序章【Ⅶ】 初勝負
「うえっ……。くそっ、あの野郎……」
潮風香る、夜の甲板。リックは酔う体をふらつかせながらおぼつかない足取りで歩いていた。酒の飲み過ぎで見事によってしまったのだ。
さらには船が大きく揺れているのも相まって、酔いの気持ち悪さは最高潮に達していた。
どうしてこうになるまで飲んだのか。それは数時間前……、
『よし! 今日は飲むぞ、お前ら!』
ヴェンがそう、高らかに宣言したのが始まりだった。
『お、いいな。良い酒もあるじゃねぇか』
『気が利いてるじゃないの。私も飲むよ』
『私も少し貰おうかな。強いのは無理だけど』
最初は全員軽い気持ちで酒を飲んでいたのだが、場が盛り上がるにつれて、ヴェンがある一本のビンを持ち出してきた。中身はウィスキー、それも、かなり強めの物。
酒が回って判断力が低下していたのが運の尽きだったのか、三人はそれを軽視して口にしてしまったのだった。
『あ、私、もうギブ……。シャイナもやめときって……』
『……すー』
『ったく……。連れてくかぁ……』
いち早くシャイナが倒れている事に気付いたアイラは、飲み会の席を早々と立った。ついでに机に突っ伏しているシャイナを背中に抱え、引きずるようにして部屋に連れて行った。最後に残ったリックも遅からず危険を察知し、席を立とうとするが、
『へっ。男あろう者がもう降参か? だらしねぇな』
『何を……? よし! 上等じゃねぇか!』
と、ヴェンの挑発に乗ってしまったのだった。
その後気付いた時には、既に誰も居なく、真っ暗になっている部屋のテーブルに、一人突っ伏していた。
「う、うぇっ……。こんな飲んだの始めてだぜ、ったく……」
そして寝ようにも、酔いすぎて全く寝付けないので、少しでも酔いを醒ますべく、こうして外の風に当たっているわけである。
風は既に真夜中だというのに、生温かい。季節が夏に移り変わろうとしているのだと、肌で感じられる。
少し鼻に気を使えば、潮の香りが感じられる。海から風に乗って、陸に流れてくる匂いではなく、直接海から感じられる匂いだ。
「ん……?」
酔いを覚ましながら甲板を歩いていると、海を背に手摺に寄り掛かる人を見つけた。
月で輝いている、夜の海と同じ群青色の長い髪が、風で綺麗になびいている。リックは最初、誰なのか分からなかったが、少し目を凝らして見ればすぐに分かった。
「アイラ……?」
トレードマークの白い鉢巻で普段は結んでいる髪を解いていたため、誰なのかすぐに判別できなかったのだ。
「あ……」
アイラはハッとしてリックのほうを見るが、それと同時に何かを手から落としたようだ。その物はリックの足元にまでゆっくり転がって行き、目の前で静止する。それをリックは拾い簡単に観察するが、小さな穴が空いている以外、特に変哲も無い、ただの青いガラス玉だった。
「何だリックか。ヴェンと飲み比べしてたんじゃないの?」
「あのオッサンにはついてけねぇよ……。気付いたら一人でぶっ倒れてた」
「そっか。あ、それ返して」
アイラは軽い会話をした後、リックの前に右腕の手のひらを突き出す。そこには既に赤いガラス玉がある。リックが拾ったのと同じく、穴以外、特に特徴の無い、普通の物。
リックは持っていた青のガラス玉を、アイラの手のひらに乗っける。アイラは軽く礼を言ってそれを受け取ると、もう片方の手に持っていた紐に通して、ネックレスにする。大事そうに、首から掛けて、胸の中に仕舞い込む。そして、先程居た場所に、再び、寄りかかる。
「あんがとね」
「あ、あぁ」
お礼のやり取りをした後、しばらく沈黙が続く。別に気まずいというわけではなく、互いに何も会話していないだけである。
―――そういえば……、初めて礼なんて言われたんじゃないか?
アイラと出会ってからの数日を振り返りながら、リックはふと思う。それは情けないながら、アイラに助けてもらう事が多かったという事。
それと、今の物は大事な何かなのかと。
「あ、えーと、それ、何か大事なモンなのか?」
リックが静けさに耐えられず、沈黙を破りアイラに問いかける。心中で考えている事を悟られないよう、さり気なく。
そんな意図をアイラは知るわけもなく、いつもの明るい調子でそれに答える。
「これ? これはただの預かり物。さっさと返したいんだけどね」
「だったら合って、返せばいいじゃんか」
リックがそう言うと、アイラの表情が一瞬、晴れから一気に大雨に変わった天気のような変化を見せる。が、すぐにいつもの明るい顔になり、返事が返ってくる。
「会えれば……いいんだけどね」
とてつもない違和感を、アイラの表情から感じたリックだが、自分がまだ酔っているのだと思い、その表情を頭から振り払う。が、どうも気になって仕方がなかった。
そんな事を茫然としながら考えていると、次はアイラから話しかけていた。
「そうだ。アンタって強いんでしょ?」
アイラが突拍子もなく、そう言う。
「強いって、剣の事か? まぁ、常人よりは強いとは思うが」
「じゃあ、勝負しよ!」
と言い、アイラは屈んで、壊れて部分毎にバラバラになり甲板にほっぽってあるモップの柄を二つ拾い、大きい方をリックに投げ渡す。残った柄を刀を持つように構え、降り始める。
「ったく、こんな夜中に……。まぁ、酔い覚ましに丁度いいか」
リックも、投げ渡された柄の重さを確認するように、縦に軽く素振りする。
「お、乗ってきたね。剣を落とすか、決定打を与えられたら負け。ま、私はそんな事しないし、させないけどね」
「要するに、お前に『貴方には敵いません』って言わせればいいんだろ?」
そう嫌味を笑いながら言い合い、二人は剣を構える。目は瞬き一つ無い、真剣そのものである。
「言っておくけど、手ぇ抜いたら、ただじゃ済まないからね!」
「んな事しねぇよ!」
リックはそう言って、剣を両手で持ち、振りかぶった。
「返り討ち!」
二つの柄が、木と木の当る、心地よい響きと共に交差した。この時始めて、二人が相まったのだった。この時から始まった二人の勝負は、いずれ思いにもよらない決着を見せることとなる。