第三話 目醒め 続き
明るくなり始めた空に、山々の稜線が、段々はっきりとしてくる
今日も天気は良さそうである
とは言え、朝の風はまだ冷たい
清々しい空気と、森のあちらこちらから聴こえてくる鳥達の囀りが心地よい
隼人達は、カラコロと下駄の音を響かせながら坂道を下ってゆく
ここから甲府駅までは、約一里半程ある
春香は、白地に蘇枋色の矢絣と紫袴に靴 髪には、紅のリボンを結んでお下げにしている
昌綱は、制帽に、まだ仕立てたばかりの金釦の詰襟の制服に靴と言う格好で、二人は革の旅行鞄を下げている
あとの三人は、制帽と縞の着物に縞の袴、下駄という格好で、光豊は中にシャツを着込んでいる
それに皆夫々、風呂敷包みを一つ背負っているが、虎景の物は行商人の様な大きさである
「これが制服と言う物か 綱には良く似合っているな」虎景は、物珍しそうに生地に触れる
「詰襟がまだ慣れなくて」と昌綱が首を左右に動かしながら返す
「汚れるといけないからおよしなさいよ」それを見た春香が、虎景を窘めるように言う
すると、「馬子にも衣装とは良く言ったものだな春香」と感心する虎景
「それは、どういう意味かしら…?」と眉を引くつかせながら春香が答える
「言葉の意味を解っているのか…」光豊が、虎景を見上げながら言う
すると「起きたら皆が居たから驚いたよ」と隼人が、振り返った
「驚かせようって、隼人には内緒で、昨日皆で決めてたんだよ」と昌綱が笑いながら答える
「それに、乗り遅れるなんて事があったら本当に話にならんのでな」と光豊がポンポンと虎景の背を叩きながら言う
「勿論、俺が一番乗りだったぞ!隼人は、まだ夢の中だったがな!」と言う虎景に「こういう時だけは早いな」と光豊が続いた
その二人の言葉を聞くと、隼人の様子が少し改まった「そう言えばさ、夢で思い出したんだけど、昨日凄く怖い夢を見たんだ…」と真顔になった
「どんな夢だったの?」昌綱が尋ねる
「見た事もない場所で、俺一人が立って居るんだよ 辺り一面の建物が壊れて燃えているんだ そして…」少し言葉を詰まらせ、真剣な顔つきになる隼人
「そして、どうしたの?隼人」春香が尋ねる
「…とても…とても沢山の人が死んでたんだ その向こうに、大きな夕陽が沈んでゆくんだよ」
その隼人の言葉を聞き、少しの間張り詰めた空気と、無言の時間が流れた
「きっと、今日東京に出掛けるから少し緊張してたんだよ」とそれを掻き消す様に、昌綱が笑顔で言う
「そうよ隼人 せっかく東京に行けるんだから、夢の事なんて忘れましょうよ」春香が続く
「そうだよな!最近、夜空に赤く光る星も見えたりしたから、少し心配になってたんだよ俺」隼人は笑顔で答える
「俺が付いてるんだから、何があっても大丈夫だぞ、隼人っ!」虎景は自分の胸をドンと拳で叩く
「一番心配なのはお前だ」光豊の言葉に皆が笑った
やがて一行は、甲府駅へと到着した
この区間は、昨年完成したばかりで、駅舎もまだ新しい
駅舎に踏み入れると、まだ杉の木の良い香が漂っている
駅舎の窓の外には、停車場に蒸気を上げる機関車が見える
「陸蒸気を見るのは、去年皆と見に来た時以来だな」隼人の目が輝いている
「これに乗れる日が来るとは、夢のようだまったく!」虎景が続く
「ここから東京までは約7時間だそうだ、なぁ昌綱」光豊の声に「あぁ、父上からそう聞いているよ」
と昌綱が答えた
その時、まばらな人影の中、小さなお爺さんお婆さんがこちらに手を振っているのが見えた
「坊ちゃまぁ〜、皆さん」飛三達である
「爺や!婆やも!」昌綱と一緒に皆で急いで飛三達の元へと急ぐ
「旦那様達の代わりにお見送りに来ましたずら 皆様お気を付けて行ってらっしゃいましぃ」
「あ、そうだ、切符を渡すから、皆は先に乗っててくれるかな?」昌綱は三等切符を皆に渡す
「解ったわ さ、先に列車に乗って待ちましょう」春香が皆を先導する
飛三は、皆が改札を入ったのを見計らい「昌綱様、列車と周囲を調べておきました 怪しい物はございません」と報告を始める
続いて千代が「御方様のご命により、結界符を列車に貼ってございます 先程の守り袋は、皆様を霊力的にも気配を消し去るための物、との事にございます」
「解った、飛三、千代ご苦労であった 後は、帝都迄の鉄路の安全を頼む」昌綱は目で合図を送りながら続けた
「はっ、既に先代と配下の者達が配置に付いております」飛三の言葉を聞き「そうか、では我々は出発する」昌綱は皆が待つ客車へと急いだ
改札を入ると「昌綱ここだよ!」隼人が、窓を開けて身を乗り出して呼んでいる
「待たせてごめん」昌綱は
「解ってるから大丈夫よ」春香が止める
「お気を付けてぇ〜!」駅舎から手を振る飛三と千代に「行って来るよ!」大きな声で、元気に皆で窓から手を振って応える
ポォーと大きな汽笛が鳴り響いた
続いてガシャッ、ギィィッと言う大きな金属音がして揺れ動くと、ゆっくりと帝都東京へ向け列車が発車した