2章【Ⅴ】 声
「おいワンド! 状況は?」
「舵はもう駄目ですね。船体もヤバいです!」
怒鳴るように話さないと声は耳に届かない程、海は轟音をたて、風は唸り声をあげていた。船体は大きく揺れ、木がきしむ音をたてる。ここまで荒れる海は、一生でも早々お目にかかる事は出来ないだろう。もっとも、女二人とリックは、船旅自体が体験の薄い物なのだが。
「ここまで来ると、運が悪いとしか言いようが無いですね! 船長、海神を怒らすような事してませんか!?」
「知るかよ! 俺は迷信を信じないもんでね!」
と言うが、神を恨みたい気持ちは、ヴェンにもあった。それ程絶望的な状況なのだ。
船体は大きく左右に揺れ、舵は全く効かない。何かに捕まっていなければ、すぐにでも海に投げだされる。風は轟音を鳴らし、唸る。雷は休む事無く、どんよりとした雨雲を、光らせていた。
「あっ……!」
船体に、巨大な波が襲う。その衝撃で、船体が大きく傾く。その瞬間、小さな体が一つ、言葉にならない悲鳴と共に、宙に投げださる。
「シャイナ!」
シャイナが海上に投げ出され、落下し始める直前、小さな右手をアイラが掴み、船体に引き戻した。それと入れ替わるように、アイラが船体から投げ出され、海面に落下する。身代りになったのだ。
「おいアイラ! ……ちっくしょう!」
「おいハ-ディンス、よせ!」
ラリーの忠告を無視し、自分の体の半分ほどの樽を掴み、海面に向かって、自らリックは飛び込む。気付いた時には冷たい水に体は包まれ、塩辛い味を唇から感じる。海水は凍えるほどでは無いが、十分冷たく、全身の感覚を痺れさせた。
「アイラ!」
「…りっ……く?」
「いいから捕まれ」
リックは、海に浮かぶアイラを捕まえると、密着するほど引きよせ、抱いた。お互いの吐息が、肌で感じられるほどの距離。だがそうでもしないと、すぐに引き離されてしまう。
船は既に、視界からは消え、見えるのは荒れ狂う海と、お互いの顔だけだった。やがて意識は薄れ、重い瞼が落ちる直前になっていた。
『貴様、その彼女と共に生き残りたいか?』
―――誰だ?
そんな夢うつつの意識の中、リックの耳に、重低音のある声が響く。その言葉に対し、リックは心で答える。何故言葉にしなくても会話が通じるのか、そもそもこの海の上に自分とアイラ以外の人間がいるのか? そんな疑問は抱く余裕も無く、会話は続く。
『貴様は、我に助けを求められる権利がある』
―――何でまた、そんな奴になってるんだ俺は?
『その腕輪こそ、その印』
―――腕輪……
リックは、ある日を境に肌身放さず付けている、右腕の銀色の腕輪を見る。だがそこには、いつもの腕輪は無く、代わりに黄色く光り輝く輪が腕で輝いていた。
『代償は1つ。いずれ我と戦う事とな』
―――戦う……いいだろ。それで助かるんならな
即答。考える必要など、リックには無かった。この状況から助かるには他に道が無いのと、戦うのも、目標が1つ増えるならば、別にいいと考えたからだ。
『よかろう。では、次に会う時を楽しみにしているぞ』
会話が途切れると同時、リックの意識は遠くなる。意識が飛ぶ直前、夢うつつな状態で、嵐の中に2つの緑色の光が輝くのをリックは見る。神秘的、なおかつ不気味な、海に輝くその光。何故かそれは、リックにとって見覚えのある、そんな気を起させた。
『では、しばしの別れだ』
その言葉を聞き終え、リックの意識は遠くなっていった。




