4年11ヶ月8日 4時間19分 前
机の上に分厚い資料が載っている。
電子書類でいいと言ったのに、わざわざプリントアウトしてくるとは…
最上面に載せられたタイトルに目を通し、がっくりと肩を落とす。
産学官横断プロジェクト革新的統合型産業向キラーアプリケーションの開発と管理 DMNI2KA(Development and management of novel integrated industrial killer applications)
二瓶亮二はため息をつきながら印刷されたスライドの紙をめくっていく。二瓶に代理を押し付けた部下はそれほど悪い奴ではない。いや、上司に自分の仕事を押しつけるなど公務員にあるまじきだが、何故か、いつの時も奇妙な具合に収まるので、二瓶本人はこの部下のことをそれほど嫌っていない。
ーーだが…
とにかくこの案件にはうんざりする。
日本標準産業分類というものがある。その大分類は20項目に分かれているのだが、公務とその他を除いた18項目について、それぞれ今後を担うソフトウェアを開発しようという試みである。
どう考えても手を広げすぎだ。何でこんなものが採択されたのか。そんなことを遡ってぼやいてみたところでどうにもならない。部下が会合に休暇をぶち当てて、こっちに振りたくなる気持ちもわからないでもない。
ーーディスプレイの前でリモート会議を聞いててくれれば良いですから、別に他の仕事しててかまいませんよ
それなら君がやってくれ、と言ってはみたが、休暇をたてに言うことを聞いてくれない。彼の年次有給休暇消化率は0で、休暇を認めなければ、彼も上司である自分も不幸なことになる。
二瓶は黙々と、通常の18倍あるのに中身の薄い資料を読み進めていった。そもそも事前資料など読まなくても良さそうなものだが、二瓶の性分で、引き受けた以上は適当にやり過ごすなどできないのだった。
ーー鉱業、採石業、砂利採取業分野についてのご報告ありがとうございます。時間も限られておりますので、質問につきましては、最後にまとめて受けつける形にさせていただきます。続きまして建設業についての…
やっと3つ終わったか。
聞き流しながらでも、他の報告書を仕上げるのには差し障りのない程度の話なので、内職はサクサク進む。会議には参加しているていなので、思ったより快適ではある。
ーー本プログラムは吉祥頑頭氏の作成された叩き台のプログラムを採用しており…
おや、と二瓶のキーボードを叩く手が止まる。
さっき聞いた。
吉祥頑頭?
まとめの事前資料には載っていない名だ。いや、載ってはいる。総合アドバイザーとして最後の付帯資料に乗っている。しかし報告書本文には出てこない名前だ。今日のリモート会議も欠席である。
しかし、農業と漁業でも実際の発表中に彼の名が出ていた。間違いない。変わった名だった。間違いないと思う。
二瓶は大急ぎで、過去資料や付帯資料をあさってみた。どの資料にも申し訳程度に吉祥頑頭の名が見え隠れする。
これは…
それで、わざわざ、こんな会議に代理で出席させたか。二瓶はここで調べるのをやめた。おそらく自分で調べるよりあの部下に訊くほうが早いはずだ。
部下の玉置という男、なんとも食えない男である。
「あー、玉置君」
二瓶は休暇明けの玉置に声をかけた。玉置はしたり顔で応じる。
「吉祥さんでしょ? 課長ならきっと興味あるだろうな、と思いまして」
「何者なんだ?」
「ただの天才ですね」
「それはわかるが、それだけじゃ全然わからん。どこの所属なんだ?」
「所属ですか…、まあ、強いてあげれば吉祥家、ということになるんですかね。彼、婿入りしましたからね。もとは弓手頑頭、遠い親戚なんですよ。本来、表に出てくるような人間じゃないんで、最初はわからなかったんですが」
「ますます分からんのだが」
