2章【Ⅷ】 宴会
―――私は、私はまた助けられたんだ……。
日が暮れたにもかかわらず、明かり一つ灯さずに暗闇に覆われてしまっている宿の一室。その部屋の窓際の椅子、部屋の暗闇に溶け込むかのように一人の魔法使い見習い―――シャイナが俯いて座っていた。
彼女は気づけば一日、いやそれ以上か。ずっと窓から見える港の風景。レスターの国旗を掲げた船ばかりの中ただ一つ、ミストラル号はディースの旗を掲げていた。これは、この国に無事に辿りついた証でもあった。
―――どうして、どうして助けたの?
遡る事七日前。ここ数年の中で最大規模の嵐に、シャイナ達は巻き込まれた。
その規模は言葉でこそ最大規模と言ってしまえば終いであるが、実際その時の海は地獄絵図。嵐が発生した地域を渡航していた者たちの数多くは、故郷の大地を二度と踏む事無くこの世を去った。漏れる事無くシャイナ達もそうなりかけた。だが、ある二人を除き乗船していた者達は無事、陸の土を踏みしめる事が叶ったのだ。
だが、その結末はシャイナの心に深い傷を負わした。自分の代わりに身を投げたアイラと、それを助けるべく海に飛び込んだリック。その二人が居なくなった事の責任を、一人で抱え込んでいた。
実際に死が確認されたわけでは無いのだが、大海原のど真ん中、しかも大嵐の中で樽一つで生きて帰れるとは、常識的に考えても無に等しい。そんな事、話せるようになったばかりの子供でも分かる事である。
それでも、彼女は二人が生きている事を信じていた。表向きは。そうでもしないと、自分自身の気持ちを抑えきれず、内側からぼろぼろと壊れていってしまうから。
「私なんて……私なんて、忘れられてしまえばいいのに……」
彼女は何度目か分からないその呟きを暗闇の中で呟いた。
♦†♦†♦†♦†♦
「ぷっはぁ! やっぱここの酒はいいね。この下にピリッとくる感じ……、正に芸術」
リィーデはジョッキに入った蒸留酒を勢いよく飲んで、机に叩きつけるように置く。見た目だけでの判断では、まだまだ子供に見える彼女。そんな小さな体で水のように酒を飲み干すリィーデからは、男に劣らない荒っぽさを強く感じられた。
「全くだ。にしてもよくそんなに飲めるな。まだ大人にも成りきってないだろう?」
「酒の強い弱いに歳なんて関係無いでしょ。ホラ、あそこの奴なんか私より後から飲み始めてた癖に、もうぶっ倒れてるし」
確かに、三十辺りの歳だろうと思われる男が右手にジョッキを持ったまま顔を赤ワインのように真っ赤にして、机に突っ伏していた。そんな醜態を晒している男を見て、俺も酔い潰れたらあんな感じなのかと、心の片隅で少しヴェンは気にかける。
「で、いい加減教えないか? 酒が回ってからでは遅い」
と言いつつも、ラリーはジョッキの蒸留酒を喉に流し込んでいる。何だかんだ言いながら酒が好きなのか、先ほどから何杯も空にしていた。
「ったくさっきから教えろ教えろうるさいねスレイヤー。人が楽しく飲んでるってのに。アンタ友達居ないでしょ?」
「知るか」
そっけない返事。興味が無いと態度で示しているようだが、内心は図星なのかもしれない。
「ったくお前って奴は女の子を口説きながら酒を飲むってのも出来ないのか。なぁ、リィーデ?」
「確かにそうね。でもヴェン、貴方口説くのヘッタクソね」
「まっ、よく言われるがな。果たしてどうかな?」
リィーデ・ランスリー。この酒場での会話のペースは完全に彼女の手の上である。ヴェンは彼女の事を表向きでは信用しているようなそぶりを出しているが、実際の所はかなりの警戒していた。ラリーもラリーで常に目線を彼女から離さず、腰に帯刀している片手剣に手が伸びた時にどう動くかを考えていた。
ふーん、コイツら舐めてたけど結構やるじゃん。っま、これなら大丈夫か。
リィーデはそんな事を考えながら、心の中で男という賞品を品定めをしたいた。
「そんな事どうでもいい。さっさと教えろ」
先ほどよりも苛立ちを増した声。リィーデだから問題無いだけなのだが、度胸の無い人間が聞いたらこれだけでかなり臆しそうな凄みのある声と目線。そして独特の威圧感。
半分脅しと言っても問題無いだろう。無論、リィーデに通用する訳は無いのだが。
「はいはい。さすがにこれ以上引っ張るのは無理か。んじゃ言うよ。あ、これ他言してもいいけどしたら危ないのアンタ達だかんね」
「んな危ない事俺達に教えようってか。そんな事知ってる小娘とは、危ないじゃねーか」
「何? 私がそこらの小銭稼ぎで情報売ってる酒場の親父程度だとでも思った?」
「いーや」
それだったらいいなという願いはあったがな―――という言葉を心の中でヴェンは言った。
「で、只者で無いお前は一体何を握っているんだ?」
「まぁ簡単に言わせてもらうと、アンタらを殺そうとしている奴がいるって事」
「成程ねぇ……」
「……」
―――追いかけられている。
―――捕まようと。
そんな甘優しい言葉はその少女の口からは出る事無く、殺そうとしていると単刀直入。遠まわしに説明されるのは勘弁だと思っていた二人だが、こう直球で言われてしまうとさすがに驚く物はある。
「でも俺達。まぁこの傭兵はどうか知らんが、命狙われるような事した覚えねぇぞ? むしろ命からがら嵐か抜けだしてきたんだ。むしろ歓迎してほしいね」
というヴェンの意見に、甘いなというリィーデの声。ラリーは何も口にせず、ただ腕を組んで話をひたすら聞いている。
「その抜けたしてきちゃったのが重要。気づたでしょ? この国以外の船がアンタ達のご立派な船だけってのは」
「まぁ、そうだが……。それに何か問題でもあんのか?」
そう言い、ジョッキの酒を勢いよく喉に流し込んで、意味が分からねぇと苛立った口調で言いジョッキの中身がこぼれそうな勢いでテーブルに置く。
まさか……。でも、そうだとしたら……。
その横のラリーは、自分で立てた仮説に自分で驚いていた。
仮説が合っていたとすれば、かなり厄介な事に巻き込まれたに違いない、と。常に冷静な彼だが、いつのまにかその手の平には、緊張の汗が滲んでいた。
「おいランスリー。それは俺達以外の船は……」
「待って」
ラリーの言葉を遮るように、リィーデが強い口調で待てと命じる。その鋭い剣幕と、重みのある口調から、二人は何も言わずただ静かにその命令に従った。
そしてリィーデの目線は、酒場の小さな窓を見据えていた。
「あーらら。どうやらここでよろしくないお話をしてたのバレちゃったみたいね。兎みたいな耳でも持ってるんじゃないの?」
「バレたって……かなり厄介な事になりそうな発言だな?」
「……で、どこから逃げるんだ。どうせそれくらいは準備してるんだろう?」
ラリーが腰の剣の感触を確かめながら、リィーデにそう問う。
待っていましたと言うように二ヤリと笑みを浮かべ、髪を束ねていた紐をさらにきつく縛る。
「当たり前でしょ? さあ、楽しい宴会はこれから始まるよ」
そう言い、ジョッキの中身を全て口に流し込んだ。