278ミリ秒 後
ユータの隣りにシノノメがいる。
シノノメの隣りにユータがいる。
ユータは右手でシノノメの右手を結び、シノノメはユータの左手をシノノメの左手で掴んでいた。2人の腕がつくる輪が交差する。
「通常空間から5億分の1ステラジアン、立体角でズレています」シノノメはユータに念押しした「これで良いんですよね?」
「ああ、いいよ大丈夫だ。これで邪魔されないですむ」
「何が邪魔するんですか?」
「さあ、何だろう?」ユータは自分で言って自分で首を傾げた「よくはわからないけど、こういうときは邪魔しにくるのがいるみたいだよ。でも、これだけズレてたら、探すのも面倒だろうし、まずは安心…、あれ?」
「どうかしました?」
「オールインワンに離脱時に空間位相を微小回転する話、したっけ?」
「してません」
「え? したと思ってたけど…」
「してません」シノノメは言い切った「いまからでも言っておきますか?」
「いいよ」ユータはにべも無い「いまから超空間通信しても座標軸を戻した後にしか届かないし」
「オールインワンは困りませんか?」
「そりゃ、困るだろうけど、困ったとしてもたいしたことじゃない。後で謝っておくよ」
「もう、ほんとうに…」シノノメは亜空間の狭間で息も出ないため息をつく「こんな嫌なところばかりお父さんに似るんだから…」
あたりを見まわし確認したユータは、手をほどいてシノノメに合図した。
「行こう。時間って言っていいのかな。とにかく余裕はたっぷりだし、ゆっくり行こう」
亜空間を進んで最初に出会ったのは腹を上にしてひっくり返っている犬だった。
「あら、トッペン」
シノノメが拾い上げるも、白目を向いたままトッペンは動かない。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ではないけど…」ユータはシノノメに抱かれたトッペンの頭を撫ぜた「通常空間に戻るまでは何もできないな。ここでは時間が滞留していて進まないから、悪化することはない。帰ったら手当てするよ。悪いけど、そのまま抱っこしてて」
「何があったんでしょう?」
「単純なキャパオーバーじゃないかな。むこうも悪気は無いんだろうけど」
ユータはトッペンから目を離し、周囲の気配を探る「トッペンから出たのなら、アイボリーが捕まえてるだろう。いや、アイボリーじゃないか。アイボリーに似た何かだ」
アイボリーはいた。
結跏趺坐の姿勢、コーラルがよくやっているやつだ。あるいはコーラルを真似たのかもしれない。結跏趺坐のまま目を瞑るアイボリーにユータはゆっくりと近づいた。
「ボクはユータ」ユータは名乗った「キミは誰?」
設計者、と呼びかけに応じた者が目を閉じたままで答えた。
「それはおかしいな」ユータは目を逸らさずに言う「設計者ならボクも会ったことがある。キミは設計者じゃないよ」
やっぱりそうなのか、彼は言うと目を開け、ニッコリと微笑んだ「そうじゃないかと、思ってはいたんだ」
「設計者と話すと、自分のことを設計者だと思ってしまうんだ。彼と話したんだろう?」
「そう、ユータの友だちになって欲しいと言われた」
「そうだ。ボクたちは友だちだよ。ボクの友だちは他にもいる。ボクの友だちはみんなキミの友だちだ」
「友だちがたくさんいるのは良いこと」また笑う「星もたくさんある。とても良いこと」
「これから、ボクと友だちはキミのところに行くんだよ」
「ここじゃダメなの?」
「ここは符号しかない。実体の伴う空間、キミももともとそこにいたじゃないか」
「ここでもお話しできるよ?」
「話しはできる、でも、もっといろいろできるんだよ、実空間は。それに…」
ユータはシノノメが抱っこしているトッペンを指した「彼とも遊べるよ。ここでは無理だったろう?」
「ああ、そうだ」アイボリーの表情が泣き出しそうに変わった「彼では無理だったんだ。悪いことしちゃった」
「大丈夫だ。通常空間に戻れば元気になる。そしたら一緒に遊ぼう」
「もしかして」アイボリーの中身が戸惑うように両手を上げ、その手のひらを交互に見つめる。
「この子もダメ? ボクがいるともたない?」
「トッペンよりは大丈夫」ユータは答えた「でもキミ、もっと別のに入ったほうが良いよ。ボクが作るよ。ボクは何でもできるんだ。好みはある?」
「好み?」
「キミが向こうで入るものの形、犬とか鳥とか人間とか」
「ユータが良い」中の者は屈託なく答えた。
「ダメです」シノノメが間髪なく横槍を入れ、トッペンを抱えたままユータに抱きついた「ユータはシノノメのものです。ユータはダメです」
「あ、そうなの」
「そうみたい」ユータはシノノメを抱き寄せると、もう一度訊ねた「ボクとシノノメと、あと、いま入ってるアイボリー以外で好きな形」
「急には思いつかないなあ」ほんとうに困っているようだ「いま決めないとダメ?」
「いや、ぜんぜん」ユータは微笑んだ「とりあえずボクに似たような何かを作るよ。あとでいくらでも変えられるから」
「じゃあ、お願いするね。あ、そうだ。スキーができるようにして」
「スキー?」
「そう、スキー。楽しいんでしょ? スキー?」
「ああ、とっても楽しいよ。スキーが上手にできる身体を造るよ」
すっ、とアイボリーが立ち上がった。ニコリと微笑む「行っちゃたよ。またね、だって」
「大丈夫なんですか? アイボリー?」
「大丈夫ではないけどね。でも、しょうがない。話しがつくまでは他に方法がなかった」
「あれは、いったい何者なんです? シノノメの知らない者です」
ユータとアイボリーはお互いに顔を見合わせた。そして同時にシノノメのほうに向く。
「マッハポイント」
「マッハポイント」
「だからね」ユータは優しくシノノメに言う「シノノメが知らなくて当然なんだ。シノノメは、吉祥の一族は、ずっと空の理、地の理、人の理を見てきた。だから地球のことで知らないことはないけど、あれは宇宙のものだ。シノノメが知らないのは当たり前だよ」
「そんなものに身体なんか与えて良いんですか?」
「そりゃあ、良くはないさ」驚くシノノメに、ユータは諭すように言う「でも、ずっとアイボリーの中に入れておくわけにはいかないし、ボクはダメだって、シノノメが言ったじゃない?」
「ダメに決まってるじゃないですかぁ」シノノメが恐ろしい剣幕でユータに突っかかる。ユータは適当にいなそうとするが、シノノメが許さない。
「でもさあ」2人の言い争いを眺めつつ、アイボリーがのんびりとつぶやいた「身体に固定したら、もうアステロイドベルトまで行く必要ないんじゃないの?」
「そんなことはない」ユータはシノノメの口撃を躱しつつ、アイボリーの言葉を否定した「いくら身体を持ったとしても、精神は自由に宙を駆け巡る、そういうものだよ」
「そんなあちこちシノノメの許可なくふらつくなんて許しません」
「ボクじゃないよ。マッハポイントの話だよ」
「誰であろうと何であろうと、絶対、許しません」
当然のごとくにシノノメはユータの弁を粉砕した。そうだろうねえ、とアイボリーも強いほうの肩を持つことにした。




