2章【Ⅹ】 月光の銀浪
「……いない?」
ヴェンが宿舎に辿りつくと、借りていた個室はそれは散々な有様になっていた。
窓ガラスは何かに破壊され、ガラス片がキラキラと室内の床を宝石のそうに輝いている。部屋に唯一の椅子は倒れており、一瞬見ただけでもシャイナの身に何かあったのかは推測する事ができた。
「おい、シャイナ。どこにいるんだ、シャイナ!」
暗く荒れている部屋の中心で、叫ぶようにヴェンはその名前を呼ぶ。勿論、返事は帰ってくる事無く帰ってくるのは海から吹きこむ潮の匂いがした風。部屋は静寂に包まれていた
ヴェンはその返事が無い事に苛立ちを感じ、自身の手に爪が食い込む力で拳を作りその感情を部屋の壁に思いっきり叩きつける。ほとんど無意識に。
「……くそ、俺が動揺してどんすんだよ」
冷静になれ。まず状況を整理しろ。
ヴェンはそう、自分に言い聞かせる。
まず、どう考えてもシャイナが一人で出ていったという可能性は考えられなかった。この部屋の状況から見て普通はそう考えないだろう。
となれば、拉致されたとなる。そして一番拉致をした可能性のあるのは、先ほどからヴェン達を追っている刺客達の仲間と推測された。単純に金目的か何かの人質か、それもと命を絶つためか。どっちかは誰にも分からないのだが。
ヴェンの推理はこうだった。……と、よく考えたような言葉を使ったとて、こんな事誰でも瞬時に察せられる事なのだが。
「ん? これは……」
そんな憶測を考えながら部屋をぐるぐる歩き回っていると、ガラス片に混じって一つ、紫色の宝石が光っている事に気づく。近づいて拾ってみと、それは地味な、けれど美しいイヤリングだった。
それを見たヴェンは、ある記憶が脳内に思い浮かんだ。このイヤリングを付けている魔法使い見習いの少女の姿が。
「シャイナの……イヤリングだよな?」
ヴェンが拾ったそのピアスは、紫色に光り輝く。だが、他の光が当たってキラキラと輝くのではなく、その宝石自身が自ら光り輝いているのだ。まるで生きているかのように。
そして何かがヴェンの脳内を走る。言葉に表せない、邪魔くさいというか、何かに呼ばれているというか、そんな言い方がまだ近いにではないかと思う。その違和感はどこか、ある地点に自分を促しているかのようにヴェンは感じた。
それがイヤリングに付いている宝石―――霊石―――同士が引きあうという性質上の働きだとは、ヴェンは知る由も無い。
「あてもねぇしな……。ここは自分を信じるか」
ヴェンはイヤリングを自分の拳で強く握り締め、窓から地面に降り再び夜の街中を疾走した。
♦†♦†♦†♦†♦
「こいつ……ば、化け物か……?」
「お、臆するんじゃない! 所詮にんげ……ぐっ!!」
「ほ~ら、ビビってる暇あったら少しでも武器振ったら?」
月の下の港町で一人の刺客が銀色の刃に斬り裂かれ、真紅の血を吐き出しながら地面に転がる。今更の話では無い。既に彼女はいくつもの生物をこう傷つけてきた。この人間はまだ重症で済んでいたが、同情の心からでは無い。命を奪うまでも無いと判断されただけの事だった。
「……強い」
隣で剣を振るう銀髪の少女に対しての率直な感想。そう、女性であり、まだ少女と呼べるはずの体格に見合わず、とにかく強いのだ。槍と剣で武装した適刺客三人に対して、片手剣一本と自らの腕で全て対応している。それもなんとか戦っているのでは無く、むしろ余裕すら感じられる戦い方。
剣を振るう度、三つ編みの銀髪と真紅の血が宙に舞う。月光に照らされたその姿は絵に描かれるような、神話に登場する美しい銀狼のようだった。
「……っっ!」
ラリーの頬を、刺客が突いた槍の切っ先が掠める。もう少しずれていれば顔を大きく斬られていたかもしれないが、このくらいの事で冷静さを欠くラリーではなかった。次の攻撃に備え神経を戦闘に集中させる。
