほうがいいとか言ってたじゃん」
徳元が一度、教室の端っこにいる小嶋のほうに顔を向けた後、あきれたような苦笑いを浮かべながら言った。一同が笑った。小村が焦りだす。
「あれはほんの一瞬の気の迷いだ。それに小嶋さんは滝川とできとるだろうに」
「おっと」
「小村さんこの前、俺の手にかかれば滝川から小嶋さんを奪うなんて余裕、とか言ってたじゃないですか」
藤岡が何故か敬語で、小村の調子に乗った発言を暴露する。一同がさらに笑う。小村の顔が赤くなる。
「それはネタだ、本気にするな」小村が必死になっているのが見え見えだった。一同が笑った。
もっとも、ネタとはいえそんなことを言える小村の神経が一同には分からなかったりする。
「理系2クラスのイケメンリア充代表格」の呼び声高い滝川宗佑が、小学校以来「可愛い女子」「好きな女子」の話題になれば必ず話題に上る小嶋紗弥加と梅雨が明けた頃から付き合いだした、というのは、理系男子界を中心にひそかに流れる噂だった。
二人が一緒にいるのを何度も見た、と言う者がいる一方で、ある者は二人はただの友達同士である、と言い、真相はいまだに謎のままだったが、なにかしらの関係がある、というのは間違いなさそうである。
ひそかに小嶋に好意を抱いていた男たちは心の中で血の涙を流しながらも、滝川だったらしょうがない、と小嶋をあきらめ、何の利害も絡んでいない連中はベストカップルだ、ともてはやした。
桐島に振られたショックから立ち直れず、妙にひねくれている俺は、当然の結果だ、可愛い子はイケメンのところに行く、美しいものは美しいものを好むのだ、お前ら馬鹿じゃないのか、と小嶋にひそかに想いを寄せていた非モテどもを鼻で笑ってやることにしていた。なんと醜い。
小嶋紗弥加は実に優しい女性である。俺や藤岡のような学年内のヒエラルキーの底辺級の人間にも、持ち前の素敵な愛想笑いを向けてくれるのである。
これは「ルックス最強、性格最悪」で有名な3組の小佐野里佳のような、人を見かけでしか判断できない人の皮をかぶった鬼畜には到底まねのできない芸当である。
ちなみに、俺は別に小佐野から実害を受けたわけではない。だが、何故かひどく嫌っていた。
小佐野の親父が地元の建設会社の役員で、何かと金持ち臭のする発言を繰り返していたことが、貧乏サラリーマンの息子である俺の怒りの琴線に触れたのか、あるいは小佐野がしきりに「フツメン未満は男、いや、むしろ人間として認めない」的な発言を繰り返していたからなのか、そのあたりはよくわからないが、なんにせよこいつは、妙に俺の劣等感を逆撫でするのである。赦せない。
どちらにせよ、お互いにお互いを人間扱いしていないのは確かなのでこいつに関してはどうでもいい。
俺は必要もないのに駆り出されてきた怒りの感情を封じ込めると、また他愛もない会話に興じた。
それから数日後、俺はある噂を聞いた。
―桐島は、滝川のことが好きらしい。
本当かどうかは定かではなかった。でも、もし本当なら・・・
そう思うと、俺の脈は早まり、胃がひどく痛みだした。
(第六章に続く)