10年11ヶ月4日 16時間22分 前
「パ、レ、ア、ナ、ちゃーん」
轍が流れ星のごとくに亜空間を飛んできた。パレアナの亜空間展開しているソファベッドに着地し、ばふん、といわせる。妊婦に対しても妊婦としてもあるまじき行為である。
「今日は何なのよ?」
パレアナはこのぐらいでは動じない。いつものことだ。
「退屈なら、お友達のところにでも行ってみれば? ってダーリンが言ったの」
「ろくでもないダーリンだな」
「ダーリンの悪口は言わないで」シルベがほっぺたを膨らます「いろいろ忙しいのよ。学校作るので」
「学校? 何でまた…」
「パレアナちゃんの息子と」シルベはパレアナの大きく豊かに迫り出したお腹をさする「あたしの娘と」そして自分の丸いお腹をパンパンパーンと叩いた「一緒に行く学校だよ」
ーーめんどくせぇ
「あのさあ」さすがのパレアナも抗議した「まだ産まれる前から男とか女とか、そういうこと言っちゃダメなんだよ」
「え? 何で?」シルベは素で言っている「吉祥の家は女しか生まれないし、パレアナちゃんのお腹の中にいるのは男の子だよ?」
はいはい、
もう言うだけ無駄なので、パレアナは虚空から編み棒と毛糸を取り出した。
「何編んでるの〜」
「おくるみだよ」
「あ、いいなー、うちの娘のも編んで〜」
「自分で編みなよ」
「そういうの苦手だもん」
「あんたの中の人でそういうの得意な人いないの?」
シルベの瞳の光が一度落ち、体も一瞬膠着した。
「先読みと金儲けと託宣と呪詛と…」中の人たちの会議が終わったらしく、シルベが喋り出した「あと男漁りだって、反物の目利きがいちばん近い気がするけど、自分で織ったことはないんだって」
「男漁り得意なの自慢されてもね…」
「えぇー、我家でいちばん珍重されてんのにぃ、吉祥家は代々、男見る目と虜にする技量を最大限に…」
「あー、わかった、もう、わかったから」パレアナは編み棒を置き、両手でシルベの口を塞いだ「作ってやるから、もう、だまれ」
「…」
シルベが黙ったのを確認し、パレアナは再び編み出した。
「もう、編み目ひとつ飛ばしたじゃん、もう…」
ほどいて編み直しするパレアナにシルベが尋ねる。
「何でそんなことするの」
「一目ずれたの、いま言ったでしょ」
「あたしの娘、そんなの気にしないよ」
「私が気にするの、私の赤ちゃんのおくるみなんだから」
「え? 娘のおくるみ…、編んでくれるって言ったのに」
「それは、これ編んでから。編み終わったら編む、って言ってんの」
「…ちぇっ」
「なんか言った?」
「別に…」シルベはあさっての方に視線を飛ばしてすっとぼけた「あー、早く学校できないかな」
「そんな早くできたって、私たちの子どもが学校行くまでまだ何年もあるでしょが」
「そんなことないもん。幼稚園もつくるもん」
「幼稚園?」
「吉祥学園修学前予備舎、なんと生後1ヶ月から入所可能、完全給餌、自動飲水機完備、保育器内部には28種の生体センサー…」
「あんたは何すんのよ?」
「へ?」
「その、生後1ヵ月の赤ん坊の母親のあんたは何すんの、って聞いてんの」
「お洋服に名前書く、タグんとこ」
ーーもっと、やることあんだろ、だいたい自動飲水機ってなんだよ
「そういえばさ」シルベは無理やり話題を変えてきた「あたしの大伯母さんの従姉妹の隣り家の婿さんの弟の孫娘っていたじゃん。あの話どうなった?」
「デザイナーズチルドレンの?」
「そだっけ?」
「若い女医の子」
「それそれ、パレアナちゃんが脳みそ半分とっちゃった娘」
ーー半分じゃねぇ、4分の1だ
「医者っていっても、いまんとこ患者もいないから、農場で野菜作ってもらってる」
「へえ、いいなあ」
「最近は、ニワトリとかウシとか飼い出してるみたい。牛乳とか卵くれるよ」
