序章【Ⅱ】 出会い
この世界は二つの大陸があり、その中で“五巨国”と呼ばれる五つの国と、その中の地域で分かれている。
世界の最南端、五巨国の中で唯一孤立した大陸にあり、海からの資源が豊富な熱帯の島国、レスター。
世界の東に位置するのは、沿岸部を中心に都市が栄え、内陸部は森が多い国、ディース。
世界の北、厳しい寒さを活かした独自の文化と、強靭な軍隊を持つ、ブリドア。
世界の西、温暖で安定した気候を生かした牧畜が盛んであり、広大な草原の国、フォーマス。
そして、ディースの西、ブリドアの南、フォーマスの東に位置する、国。多くの山々と、強国に囲まれた、過酷な大地のガルレット。
そんな五つの大きな国の中で、この運命の物語は東の国、ディースの森の中で起こった、二人の出会いから始まった……
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「迷った……か?」
一人荷を背負い、孤独に旅をしているリックは、ディースに広がる広大な森の中を歩いていた。
歩く、といっても方向を全くといっていいほど見失い適当にだ。何故方角が不明かと言うと、愛用の方位磁石が一つの方向を示せず、ぐるぐると回転しつづけているからだ。
つまりは、壊れた。
「いや、迷ったんじゃない。俺は自由気ままな旅をしてるんだ。方向なんて関係ないさ!」
現実逃避。だがそんな簡単に現実からは逃れられない。逃れる方法は、運よく正しい道を進むか、ここで飢え死にしてしまうくらいだ。
地図はあるものの、方向が分からない今となってはどうしようもない。どんなに優れた地図でも、方角が無ければ、ただの黒いインクの線が描かれただけの紙きれになる。これならばまだ、自分の勘に頼ったほうが動物の本能的に正しい道を示してくれるかもしれない。
リックは実際にそうしているが、見事と言えるほど順調に来た方向に逆戻りしている。
「あーちくしょう! 何でコンパス壊れちまうかなぁ……」
そんな途方に暮れている最中、森の空気を振動させる叫び声がリックの耳に入ってきた。その声に、思わずリックは立ち止まる。
高い声―――声の主は女、そうリックは感じ取った。
「遠くないぞ……。どっちからだ?」
リックは耳を澄ます。自然の中を一人で旅するには、森の中の音を正確に聞き取れるくらい出来なくては1週間と持たずに野生の食物連鎖に呑みこまれてしまう。
十秒……三十秒……一分と、時は静かに過ぎる。
やはり気のせいかと思い、諦め掛けたその時、もう一度その声はリックの耳に飛び込んできた。
今度はハッキリと、その高い声がリックの耳に入ってきた。
「こっちか!」
リックは草が生い茂る森の植物をかき分けながら、その声目掛けて全力疾走した。
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「何なのよ、この数……。反則じゃない?」
叫び声の主、シャイナは森が開けた所で狼型の魔物―――ライガーの群れに囲まれていた。
口に歯がのこぎりのようにズラッと並び、足の先には不気味に伸びる鋭い爪。まさに獣、という言葉を顕著に現す容姿。森の狩人と呼ばれるには十分すぎるほどの容姿。
数は一二頭。一個体としては大した強さではないライガーだが、群れとなるとそういうわけにはいかない。その集団性と俊敏さを生かしたチームワークで、ナワバリに侵入した動物を攻撃してくる。
その特徴ゆえに、一人でライガーの群れに出会うのは非常に危険とされ、世界を回る旅人からは恐れられている。
「フレイム!」
シャイナは飛び掛ってきた一匹のライガーに、下級の火魔法―――フレイムを至近距離で放つ。
その攻撃でライガーが焼かれ、湿った地面にドサッと音を立て、焦げた異臭と共に倒れる。が、近くまで接近を許したせいか、シャイナも右肩を爪で裂かれ、雲のような真っ白な美しい肌からは、血が滴り流れていた。
「うっ……」
シャイナは右肩を左手で押さえながら、ライガーの群れに向けもう一度魔法を放つ。
当たりこそはしないが、それに臆したか、ライガー達が一歩下がる。獣の本能からか、やはり火は苦手なのだ。
だが、そんな事で縄張りに入ってきた人間から、易々と引き下がるライガーではない。リーダーらしき一頭を中心に陣形を整え、次の攻撃に移る。
一頭のライガーが、シャイナに向かって飛びかかる。反射的に本能は避けようとするにも、右肩の痛みがそれを邪魔する。よけられないと悟り、シャイナは恐怖と混乱で、無意識で反射的に目をつぶる。
だが、ライガーの鋭利な爪が目の前にまで迫った時には、シャイナの耳には自分の悲鳴では無く、誰か別の人間の声が聞こえた。
いままで聞いてきた血に飢えた魔物の唸りではない、繊細で綺麗な人の声。
「伏せろ!!」
シャイナはその声に反応してとっさに体を伏せる。
すると頭上で何かが空を切る音と魔物のうめき声、そして肉が切れる鈍い音がした。
「ふぅ、何とか間に合ったな……」
シャイナが少し涙の溜まった目を、恐る恐る開けると、まず一頭のライガーの無残な亡骸が目に入った。腹が切れ、そこから真紅の血が流れ出し、地面はそれを吸って赤黒く変色していた。
