第十八章 微かな光
十月下旬。
俺は受験生とは思えない自堕落な生活をしていた。
朝は遅刻ギリギリに起き、学校へ行き、ほとんどの授業で寝る。放課後は学校に残っていたが、ほとんどまともに勉強せずにだらだらとし、時折他人の邪魔になるようなことすらした。
勉強することの意義を見失っていたので、勉強しなくても何の違和感も感じなかった。
ある日、進路指導の中岡先生が俺を呼び出した。
その内容は、最近あまりにも自堕落ではないか、そんな態度でいられたらみんなに迷惑がかかる。
お前はもともと優秀なのだから今からでも頑張れば国公立大には必ずいける。どうか頑張ってくれ。
というものだった。
しかし俺の気持ちは全く動かなかった。授業でこそやる気のあるそぶりを見せたが、放課後は小村にひたすら恨み言を言い、誰に聞かせるでもなく愚痴を言い、藤岡が必死で構築した後輩の女子との関係を破壊することに精を出した。
教室で見る桐島はもはや限りなくどうでもいい存在である。
クラスの彼女持ちのイケメンと、何故か一緒に下校していたことがあったが、俺はもはや興味すらわかず、ただただ嫌悪感が募った。かつて俺の目に、この女の子は天使のように映っていた。ならば、今この子は、俺にとっては堕天使なのであろう。
道を何人かで歩いていて、誰かがふと「あの子可愛い」などと言っても見向きもしなくなった。
この前、大学生になってから読んだ小説で、主人公が失恋したショックから恋愛不要論を説いてまわるというくだりがあったが、実は俺もまさに同じことをしていた。
もはや俺は、どす黒いオーラすら放っていたのではないだろうか。
自分がどんどんどす黒くなっていくのが実感として感じられ、そんな自分に嫌気がさす日々が続いた。
十一月になろうか、というある日。
クラスでは席替えが行われた。俺はもはや席替えの楽しみを失っていたので、前の席にならないこと以外に何の希望もなかった。
くじ引きが行われ、教壇に立ったホームルーム担当委員が、にやにやと笑いながら席替えの結果を発表した。
後ろから三列目の真ん中。悪くない席だ。俺は荷物をまとめると、その席へ向かった。
俺の隣は全く話したことのない男子生徒と、つかみどころのない性格で定評のある村山文子だった。
村山は桐島の友人で、よく一緒にいるが、ほとんど話したことはなかった。
瞳がキラキラして、いつも幸福感がにじみ出ていて、死んだ魚のような眼をして汚れたオーラをまとった今の俺とは対極に位置する存在である。
友達と和やかに談笑する村山を横目で見ながら、俺はこの子と関わってはいけない、と思った。
俺の心の中の、憎しみとか劣等感とか絶望感と言ったものが、会話などを通してこの子に移って行ってしまうのではないか、などという意味の分からないことを、俺は至って真剣に考えていたからである。
そんなある日の放課後。
「この問題わからないから教えて」という声が後ろから聞こえた。声の主は村山だった。
俺はその頼みを断らなかった。断れなかった。そして俺は村山と一緒にその問題を解くことになった。
俺が説明を交えつつ、一通り解答を済ませると、村山がそのキラキラした目で俺を見た。
「すごいなあ、さすがやなあ、ありがとう」そう言って村山が笑った。
普通ならば、満足感やら幸福感やら達成感で満たされるはずの心に、激しい痛みが走った。
―そんな輝いた目で俺を見ないでくれ。ありがとうなんてやめてくれ。今の俺にはしんどすぎる。
さながら、吸血鬼が太陽の光を浴びて悶え苦しむように俺は苦しんだ。
そして思った。
普通の心を取り戻したい。この黒く染まった心をなんとかしたい。
そんなことを思ったのは初めてだった。
(第十九章へ続く)