2章【Ⅸ】 月明かりの街
外は完全に日が落ち、街も人の流れは消え建物から漏れる優しい光がいたる所から見える時間。月明かりに照らされて街を疾走する三人が居た。
ただ、街といっても土がある通りを、では無い。だからと言って煉瓦の引きつめた道でも無い。今、三人が立っている場所は、瓦の上。街に立ち並ぶ建物の屋根の上である。
「で、どういったルートで逃げおせるのが最善なんだい?」
「まず、あんたらには可愛いお連れ様がいるでしょ? もしこの先の危険にまで連れてくなら、まずはその子を迎えにいかなきゃなんないんじゃない?」
「シャイナの事も既に把握済みか……。お前、何者なんだ?」
「んな些細な事どーでもいいでしょ? それとも何? ここで嘘ついてあんたらを陥れるほうがいい?」
喉で笑いながら、いたずらいっぽい笑みを浮かばせるリィーデ。先ほどから幾度も目にしているその笑みだが、月夜に照らされている今のその姿は、どこか人から離れた生き物……、堕天使が嘲笑っているのかと一瞬、ラリーは錯覚した。
「……まぁいい。だったら二手に分かれよう。どうせ逃げる身だ、三人じゃ目立ちすぎる。それに、素早く動けねばならなそうだしな」
そう言ってラリーが視線で下を指すと、物騒に不気味輝く鋭い鉄と、朱色に光る松明を持った人間が四人ほど騒いでいた。
その四人達だけでは無い。今街中にはラリー達を闇に葬ろうとすべく動く輩が散っているはずだった。見つかるのも時間の問題。ならば、行動は少しでも早く起こさなければならない。
「だったら俺がシャイナを連れてくる。落ち合う場所は……」
「船よ。ヴェン、あんたの船。仕入れた情報だと完璧までとはいかないまでも、航行には問題無いほどには補修完了しれるらしいから心配せずとも大丈夫」
その返答は別の見方で内容を取れば、船でこの国を脱出するべき、という意味にもなる。
「成程な……。でも船員に連絡が取れてないぞ?」
「その点も心配ご無用。私の仲間が既に事の次第を伝えているわよ。信じてくれてれば、出港準備を始めているハズ」
「相当な根回しじゃねぇか……。お前って何者―――」
「お、おい! いたぞ! 屋根の上だ!」
結局問いただす事無く、三人は発見されてしまう。下を見ると先ほどの四人が慌てて上に登ろうとしてきれいるが、上手い手段が無いらしくおどおどとしていた。
「おっとっと、見つかっちゃみたいね。んじゃあ私とスレイヤーで引きつけとくから、そのうちにお嬢様を救出する王子様ごっこしてくれば?」
「反乱した国で姫と共に国を脱出か……。へっ、二流詩人が聞いてもうんざりするくらい甘い甘い物語だぜ。んじゃ、俺の船で会おう」
そう言いながら片目でウインクし屋根を飛び降り、ヴェンは単身で姫の救出に向かう。刺客達は暗いためか一人だけが分かれた事には気づかず、ラリーとリィーデを執拗に追跡し続けた。
途中、蕪矢が放たれた空気を振動させ響く高い音と、火矢の明かりが視界に入って来た。恐らくこれはまだ街に潜んでいるだろう仲間達に標的の発見を知らしたのだろう。
「さて、こっから先がパーティーの本番ねスレイヤー。まぁ、殺害者なんて、また大層な名前を掲げているんだから大丈夫だろうけど」
「一応、それなりの芸は身に付けているつもりだ。先に行く」
そう言って剣を抜くと、ラリーは先行して屋根から下の道へ颯爽と飛び降りる。直後、一人の人間の悲鳴と、肉を切り裂く鈍い音が聞こえる。何が起こったかは見なくとも分かる。
「成程。まぁ、名前負けしてないといいけど」
そう小さく呟いてから、リィーデも後を追い屋根から飛び降りる。と、べちゃりという濡れた感触を靴で地面を踏むと同時に感じる。特に雨が降ったわけでもないので、目で見なくともその液体が何かは分かる。赤く、鉄の匂いがする人間の血だというのくらいは。
