2章【Ⅳ】 嵐の余興
船の甲板で肘をついて、広い世界のどこからか流れてきたであろう生温かい風を、リックは受けていた。
―――ディルとは、昔旅をしたのよ。丁度、今のあんたらと同じね。
「……」
右腕に付いている、父の肩身―――銀色の腕輪をじっと見つめながら、リックは何度も、リューナとの会話を、頭の中で繰り返していた。
―――え? どんなだったって? そりゃー今のリックとそっくりよ。単純で、無鉄砲で、好奇心旺盛。そして何より、近くにはいつも仲間がいた。私もその中の一人だったわね。
―――そっくりだったか……。親父の奴、偉そうに言う割には大して変わらなかったんじゃねぇか……。
自分の昔話、そしてリックの記憶に無い母親の話。全く語る事の無かった父親。隠したいという雰囲気ではなかったが、昔の事を聞くと空を仰ぎながら黙り込んでしまったり、今は形見となってしまった腕輪をぼんやり見つめたりしていた。だから、リックはディルの昔話を聞こうとはしなかった。いつか自分から話してくれると思って、尋ねないでいたのだった。
しかし、リックが自分の父親の昔話を知りたいと思った時には既に、ディルはこの世から去っていた。
聞く事が出来なくなった父親の話。ディルの交友関係もロクに知らないリックは、父親が生きた時の物語を知る事が出来なかった。唯一の手掛かりは何も語らない、形見の銀色の腕輪。それを見続けているうちに、時だけは無情に過ぎていた。
―――なぁリューナさん、一つ質問いいか?
―――まあ内容によるわね。
だからこそ、この唐突に訪れた物語を知る機会。リックはようやくこの質問を、答えの知る人物に問う事が出来たのであった。
―――じゃあ、この腕輪……
♦†♦†♦†♦†♦
「……ンス、レーランス。聞こえてるのか? だったら返事をしろ」
「……ん? ああ、ラリーか。何だ?」
リックは頭の中の妄想から、一気に現実の世界に引き戻される。一体どれくらいの時間ここにいたのか、自分では覚えていない。時間の感覚まで吹き飛んでしまうほど、物思いに耽っていたのだ。
「何だって……。お前、海が今どうなってるか分かるか?」
あまり表情は変えていないが、声質が明らかに違う。ラリーは心底呆れている声をしていた。
「海……? ああ、波がおかしい事になってるな……」
やっと意識が頭の外を意識し始めたのか、リックが海の変化に気づく。海は時化始め、風は音を立て強く吹き荒れている。
船の後方、舵のある所に、ヴェン、アイラ、シャイナは地図を広げて話していた。地図はリックのボロである。陸図だけではなく、海図も正確な情報を記す事から、ヴェンに貸しているのである。
「おいヴェルドナ、どうなってるんだこの海。こんな妙な荒れ方、見た事無いぞ?」
そう言って空を仰ぐ。雲は渦巻くように動き回り、ゴロゴロと雷が音をたてている。この時期の海は、比較的気候は安定しているはずなのだが、そんなのはお構い無し。
「俺も始めてだ。だが現実、海はご機嫌斜めだ。ぐちぐち言っている暇なんかなさそうだぜ。じゃなきゃ、さっさと沈むか」
「沈むって……。やだ、怖い、アイラ……」
アイラの腕にしがみ付いて、シャイナは怯えていた。まだ子供っぽ所があるなと、アイラは思いながら、その小さな手を握っていた。
「で、実際問題どうなってんの?」
「まぁ落ち着け。こういう時こそ状況確認だ」
ヴェンは開いている地図の一点を指さす。場所はレスターの北東の海上、ここが現在位置である。出港前のヴェンによれば、この季節に流れる、ウェストレスター海流に乗り、このまま南西に進み、フォーマスの南の町、ウェロンに到着する予定だった。
海流に乗るまでは予定通りなのだが、現状、今海は大荒れである。この季節にこの地域の海が大荒れする事はありえないはずだと、ヴェンは説明したが、見事にこの様である。
「でだ、今行ける進路は二つ。このまま予定通りに南西に進み、ウェロンに付く。そしてもう一つは、南に進路変更し、レスターに行くか……だ」
ヴェンは指で進路を示しながら、丁寧にそれを説明する。ラリーだけは話を理解し、相槌を打つが、他の面々は完全にお任せ状態である。
「ったく、頼りにならねぇ連中だな……。ラリー、どっちがいいと思う」
「一度レスターに行って、様子を見るべきだろう。と言っても、俺はそこまで詳しいわけではない。船長殿の意見は?」
「いいや、いい判断だ。よし、それじゃあレスターに舵を取るとするかな。それで文句無いな?」
こういう時のヴェンは、お調子者の馬鹿では無く、頼れる船長だった。ただ、実行に移す内容を理解してくれる人間が、船員を除くとラリーしか居ない。そのせいか、頼れる一面のイメージはどうも目立たず、軽い部分が際立って目立つ。なんとも不遇な男であった。
「よく分かんないが、それでいいと思う」
「私も。近い方が安全なんでしょ?」
「こんな海からさっさと出ようよ……」
ラリー以外の三人は、今の危機的状況の回避方法を、どうも重要視していないようである。その姿に、ヴェンは心底呆れ、ラリーに縋るように同情を求める。
「俺の言っている意味を理解してくれるのはお前だけだ……」
「それはどうも。さて、指示をいただこうか」
「無論、指図させていただくさ。よし……」
そう言ってヴェンは、バンダナをきつく締め、全員に言い放った。
「俺がいる限り、この船―――ミストラルは沈ませねぇぞ!」