そしてもう一つ目に入ったのは、一人の青年―――リック。
森に響き渡る声を辿ってここまで駆けつけたのだ。
「だ、誰?」
「それは後だ。まずはこれをどうにかしないとな」
リックは手短にそう言うと、剣を両手で持ち、ライガー達に刃を向け構える。剣は腕より多少長いくらいの物で、いかにも重そうな両手剣。柄を中心に細かい傷が所々に目立っていたが、歯の部分がよく手入れされており、あまり武具の知識に長けていないシャイナでも大切に使いこまれた物なのだと分かった。
「まだ死にたきゃないだろ?」
「そ、それはそうよ。分かった」
その横にシャイナも並び、まだ出血が止まらない右肩を押さえつつ、ロッドを構える。ロッドと言ってもただの杖ではない。戦うための道具、先端に霊石がはめ込まれた物である。
霊石というのは、見た目は宝石と全く同じ。ただ、宝石の中に魔力を帯びている物があり、そのような宝石が一般的に霊石と呼ばれる物である。
ただ、魔法自体は呪文さえ唱えれば使うことができる。霊石の役目はあくまで使用者―――魔法使いの魔力を高める物。
使用者の能力が高ければ、それに比例して霊石の能力も引き出せる。という事は、それの逆もまたありえるわけだ。
「頭数は十。どうするの?」
「リーダー核を潰せばどうにかなるだろう。援護を頼む!」
簡潔にリックは作戦を述べると、群れの中に突っ込んで行った。単純明快で分かりやすぎる作戦だが、普通に考えればあまりに無謀。一一対二、それもシャイナは怪我をしており高い戦闘力は望めない。しかも剣を構えて敵陣のど真ん中に突撃とくる。
そんなとんでもない奇行に、シャイナは思わず声をはり上げた。
「ちょ……突っ込むなんて正気!?」
「今はこれしかないだろ!」
確かにそうだとしても、己の身で突っ込むなどシャイナには正気とは思えなかった。
それもまだ自分の為ならば理解出来る。だがリック―――この時点ではお互いに名前は知らないわけだが―――は自分のためでなく、他人であるシャイナを助けるために首を突っ込んでいるのである。
普通なら、見て見ぬフリか、逆に他人が襲われているのを好機としてその場を突破するのが世間一般の常識。
「どれだけ危険知らずなの……フレイム!」
シャイナはロッドを構え、再び火の魔法を放つ。今度は道を作る様に、2本の火線を平行線状に火を放つ。
リックに近づかんとするライガーはその火を避けて、リーダーへの道を開けた。その一瞬で作られた陣形が乱れるというチャンスを見逃さず、リックは火によって作られた花道の中を疾走する。
「危険知らずなのは昔っからでな!」
リックはシャイナに遅れた返事を返し、リーダー格のライガーに剣と眼光を向ける。
それに反応し、リーダー格が咆哮を上げると、一騎討ちもさながら正面から向き合い鋭利な爪で斬りかかる。それをリックは体勢を右に逸らしかわす。紙一重のタイミング。
その一瞬の間にリックは剣を握る手に力を込め、一気に斬り上げる。
次の瞬間には、鈍いうめき声。そして剣に斬られたライガーの血が宙を舞っていた。
「お前ら、リーダーは俺が倒した。さっさと塒に帰れ!」
リックはリーダーが倒され、戸惑うライガー達に鋭い殺意さえも感じる威圧感のある目で睨めつけ、そう言い放った。
「……すごい」
シャイナはその瞬間、人とは違う鋭い感覚のような物をリックから感じた。
人の言葉を理解しているかは定かではないが、ライガー達はその迫力と威圧感に本能的に怯えたのか、森の奥に情けない鳴き声を上げながら、退散していった。
「ふぅ、もう大丈夫だな……」
リックはライガー達がいなくなった事を確認すると剣に付いた血を木の幹にこすりつけてから鞘に終い、シャイナの元に駆け寄った。
「傷、大丈夫か?」
「たぶん……」
「たぶん、じゃないだろ! お前、体フラフラだぞ!?」
シャイナの体はもはや自分では支えられず、リックの補佐が無ければまともに経っていられない程に不安定だった。
「だ、大丈夫……。ちょっと…疲れただ…け……」
脅威が去った安心感で疲れが一気に出たのか、最後まで言い終わらないうちにシャイナは膝を折り完全に体重をリックにかける。
恐らく、魔法の乱発による疲労と精神的な疲労が出てきたのだろう。
「お、おい! 大丈夫か!?」
リックはシャイナが気を失った事に大いに焦る。だが、少々騒いだ所で深呼吸をし、冷静になる。
「寝てる……だけ?」
シャイナは心地よい寝息を立てて寝ているだけだった。
表情は穏やかで、先ほどまであのような状況からは考えられないほどだった。
それにリックは胸を撫で下ろすが、それとは別の感情も感じていた。
―――うっ……
よくよく見れば服の右側が破け、右肩が露になっている。ライガーにやられた傷が痛々しいが、その美しい白い肌。髪から香る独特の匂い。リックはそんな物に本能としての何かを感じる。
しばしの間、リックはシャイナを見つめていた。
「って何をやってるんだ、俺は」
リックは首を振って下心を振り払い、シャイナを横に寝かせ軽く肩を手当てすると、毛布を申し訳程度にかけ、キャンプ―――今日の寝床を作ろうと動き始めた。
作業の合間合間に小さな声を漏らしているシャイナを意識してしまい、よからぬ想像をしたのは言うまでも無い。