第十二話:鍵
夜が、深く沈んでいた。
街灯の光さえ、どこか遠く霞んで見える。
雨は止んでいたが、空気にはまだ湿った匂いが残っている。
悠斗の手の中には美奈が残してくれた鍵があった。
「美奈が命懸けで残してくれた紗良に続く鍵……」
悠斗は鍵を見つめるがどう扱えばいいのか分からなかった。
美奈の事もあり頭の整理が追いつかなかった悠斗は一旦、持ち帰る事にした。
翌日
悠斗は拓真とあかりに昨日の顛末を話し鍵を見せた。
「そっか……。ちゃんと水瀬も悠斗も思いを告げたんだな」
途中まで知っていた拓真は少し寂しそうに笑った。
あかりは何とも言えない表情を浮かべていた。
「事情は分かったけど、それでも私はあの子が真柴くんに取った行動は許せない。
もちろんそれに流されそうになった真柴くんもだけど……」
「悪い……」
三人の周りに重苦しい空気が流れる。
「でも、最後に紗良ちゃんに辿り着くための鍵を渡してくれたからちょっとだけ許すわ」
あかりは俯きながら言った。
そして三人はこの教室の違和感にも気づき共有した。
「水瀬の痕跡が消えてるよな?」
「ええ、まるで最初から水瀬美奈なんてこの教室に……いいえ、この世に存在してなかったみたいに。
みんないつも通り」
美奈は悠斗達以外にも仲良くしてるクラスメイトがいたはずだ。
実際何度も悠斗達以外と仲良く話してる所を目撃してるし、遊ぶ約束をしてる時もあった。
なのに今は誰も美奈の事を気にしてる様子はなかった。
悠斗は美奈の事を聞いてみたかったが、聞くのが怖かった。
『誰?』と言われた時の恐怖は紗良で経験している。
またあの経験をするのがとても怖かった。
悠斗が恐怖で俯き体を震わせてると、拓真が肩を握った。
「大丈夫だ。今度は俺達がいる。俺達が水瀬の事を”覚えている”。お前は独りじゃない」
「不本意だけど、私も覚えてる。忘れられてたらどれだけ良かったかと、思うくらいには」
二人の言葉に悠斗は顔を上げ安堵した。
「二人ともありがとう。美奈のことを忘れないでいてくれて」
拓真はへへへと笑い、あかりは不機嫌そうにフンと顔を逸らした。
話を戻し三人は鍵について話し合った。
「この鍵が紗良ちゃんを助けに行くために必要なのね?」
「ああ、美奈はそう言ってた」
「鍵なんだから、どっかにこいつに合う鍵穴があるって事だよな?」
「そう考えるのが普通よね。でも普通の鍵じゃないから、きっと……」
「鍵穴……的な物はないと思う。ゲームで例えるなら特定の場所まで行って、使えば目の前に扉が現れる的な感じだと思う」
あかりも悠斗の言葉に同調した。
「そうだね。私も同意見」
「特定の場所って、どこで使えばいいんだよ」
拓真が頭を抱える側で、悠斗とあかりは使い場所に心当たりがある顔をしていた。
「それはもう……」
「”あそこ”しかない」
三人は今は枯れてる桜並木を通り抜け”あの場所”に向かう。
——何度も、紗良と歩き、笑い合い、喧嘩し、仲直りし、そして告白した場所。
「やっぱり……ここが、始まりであり、終わりなんだな」
悠斗は小さく呟き、思い出を追うように歩き出した。
空はどこまでも灰色に濁り、風が静かに渦を巻く。
まだ咲いていない桜の木々は、まるで時間が止まったように動かない。
そして悠斗が紗良に告白した場所に辿り着くと鍵が光り輝き始めた。
それと同時に地面がゆっくり沈み始め、悠斗だけを飲み込んでいく。
「悠斗!!」
拓真が咄嗟に手を取り悠斗を引き上げようとするが、ものすごい力で、
悠斗を地面の中に引き摺り込んでいく。
「大丈夫だ!!すぐ戻ってくる。紗良と一緒に!!」
「絶対帰って……こいよ!!」
拓真は手を離し、悠斗は完全に飲み込まれた。
拓真とあかりはただ悠斗と紗良が帰ってくるのを祈るしかなかった。
(———……ト……ウ……ユウ……トくん……)
耳の奥で、声がした。
「……紗良……?」
ノイズの中に、確かに聞こえる。
泣きそうな声で、かすかに微笑むような、あの優しい声が。
(……ここに……いるの……でも……届かない……)
(……助けて……もう、どれくらい経ったのか……わからないの……)
悠斗の視界に、黒い海のようなものが広がった。
現実が溶け、暗い波が世界を覆っていく。
その中心に——白い少女の影が、膝を抱えて座っていた。
「……紗良……!」
悠斗は声を上げる。
だが、声は届かない。
波のようなノイズに掻き消される。
(……見えてる……でも……触れられない……)
紗良の唇が、震えている。
その瞳は、泣き腫らしたように赤かった。
(……ねぇ、悠斗くん……どうして……)
(どうして……置いていったの……?)