正面の刺客は先ほどの攻撃でこちらに比があると思い込んだのか、もう一度槍をラリーに突く。だが、その攻撃は完全に見切られ柄の部分を空いた左手で思いっきり掴まれる。
「槍の使い方がなっていないな」
「!?」
それを振り払おうと刺客は力任せに槍を引こうとするが、既に時遅し。ラリーは出来た隙を逃さず懐に潜り込み、片手剣を切り上げる。瞬間、刺客は小さく声を上げて膝を折り、地面に倒れる。
だがヴェンが剣を斬り上げた上げた矢先、別の刺客の剣でそれが叩き落とされる。
「こっちは大したこと無いな。くたばれ!」
「甘いな」
ラリーは追撃で振り下ろされた剣に対して、先ほど倒した刺客が持っていた槍の柄でその刃を受ける。金属と金属がぶつかり合い、つば競り合いの状況になる。だが、刺客は剣を振り下ろしているに対して、ラリーは完全に受けの状態。体重を全力でかけられる刺客のほうに分はある。
「ちっ。だが、いつまで耐えられる?」
「戦場で口数は……」
「何を言っ……うっ!」
ラリーは刺客が上から一気に体重をかけてくるタイミングを見計らい、わずかに自身の重心を右に逸らす。それだけでバランスを崩すには充分だった。視覚はたった一瞬の油断で、致命傷ともいえる隙を露にしまう。
ラリーはその隙を衝き、長い槍で刺客を足払いする。見事に尻餅を着いた時には既に勝負は決まっていた。ラリーは金属製の槍で刺客の頭部を強打し、一撃で昏倒させる。
「少なくするべきだな。その一瞬の余裕で死ぬ」
倒れた相手に槍を向け、見下すように言う。それには傭兵としての貫禄が少しばかりあるのだった。
更に一人の刺客が仲間の仇打ちのように槍を持ってラリーに突きかかるが、余裕と言わんばかりに軽く槍でラリーはあしらい、あっけなく一突きされて地面に倒れた。
「これで全滅っと。にしてもスレイヤー、槍のほうが使うの上手そうじゃない」
「どうだろうな」
仕事を終えたのか、リィーデが片手剣をクルクルと回し遊びながら陽気にラリーに話しかける。見渡すと確かに六人が地面に倒れ、大通りで待ち伏せをしていた刺客達は全滅していた。だがどれも気絶や重症だけで命まで奪われた者は皆無。
「これくらいは余裕でしょ? スレイヤー」
傷はおろか疲労さえ全く見せない少女に、ラリーは心中驚きを感じる。あまり強敵では無いといい、一人で三人を相手したのだ。少しの疲労くらい見せてもらわないとラリーとしては、戦場で生きる事を糧としている傭兵としての立場が危うくなる。
「まぁな」
「もしかして本気出しちゃったりしてるわけ?」
「どうだろうな。お前はどうなんだ?」
「私? 私は全然出して無いけど」
そう言って手遊びしていた片手剣を、二つある腰の鞘の内の一つに戻す。
「にしても頬随分赤いわね、大丈夫なわけ?」
「ん……? ああ、少し切ったみたいだが問題無いだろ」
「えー、かなり見た目に問題あるじゃん」
「どうだかな」
リィーデが意外なほど頬に注目するので、ラリーは自分の怪我を手で触って再確認をする。実際痛みはほとんどないのだが、顔面のためか予想外に出血だけはしていた。とりあえずの処置で、自身の服の袖でラリーは血を拭う。だが、すぐ新たに頬に温かい液体が走る。
「血、止まらないみたいね。しょーがない、これあげる」
リィーデは腰に付けている小物入れから布切れを取り出し、ラリーに投げつける。
「止血布か……。貰っておこう」
「ったく愛想が無いわね。それじゃ女は取れないわよ。まぁいいわ、さっさと行きましょ。おかわり貰いたい気分でも、本気出したい気分でもないし」
リィーデはそっけなくそう言うと、港に向かう大通りを軽い足取りで走り始めた。刺客に追われてる状況のはずなのだが、どうもその後ろ姿が楽しげに買い物をする少女のようにラリーは見えた。
「幸せな奴だな……」
そう愚痴をこぼし、ラリーは見た目以上に速く走る少女の背中を、先ほど落とした自分の剣を回収しつつ追いかけた。
その時の背中の銀色の三つ網みが妙に美しく、ラリーの目には映ったのだった。