第十章 愛すべき馬鹿ども 前篇
そうこうしているうちに、八月も下旬に入り、高校生活最後の夏休みは終わりを告げようとしていた。
今思えば、夏祭りにも花火大会にも行っていない。その時俺は予備校にいた。
高校生活最後の夏休みがこんなんでいいのだろうか。いや、いいはずがない。
リア充どもは海へ山へプールへ、彼女と、または友人と繰り出して、ワイワイやっているのだ。
俺たち非リア充にだって、何か一つくらい、思い出になるようなことがあっても良さそうなものである。
八月下旬のある日。
その日から俺の通っていた高校では補充授業が始まった。
なんでも、秋前に高校三年間の全範囲を終わらせ、センター試験対策に集中するための学校の方針らしいが、まだまだ暑い八月の下旬に強制的に学校に来させられて、喜ぶ奴がいるはずがない。
いたとしたらそいつはよっぽどの学校大好き人間かドMだろう。
しかも、「リア充の巣窟」たる私立文系クラスに限っては、推薦進学者が多数なことなどを理由に補充への参加が義務づけられていないことが、俺を含む理系クラス生のモチベーションを確実に削っていた。
質のいい良問ぞろいのプリントを配るが、致命的に説明がわかりづらいことで悪評高い数学担当の三村の授業と、いちいち上から目線なのが妙に鼻につく英語担当の田辺の授業を乗り切り、推定年齢三十代中盤とは到底思えない若々しさと美しさを備えた物理担当の谷崎先生の授業を満喫したあと、俺は自分が所属する三年二組の教室へ戻った。
教室には勉強にいそしむ受験生の姿、は見当たらず、ここにいる数人の生徒たちは皆、くだらない青春トークに花を咲かせている。
薄々感づいていたことだが、どうやら俺を含むこの学年の連中には、危機感というものがないようだ。
クラスの男子連中は、某アイドルグループのメンバーの中で誰が一番可愛いかについて熱く議論している。
いつ頃からこうなったのかはっきり覚えてはいないが、このクラスでは、男も女も皆このアイドルグループが大好きなのである。
この状況は、アイドルというくくりであれば、ケロケロした声でピコピコした歌を歌っている三人組のほうがずっと好きな俺にとっては相当居心地が悪かったりする。
俺はそっと二組の教室を出て、一組の教室へ向かった。
一組の教室に入ると、いつもの四人を含む理系クラスの連中が十数人、やはりしょうもないトークに花を咲かせていた。
「おっ、居眠り番長」教室に入るなり徳元は俺に向かってこういうと笑った。
確かに俺は数学の授業中爆睡していたが、こいつだって大概よく寝ている。俺がこんなことを言われる筋合いはない。
そんなことを思っていると、机に突っ伏してぐったりしている小村が顔だけこちらに向け、俺の方を見た。
「おい」小村がうめくような声で言った。
「どうした」俺が聞き返すと、小村は突然手足をバタバタさせた。
「八月の初めあたりにお前めっちゃかわいい子と話してたじゃねえか」
「お前にはもったいなさすぎる、とっとと俺に紹介しやがれ」
こんなふうな自分勝手な台詞を次々と、暴れながら並べ立てる小村の姿を見て、俺は笑うしかなかった。
「ちょっと、その話は聞いてないぞ」徳元、藤岡、長沢が見事なまでに同時に、同じ言葉を発した。
俺はさらに笑った。笑うしかない。
「なんだよニヤニヤしやがって!彼女か!」「お前には説明責任がある!」小村がまた喚いた。
俺たち五人があまりにうるさいので、教室の真ん中あたりで勉強していた一組の女子数名が俺を睨んだ。
あくまでも俺の責任ではない。とんだとばっちりである。
「どんな女の子なんですか?」徳元がへらへらしながら、なぜか敬語で小村に聞いた。
「えっとなあ」「目がでかくて可愛くて髪が長くて背が高い」「で・・・胸がでかい」
小村が女子の存在を一切気にせず大声で言った。
「ちょっと待て、それ最強じゃねえか」長沢のテンションが異常に上がった。
男というのは総じて、このように馬鹿な生き物である。
男四人が、紹介しろとか名前教えろとかスリーサイズ教えろとか、口々に好き勝手なことを喚きだしたので、俺はうるせえ、と一喝した。
「中学の同期で名前は飯山だ」「S高校に通ってる」必要最低限の情報だけ喋ると俺は椅子に座った。
「S高校っつったら、女子高じゃねえか」小村のテンションが異常に上がる。
合コンの開催を要求する、などと言って徳元と長沢が再び喚きだした。
一方、藤岡は「同級生には興味がない」という捨て台詞を残して進路指導室へ向かった。
進路指導室はクーラーがきいており、きわめて快適な楽園である。
俺は逃げるように、藤岡の後を追って進路指導室へ向かった。
(第十章へ続く)




