序章【Ⅲ】 群青の剣士
「で、シャイナ。お前は何でこんな所に一人でいたんだ?」
二人はまだ少しだけ熱を放っている焚き火をつつきながら、軽い談笑をしていた。
談笑と言ってもそれなりに相手の事を知るような内容で、お互いが偶然といえど出会ったこの状況を確認しているといった感じである。
「シフランにいる人に会いに行くためね」
シフランとはディースの首都。沿岸に沿って市場が並んでおり、この大陸でも有数の活気がある巨大都市であり、同時に巨大な魔法都市としても有名である。世界中から著名な魔法使いがその身を寄せ、日々研究に勤しんでいるというのは有名な話。
ただ、ここからシフランに行くには、この巨大な大森林を越えなくてはならなかった。
「シフランか……」
「何か文句ある?」
リックは不満そうに言うと、騒ぎたてるシャイナを横目に腕を組みながら木と木の間を左右に歩く。どうやら何かを思考しているようだ。
そして突然、よし! と言い、続けて口早にこう言った。
「俺がお前の目的を果たせるまで、着いてってやるよ」
いきなりの提案に、シャイナは驚きの表情を隠せない。目を思わず見開いて、唖然としてしう。
「え……? まさか、それって本気?」
「ああ、どうせ一人旅だ。それに男一人ってのもいい加減……」
「変態」
「何だよそれ! 下心があるってのか?」
「当たり前じゃない!」
シャイナはそれを猛烈に断るが、リックも何故こんなに引きとめるか分からないくらいに引きさがらない。どこか男としての意地が、中途半端に出てしまったようだ。
五分の討論の末、結局シャイナは折れリックと共にシフランに向かうことになった(この場合はなってしまった、だが)。
「いいじゃない! 着いてきてもらおうじゃないの!」
半分はシャイナの開き直りだったのだが。
「よし! 決まりだな。それじゃあ早速、どう行くかだが……」
そう言いリックは自分の荷物から年季の入った世界地図を取り出した。
それは所々シミが浮き出ており、破れた個所を修正した後もある。少し引っ張れば、いとも簡単に避けてしまいそうな、色褪せた地図。相当古い物だというのは、鑑定士でも無いシャイナの目でもよく分かった。
「随分とボロっちい地図……」
「まあ確かにそうなんだが……。ほら、世界地図って今お高いだろ? だからコイツを愛用してるわけよ。それにこ
れ、ボロっちいクセに有能なんだぜ?」
この大陸では、世界地図という商品は中々値の張る物である。と言ってもここ最近の話。
理由としては、地図はすべて手書きで作られているためと、ここ数年で大きな地殻変動があったために、いままでの地図のベースが正確さを欠いてしまったことにある。
それと単純に、必需品なため高くしてもしぶしぶ買う客はいくらでもいるので値上がりしてるというのもあるのだが。
「あ……、コンパス無いんだった……」
「貴方大丈夫? 不安になってきたんだけど……。はい、私の貸してあげる」
シャイナはリックに小さめの携帯コンパスを手渡して、方向を確認しつつ地図と照らし合わせる。
その様子を覗きこむようにして見ているシャイナだが、ここである一つの疑問に突き当たった。
「でも、古いのに正確なのって何で? 最近、地殻変動があったんでしょ?」
「それは俺にもよくわかんねぇが、どうもこの地図は魔法の類が関わってるらしくてな。地形が変わるために勝手に書き換えられるんだ」
「勝手に書き換わる? 不思議ね」
世界広しといえでも、こんな地図はそうそう無いだろう。
世の中には古来より伝わる道具や武器等が数多くある。絶対に燃える事の無いマント、いつまでも水が湧いてくるという杯、決して折れる事の無い剣、射てばどんな的にも百発百中するという弓……。
シャイナは何でこんなただの旅人が、そんな事実かも疑わしい道具に匹敵するような地図を持っているのかという疑問を持ちつつも、地図に大きく興味を持っていた。
「さて、と。じゃあシフランに向かうにはここを突っ切るのが1番早いんだが……」
リックは地図の木が生い茂る場所を指で指す。
そこは今まさに自分たちがいる森である。西は厳しい山脈が並び、北には巨大な平原、南には海。そして東には海と、目的地である“シフラン”という都市名が書き記されている。
「まあ昨日の出来事じゃないが、ここん所、魔物が凶暴だ。それに食料も少なくなってる。という事で俺は森の南に抜けて、海岸線を沿ってシフランに向かうルートがいいと思うんだ。このルートなら途中にシーブスって港町がある。ただ、距離はザッと見積もって倍になるんだが……どうだ?」
「そのルートでいいんじゃない? 魔物はもう嫌」
昨日の事を思い出したのか、疲れた表情とため息、そして右肩を抱える仕草を見せる。
「じゃあそれで決定だな。それじゃあ、出発するとするか」
と言い、リックは焚き火に水をかけ始末する。そこからたった白い煙から目を隠しながら、腰に付けている剣の金属音と共に軽快に立ち上がる。久々のとの旅の始まりに、心はかなり浮かれているのであった。
「そうだ。1つ聞いていい?」
「ん? 何だ」
最後に髪を留めて身支度を整えたシャイナが、立ちあがると同時にリックに問いかける。リックはその声に一度振り向いて、耳を傾ける。
「何で旅をしてるの?」
そして一拍空けて「私だけ教えるのもずるい」と、一言付け足した。
リックはその質問を受けて、一瞬だけ表情を曇らせた……ように、シャイナは感じた。だがそれを確認しようとした時には、既に普通の表情に戻っていた。リックあまり関心はないかのように振る舞い、答えを返した。