その横に立つのは、刃が赤黒く輝く片手剣を持ったラリー。そしてその足元には背中に大きく切り口が出来倒れている男の刺客が一人。建物と建物の間から漏れる月明かりがそれを照らし、不気味に映っていた。その立ち姿は、正にスレイヤー―――殺害者―――そのものだった。
「致命傷では無いはずだが……どうだ、とどめを刺しとくべきか?」
倒れているその刺客の喉元に剣の切っ先を突き付けて、無機質な声でそう問う。
「なーんだ、殺してないんだ。名前負けしてるわね」
「知るか。で、どうする?」
「勝手にしていいわよ。スレイヤーさん」
そうか、と短く返事すると、刺客の喉元に向けていた切っ先を放し、建物の壁に刃にこびりついた血を擦りつける。そして目の前に水平に剣を持ち、汚れ具合を確認して鞘に戻す。
「無駄に殺しはしないさ」
「ふーん、結局名前負けしてると」
「何か言ったか?」
「いーや。ほら、次が来る前に行くよ」
そんな他愛もない会話を交わした後、二人は暗く細い裏通りを身をひそめながら疾走した。
途中途中数度か刺客に出くわすが、見過ごすか切り捨てるかしながら順調に港へ歩を進めていった。
「スレイヤーとか名乗ってるだけあって、意外とやるじゃない。その身のこなしは戦い慣れてる証拠。しかも魔物とのじゃない。人と人の血なまぐさい殺し合いに、ね」
「俺は一応傭兵だ。これくらい戦えなければとうに死んでるさ」
「まぁ、私のほうが強いと思うけど」
「何……?」
その言葉に、ラリーは一瞬苛立ちを感じる。一応これでも自分はそれなりの実戦をこなしてきたし、戦いの腕も悪くは無いと思っている。それを女、しかもまだ少女とも呼べるような体つきの奴より劣っていると言われれば反論したくなるのも当然である。
「いやいやそんなマジになられても困るって。ちょっと言みたかっただけだって」
「……まぁいい。この先、敵多そうだ。俺達が港向かってるの気付いてるらしい」
「あいつ等もそこまでは無能じゃないか。どれどれ?」
二人が建物の角から、唯一港へ続く大通りを覗くと、何人かの人間が忙しなくうごめいていた。槍、剣を持った男達。どれも刺し向けられている刺客達だ。だが、どこか慌ててるような様子で強者には見えない。
「ひーふーみぃ……こりゃ十人ばかしいらっしゃるようね。どうするよ、突っ込む?」
「普通に考えれば中々酷い作戦だが、こう急ぎの状況だしな。それに、あの統制の無さ。ヴェルドナがお姫様抱えて戻って来る事には、花道を用意しておくのも悪く無い」
そう言い、口元を二ヤリとラリーは歪ませる。その笑みは、楽しみを示す意味の不敵な笑み。戦いをする事にどこか高揚感を覚えている、傭兵の笑みである。
「だったら奇襲で決まりね。で、どっちが斬りこむ?」
「……より強い方、だな」
「ふふっ……、了解!」
ラリーのその一言を引き金に、二人は競い合うそうにして敵の群中に剣を構え走り出した。
「……誰!?」
何かの力によって部屋唯一の窓が勢いよく破壊され、ガラス片と木片が室内に飛び散る。そして一人の人間が影となり侵入してくる。シャイナにとってその影はどこか、見覚えのあるような男の影だった。
「え……? 何でこんな所にいるの!?」
「そりゃーな、迎えに来たからさ」
「!? こ、来ないで……。私に、もう私に近づかな……っ!?」
シャイナの腹に男はロッドの柄で思い切りたたきつける。シャイナは息をのんで短い悲鳴を上げた後、脱力して膝から崩れ落ちる。床に倒れる直前に、男はその小さい体を抱える様に支える。
「……悪いな。すまないが、ちょっと眠っててくれ」
そう男は、意識の無いシャイナに囁く。
男はシャイナの体をお姫様抱っこのように持ち直すと、自身が壊して侵入した窓から部屋を抜け、屋根から飛び降り、夜の街を逃げるように疾走した。