「すみません、説明が下手なもんで」玉置は笑う「とある理由で文科省に借りを作ったらしくて、それで、少し手助けしてたらしいんですが。だったら、こっちにも少し手を貸してくれ、と親戚のよしみであれこれ…」
「わかったような、わからんような」
「具体的に何が聞きたいですか? 知ってることはしゃべりますよ」
「彼があのプロジェクトのアプリケーションを全部ひとりで書いた?」
「そうです」
「なぜ、それを秘密にする?」
「そりゃ、プロジェクトの他のメンバーにとったらたまったもんじゃないでしょう。だって他の人いらないんですから。第3回ぐらいの会議だったかなぁ。いちおう開発するプログラムの方針みたいなのが出たんで、その1週間後ぐらいに頑頭がプログラム書いてメンバーに配布して、それでおしまい。しばらくは、みんな無視してたんだけど、どうやっても頑頭作のプログラムより良いものができないんで、まあ、参考にしました、っていう体面ですかね。文書には残さないけど、口頭では… 、だって、しょうがないじゃないですか。もう、成果は出ちゃったんだし、自分らではできないしで。だからあんな感じです」
「吉祥さんは欠席だったが」
「だから、プログラム書いたあとは欠席ですね。いろいろ忙しいらしいし」
「文科省の仕事は何してる?」
「国際協力と、あとJAXA関連かな? めんどくさくなると、仕事終わらせて顔出さなくなるみたいだけど」
「仕事終わらせる?」
「産学官と同じですよ。成果出して終わらせちゃう。人工衛星打ち上げよう、って話だと勝手に打ち上げちゃうし、国際協力は…、なんだっけ? 天文台勝手に作って終わりとか」
「だって、プログラムはともかく、そんな人工衛星とか天文台とか、予算はどうしたんだ?」
「だって吉祥家だしね。ご存知ですか? 吉祥家?」
「まあ、少しは知ってるけど…、どうも妻の実家が吉祥らしいし」
「あ、いいなあ、逆玉じゃないですか」
「そうなるかな。でも、妻は実家とは縁切ったって言ってたけど…」
「ま、課長のプライベートについては、酒の肴くらいにしかならないからどうでもいいんですけど」
「酒の肴にするのもやめてくれ」
「善処します」
「で、彼は何ができるんだ?」
「なんでも」
「うん?」二瓶は玉置の言葉に首をひねった。なんでもとは何だ?
「何でもできますよ。わたしの知ってる限りじゃね。頼めば何でもやってくれるし」
「ずいぶん気前がいいんだな」
「断るよりやってしまう方が簡単だから、と本人は言ってますね」
「それなら、たのみ放題、なんでもしてもらえばいい」
「さあ、どうですかね?」玉置はうそぶいた「3つの願い、どう思います? 嫁さんの鼻にソーセージがぶら下がるのはあまりいいもんじゃあない。人はそれほど良いものを願わない」
「肝に銘じとくよ」やっぱりこの部下は苦手かもしれない。考えを改めよう「どうやったら彼に、吉祥頑頭氏に会える」
「それはとても難しい」玉置は意味ありげにニヤリ、と口の端を上げた「JAXAのプロジェクトがまだ走ってるはずで、たまには顔出してるんじゃないかなぁ」
「文科省だぞ」
「文科省ですよ」
「直接、連絡をとる方法はないのか? その、吉祥氏に。親戚なんだろ?」
「遠い親戚、ですよ。しかも婿入り先が吉祥じゃあ連絡の取りようがない。奥さんの実家だって言うんなら、そっちから頼んでみたらどうです?」
「…むずかしいかな」
「…でしょうね」玉置が気落ちしたように言う。ほんとうにがっかりしているみたいだ。何故?と訝しんだが、間を置かずに玉置のほうから喋り出した「もうこっちからは連絡取れないんですよ。逃げられたって感じですかね。だから課長ならもしかして何とかなるかな、って思って」
「だから、あの会議を押し付けた?」
「まあね」玉置はクスリと笑った「課長なら何とかしてくれるかな、と思ったわけです。確証はないんですけどね。勘ですよ。勘」