「旅をするのに理由は必要か?」
そう言って歩き出すリックに、シャイナは首をかしげながら「別に」とそっけなく答えるしかなかった。
♦†♦†♦†♦†♦
リックとシャイナが出会ってから五日ほど経った頃、目的地の港町、シーブスまで後数時間の距離まで来ていた。
二人は朝日を浴びて、きらびやかに輝いて流れる綺麗な川に沿って歩いている。リックによると、この川に沿って行けば町に着くらしい。……のだが、全くと言っていいほどその兆しが見えない。先に続くは緑と茶色の世界ばかり。
「にしても、まだ着かないの?」
「おっかしいなぁ……。そろそろ見えてもいい頃なのに」
「まさか……道を間違えてるって事は……」
シャイナが機嫌が悪そうな口調で尋ねる。つまらない歩き旅に、中々相当ご立腹のようである。
だがリックはその問いに、待ってましたとでも言わんばかりに、自信満々に答える。
「それは無いさ。前に一度来た事があるし、地図にだってそう書いてある」
「まあ地図なら信じるけどさ。ってあれ? 何か聞こえない?」
俺は信用できないのかよ! と横で騒ぐリックを無視し、シャイナは耳に手を当てて感覚を研ぎ澄ます。
聞こえてきたのは水が勢いよく流れる音。そして自分の左を流れる川を見る。川は先程より流れの速さを増していた。聴覚を研ぎ澄まし、シャイナが辿りついた答え、それが滝だった。
「滝……ね。滝があるんだわ」
「お前、よく分かるな……。俺でもなんとなくしか分からなかったんだぞ」
旅慣れしているリックは、それなりに五感は優れていると自負していたが、いかにも旅に不慣れなシャイナが、それ以上の聴覚を持っている事に驚く。こういうのは結局は才能なのだろうと、リックは思いつつも、自分は何なんだという自問自答を感じる。
リックはそんな事を思いながら、古地図をまた広げる。
色が薄れ、判別が難しい地図に目を凝らすと、確かに滝らしき物が町の近くにあった。
「じゃあもう着くじゃない」
「そうだな……よし!」
そう言うと、リックは勢いよく森の中を駆けだした。
シャイナもそれに続いて走り出すが、女の足では追いつけない。
「ほらどうしたぁー。先に行っちまうぞぉー」
「あ、ちょっと待って!」
二人は強くなっていく水の音にかき消されないよう、叫ぶように会話をしながら走る。
二分ほど走った頃には、シャイナは肩で息をしていた。先を行くリックは、後ろを向いて走りながらシャイナをおちょくるように応援していた。
「ほらぁー、遅いぞ、って……うああぁぁぁ!!」
「え? 消えた?」
だが突然、リックの姿がシャイナの視界から悲鳴と共に消える。少し間を開けてからシャイナはリックが消えた地点にたどり着くと、そこは切り立った絶壁の崖だった。
左手には川が滝となって水が落下しており、前方には港町が、その先には青く光る海が広がっていた。
そしてシャイナの目の前には、出っ張っている石に右手でかろうじで掴まり助けを求めているリックがいた。
「た、助けてくれ!」
後ろを向きながら走っていたために、崖から落っこちたのだろう。必死に女に助けを求めているリックは、生まれたての仔馬のように情けなかった。
一瞬見捨てようかた思ったが、本気で落ちそうなので、渋々手を貸すシャイナ。
「全く、何やってんのよ……。ホラ、届く?」
「なんとか……」
シャイナは伸ばしてきたリックの左手を掴む。
必死で上に上げようとするが、荷物の重さもあり、リックを引き上げられない。
「全然上がらない。重いよ……」
「頼む、頑張ってくれ! 石が抜すっぽけそうだ……」
リックが右手で掴んでいる石が不安定に揺れていた。
このままだと、シャイナ一人でリックの全体重と彼が抱えている荷物を支えなければいかなくなる。
片腕を持ってるだけでこんなに苦しいのだ。全体重など支えられるわけがない。
「あ、ぬ、抜けるなぁあぁぁ!」
逆にそう叫びながら体を無駄に動かせば、余計に抜けるという事は想像できなかったのか。リックの願望は無視され、無情に石はすっぽ抜けた。
だが、掴む物を無くした右手は宙を舞う事は無く、他の細い手に掴まれていた。リックが何が起こったのかと見上げると、その手の先にはシャイナとは違う、別の女の顔があった。
「だ、誰……?」
シャイナは突然現れた彼女を凝視する。
髪は夜の海のような群青色、ロングで白い鉢巻でその束を纏めている。目は深い緑色で、印象的である。
上は袖は肩までの布製の服。下は膝下まであるロング。両方とも色は琵琶のような、赤と黄色の中間のような色をしていた。
腰には刀を帯刀しており、わりかし大きめのバックを肩に掛けている。そのことから、自分たちと同じく旅をしている事が窺えた。
「それは後。ホラ、引き上げるよ! 下の奴、大丈夫?」
「あ、ああ……。頼む」
はきはきとした声。
その謎の女は、リックに威勢よく確認を取ると両手で軽々、一気に引き上げた。それに補助され荷物を含めたリックの体は、なんとか地に激突する事無く救出された。
「あ、ありがとう……。で、何者?」
リックは彼女に助けられた事に戸惑いと恥ずかしさを表に出しつつ、訪ねた。リックを見下ろす格好になっている彼女はそれに、明るく陽気な声で答えた。その声は、随分と楽しそうで、愉快そうで、そして何より好意的だった。
「ん? 私? 私はアイラ。強くなるために旅してんの」
そう、群青色の髪を靡かせながら言った彼女。これがいずれリックの好敵手となる女剣士であり、これから末長く旅を共にすることになる彼女との出会いなのであった。
これも、ある意味では運命だったのかもしれない。