4年11ヶ月17日 12時間32分 前
「教授、教授、もう、どこいっちゃたのかな、せんせーい」
教授室の入り口でメリルが騒いでいる。
しかたがないので准教授のアーノルド・ビザンツが様子を見に行った。
「ああ、ビザンツ准教授、アッシャー教授、どこ行っちゃったの?」
「さあ? よくわからないけど。備品取りに来たんだよね。教授から話は聞いてるよ」
メリルは電動台車を持参している、カゴ付きだ。根こそぎ持ってく気かな? ビザンツは思った。
「話って?」
「キミに教授の私物をあげたから、取りに来るかも、って言ってた」
「それそれ」メリルは嬉しそうに言う「それで取りに来たんだけど、教授いないじゃない。どうしようかと思って」
「だから持っていっていいよ」
「いやあ、教授いないのに持っていったらドロボウみたいじゃない。なんかやだなあ、って」
教授が居たって、そんな台車で持ってったらドロボウみたいなものだと思うけど。
「ボクが教授の代わりにここにいるからいいよ。持っていきなさい」
「それならいいや、ありがとうビザンツ先生」
メリルは遠慮なしに、気に入ったものを台車に入れていく。作業台の上にあった例の手紙をつまみ上げた。
「おいおい、いくらなんでもそれはダメだよ」
ビザンツが注意すると、メリルは何で? と問うてきた。
「教授の私信だろ。そんなもの持ってっちゃだめ。常識だろ」
「でも、こういうのって、後でけっこう役に立ったりするんだよ」
「だから、ダメなの、やめなさい」
ふーん、とメリルは手紙と封筒を作業台に戻すと、スマートフォンを取り出して写真に撮った。いちおう注意するビザンツだが、メリルは気にも留めない。
ーー産業スパイかよ
「まあ、ビザンツ先生もさ」したり顔でメリルが話しかけてくる「教授いなくなったら昇格でしょ。これからもよろしくってことで…」
「昇格? 異動するけど、昇格かなあ?」
「異動? 研究室残るんじゃないの?」
「なくなるよ、研究室は。どうせ教授1人でもってたようなものだし」
「えー、じゃあ、あたし、どうすんのよ」
「知らないよ。だから教授も備品持ってけって言ったんでしょ」
えー、えー、とメリルがわめく。うるさい。
「異動って、どこいくのさ? 教授と同じとこ?」
「いや、ボクはN A S AのJ P Lだよ」
「ほええー、N A S Aか。良いとこ行くんだねぇ。みんな宇宙行くのか」
「いや、ボクは、その、宇宙行けなかったほうかな」
「へえ、そうなんだ」
「うん、ボク、宇宙人の友だちいるんだけど。お前はまだ宇宙には行けない、って言われて」
待て待て待て待て、
宇宙人の友だち?
ーーコイツも頭おかしいヤツだったか
「教授は超空間を専攻してるけど、あれは難しすぎるから、ボクは亜空間のほうを研究している」
「へ、へぇぇ、そう」
ーーどこが違うのかわからん
ビザンツは作業台の上の手紙に目を落とした。
「やっぱり、小惑星を超えるサイズの宇宙船、インチの話と同じなんだ」
「インチ? 誰?」
「インチワーニ・ガルベストン」ビザンツは懐かしい名前を思い出し、声に出した「友だちの宇宙人の名前だよ」
「そ、そう…、変わった名前だね」
「地球人の言葉にいちばん近い音だと言っていた。ガルベストン湾はテキサスにある。ボクの故郷」
メリルは台車につっこんだ備品とビザンツの顔を交互に見つめた。どうにも話がおかしくなってきた。貰うモンは貰ったし、潮時かな?
「ビザンツ先生」メリルは電動台車のスイッチを入れ、小さな座席に腰掛けた「じゃ、あたし、もう行くんで、教授によろしく」
気をつけて、とビザンツは、ノロノロ走る台車に乗ったメリルに手を振った。
「メリルが来てましたよ」ビザンツが教授室に顔を出した。
「みたいだな」教授が辺りを見回して言う「ずいぶん荷物が減ってるよ」
「手紙まで持ち出そうとしてたんで、さすがにそれは止めましたけど」
「手紙? ああ、これか」教授は作業台の上にある手紙を手に取った「何でこんなものを?」
「さあ?」ビザンツは両掌を上に向けて、わかりませんね、とポーズを取った「こういうのが後で役にたつ、とか言ってましたけど」
ふーむ、教授は胸の前で腕組みをして、しばし考えていたが、やがて手紙を元の封筒に入れビザンツに差し出した。
「あの子にあったら渡しといてくれ。役に立つならお前が持ってろ、と」
「いいんですか? 大事な手紙なんでしょ?」
「俺にとって大事なのは手紙じゃなくて、手紙に書いてある中身だからな。それにもうすぐ手紙の主のところに行く。俺にとっては用済みだ。それなら、役に立てられるヤツが持ってたほうがいい」
そういうものですか、あまり納得できない面持ちで、ビザンツは手紙を受け取った。
「ボクも超空間の研究すれば良かったかな」
ぽそりと口を出たビザンツの言葉を、教授は聞き逃さなかった。
「おお、いいぞ、超空間は、やっとお前さんも超空間の面白さに気づいたか」
「いまから勉強して間に合いますか?」
「間に合う、間に合う、学問なんか、やろうと思い立った日が吉日だ。いつからだって遅いということはない」
「ボクも一緒に宇宙に行けますか?」
ビザンツの問いに、あ、んん、と教授は急に口ごもった。
「それ、いますぐ、ってことか?」
「そうです」
「難しいかな」
教授の姿が目の前から不意に消え、数秒後にゆらゆらとまた現れた。
まだ、安定しないな、と独言、そしてビザンツのほうを向いた「お前さん、できるか?」
「できません」
「それが答えだ」
「はい」
ビザンツの顔は晴れ晴れとしていた。変に気を使わず明確に指摘してくれた教授に感謝した。
「J P Lで少し揉まれてくるんだな。まあ、それほどたいした所じゃないが、他の研究所よりはマシだ」
「がんばってみますよ。超空間のほうもね」
「良い心がけだ」
「まあ、それは、それとして」ビザンツは笑う「さっきのあれ、メリル・キャスティーン嬢には見せない方ほうがいいですよ」
教授はバツが悪そうにうつむいた。
「それぐらいはわかってる」
「手紙あげる、とか言ってるくせに?」ここぞとばかりに、ビザンツは手紙の入った封筒を教授の前で振って見せる。
「超空間と亜空間連結の仕組みもわからん小娘だぞ。その手紙持ってるくらいでどうなるわけでもない」
「そのうち理解できるようになるかもしれない」
「それならそれで何の問題もないだろう。理解できたのだとしたらな」
確かに、その通りだが、はたしてそんな日が来るものやら。
部屋の半分を持ち帰った彼女に、それほどの期待を寄せても良いものか、ビザンツには教授の心がわからなかった。