「俺は——」
声が震える。
言葉が喉に詰まる。
「置いてなんか、ない!何度も探してた!今だって——」
(……ううん、知ってる……)
紗良の声が、少しだけ柔らかくなる。
(……でもね、この場所……“記録”の外側だから……悠斗くんの世界と、
繋がってないの……)
(”記録の外側”?)
悠斗は聞きなれない単語に疑問が浮かんだ。
「どうすれば、紗良を助けれる!?」
【——記録を越える鍵。それは”観測する者の心”】
突然悠斗の頭に謎の声が響く。
「誰だ!?」
悠斗は周りを見渡すが誰もいない。
【——記録を越える鍵。それは”観測する者の心”】
機械音のように同じことを繰り返す。
「記録を越える鍵?美奈がくれた鍵の事か!?それならここに——」
悠斗は鍵を見せつけるようにかざす。
【——足りぬ。扉を開けるだけでは辿り着けぬ】
(鍵を使うだけじゃあ紗良は助けられない?)
悠斗が考えていると紗良の姿が波に飲み込まれていく。
(……悠斗くん……お願い……)
(私を——“覚えて”)
その言葉と共に、光景が弾け飛んだ。
悠斗は息を荒げて地面に倒れ込む。
「悠斗「真柴くん」」
悠斗は拓真とあかりが駆け寄ってくるのが分かった。
ゆっくり立ち上がる悠斗に拓真は手を貸した。
「何があったの!?紗良ちゃんは!?」
あかりは悠斗に不安げに尋ねた。
「ごめん。紗良には会えた。話す事もできた。だけど連れ戻す事はできなかった」
拓真とあかりの表情には明らかに落胆が見えた。
悠斗は手の中の鍵を見つめていた。
鍵を使えばあの暗闇……”記録の外側”に行ける。
紗良に会う事もできる。
——でも、連れて帰れない。
「……なんだよ、それ」
誰に言うでもなく、呟いた。
「行けるのに、触れられるのに……なんで“一緒に帰る”だけができないんだよ。そもそも”記録の外側”って
何だよ……」
返事はない。
けれど、胸の奥がじくりと痛んだ。
ふいに、記憶が重なった。
幼稚園の帰り道。
小学生の放課後。
雨の桜並木。
告白した、あの日。
どの記憶にも、共通しているものがある。
——紗良は、いつも悠斗の“隣”にいただけだった。
守ったわけでも、救ったわけでもない。
ただ、一緒に笑って、喧嘩して、泣いて。
「……俺」
悠斗は、唇を噛みしめる。
「俺、ずっと……」
世界が奪ったと思っていた。
運命が理不尽だと思っていた。
でも。
暗闇の中で泣いていた紗良。
「助けて」と言った声。
あの時、自分は何を思った?
——助けたい。
——守りたい。
——連れて帰りたい。
全部、“してやる側”の気持ちだった。
「……違う」
声が、震えた。
「それじゃ、ダメなんだ」
悠斗は気づく。
もし世界が、「紗良を消すことで、お前は幸せになれる」
と言ってきたら?
もし、「このまま忘れれば、普通の人生を送れる」と言われたら?
——自分は、どうする?
答えは、考えるまでもなかった。
「それでも……」
悠斗は、鍵を握りしめる。
「それでも俺は、紗良を選ぶ」
救えなくてもいい。
一緒に帰れなくてもいい。
また失うかもしれなくてもいい。
世界が、どんな物語を書こうと。
「“俺が”選ぶんだ」
その瞬間。
鍵が、熱を持った。
光が強まり、桜並木の風景がひび割れる。
空間が反転するような感覚。
同時に、あの声が響いた。
【——理解したか】
低く、無機質で、それでいてどこか疲れた声。
【記録を超える鍵は、すでに持っていた】
【足りなかったのは——】
悠斗は、迷わず答える。
「観測する者の、心だ」
【……そうだ】
声は、少しだけ間を置いた。
【救済ではない。修復でもない】
【世界より先に、“意味を与える”意思。それを持つ者だけが、連れ出せる】
悠斗は、一歩、前に出る。
「だったら……」
鍵を胸の前に掲げる。
「俺は、もう迷わない」
「世界がどうなっても、誰が忘れても、俺が消えても——」
息を吸い、吐く。
「“今ここにいる紗良”を選ぶ」
その言葉と同時に、鍵が、完全に光へと変わった。
桜並木が砕け、暗闇への扉が開く。
その向こうで——
誰かが、息を呑む気配がした。
「紗良……待ってろ。今度こそ、お前を迎えに行く」
悠斗の声は震えていたが、確かな決意に満ちていた。