「いいなあ、契約しよう。こんど紹介して」
「紹介はいいけどさ、あんた料理なんて作らないじゃない」
「そりゃ、あたしは作んないよ。めんどくさいし」
「じゃあ、なんで」
「学校には給食てモンがあるのよぉ。野菜と卵と牛乳があったら誰か何か作るでしょ」
ーーさっき、給餌がどうの言ってたな、そういうことか
「大丈夫なのか? そんな学校」
「大丈夫だよ。プールだって作るし」
「プール?」
「学校にはプールが必要、とダーリンが言ってた」
「先生はどうすんだよ」
「先生はあたしがやる。轍先生だわ。ほほほ」
最後の、ほほほ、の意味がわからない。
「先生、って、資格とかいるんじゃなかった?」
「医師免許証、司法試験合格証明書、ピアノ調律技能士 1 級を持っている」シルベは胸を張った。お腹ほどは出てない「組み合わせればなんとかなる」
ーーなぜ組み合わせるのだ
中の人が手伝うから、資格自体は持ってるんだろうけど、どれも合ってない。
「必要な資格は、教育職員免許、だよ」
「教員免許なくても理事長先生になれるとダーリンが言ってた」
ーー正しいけど、おかしいぞ、ダーリン
ダーリンを筆頭に、なんでみんな、こいつを甘やかすんだ?
「何でそんなに学校にこだわるんだよ」
「パレアナちゃんの息子とあたしの娘は、同じ学校に通うんだよ。幼馴染みなんだよ。誰にも邪魔はさせない」
「誰も邪魔なんかしないって」
「あたしの娘はねぇ。最後の吉祥なのよ」
シルベは自分のお腹に両手を当てて言った。
最後の吉祥の意味はよくわからなかったが、並々ならぬ決意のほどはパレアナにも伝わってきた。
「だから、生まれてきたら、想像もつかないくらいとても酷い目に会うんだ、きっと」
ーーそれは、シルベがいじめなければ良いだけでは?
「せめて一生の伴侶ぐらいは、最高のを手当してあげたいと思う親心だよ」
「私の息子の気持ちは? そりゃ、あんたの娘が悪いとは思わないけど、私の息子が気にいるかどうかなんて、わかんないでしょ」
「えぇぇー」シルベは嘲りをそのまま貼り付けたような顔で笑う「だってパレアナちゃんの息子ってさ、男の子なんでしょ?」
「当たり前だろ。息子なんだから男の子だよっ」
「吉祥の金と権力と手練手管は男落とすためだけに練ってきたんだ。何千年の歴史だよ。吉祥に狙われた男は幸せになるしかないんだよ」
ーーやだなあ、こういうの、もう、友達やめたい
ま、それはさておき、などとシルベは勝手に話を変えようとする。
「何で最近、亜空間ばっかりにいるの?」
「旦那がそうしろって」
「セドリックさんが、何で?」
「狙われたら困るから、だって。通常空間より亜空間にいるほうが安全だって」
「パレアナちゃんが妊娠してるのなんて、秘密にしてるから誰も知らないよ」
「未来から来るんだって」
「未来? 何で?」
「行き詰まった未来社会から、現状打破できない不穏分子が、過去を変更しに物見遊山で来る、って」
「未来? 過去変えられなかったからダメになってんでしょ。もうダメだったってわかってんのになんで来るの?」
「知らないよ。旦那が来るって言うんだもの、馬鹿なんて何するかわかったもんじゃないし、心配だから、って、そういうのアニメで見た、って」
「アニメ?」
「そう、アニメ」
この夫婦、頭はいいんだけどさ、とシルベは思う。こういうところが問題なのだ。とくに旦那はダメだ。
ーーときどき阿呆なことするのは何でだろう
子どもに似ないと良いんだけど、こればっかりは生まれてみないとわからないからなあ。
シルベは生まれてくるであろう我が娘のことを想って心が震えた。世の中は思い通りにはならず、思ったとおりにしかならないのだ。




