使徒
満月の深夜、ルナの森に入り、月の女神の涙と言われるその雫を手に入れると、何でも望みが叶うという。
それは満月の夜にしか現れないという女神の祠にある、女神像が流す涙なのだ。
女神の使いと呼ばれている祠を守る動物たちをぞんざいに扱い、傷つけ、無理矢理に雫を奪い、やっとの事で月の女神の涙を手に入れた者は、己の健康を願った。
頭の中に、男とも女とも分からぬ声が響く。
『健康とは、どういった状態か?』
「怪我をせず、寝込む病気にならず、常に食事を美味しいと思える生活だ」
そう説明した。それは了承され、しばらくは平和に過ごしていた。しかし、隣国と戦争になり、やがて戦争に駆り出され、どんな過酷な戦場に送られても怪我一つせず、最前線で四肢欠損者が大量に出る中、五体満足のため、配置換えをされず、むしろ盾にされる。
仲間だった者たちの死体が詰み上がっていく中、特例で昇進し、分隊長になった。上官が軒並み戦死し、人手不足なのだろう。
勢力を広げた軍は、ルナの森の先にある荒れ果てた村に、森を迂回して訪れた。村人は皆逃げたのか人も家畜も居らず、畑にも何も残っていない。そんな中、肉を煮ている匂いがした。
「おい、貴様、そこで何をしている!」
「これは、軍人様。おもてなしのご用意をしております」
大分言葉の訛りのきつい今にも倒れそうな老人が、大鍋をかき混ぜ、肉たっぷりのスープを煮込んでいた。
「毒でも盛ったのか?」
「そのようなことはいたしません。お疑いなら、食べて見せましょう」
「そうか。それでそれは何の肉だ?」
「しとでございます」
「しと? 使徒?」
神の使いの動物という意味だろうか。そういえば、ここはルナの森の側だ。
「使徒なぞ食べて大丈夫なのか?」
「それをあなたが言いますか」
ボソッと呟いていた。
「何か言ったか?」
「いえ、何でもございません」
匂いにつられて、部下たちもやって来た。
「隊長! それ食べて良いんですか?」
「毒見が終わってからだ」
老人が口に含み、飲み込んで見せると、隊員たちは一斉に食べ始めた。
「旨い、旨い、食べた事の無い味だけど、肉たっぷりのスープは久しぶりだ!」
若い部下たちがたらふく食べて笑顔になった頃、様子を見ていた隊長も食べ始めた。
「確かに、知らない味だが旨いな」
細長い肉が入っていた。中心が骨で、あまり食べるところはなさそうだ。尻尾か何かだろうか? それを持ち上げたとき、肉の端から何かが落ちた。
慌てて探すと、スープの中から出てきたのは、銀色の指輪だった。何でこんなものが。そう思ってその指輪を良く見ると、結婚したばかりだといつも自慢していた上官の物だった。そして気づく。この細い肉は尻尾ではなく人の指。
驚いてスープの器を放り投げ、その場で吐いた。部下には伝えずに、体調不良とごまかした。
「無敵の隊長が体調不良とか、珍しいですね」
部下たちには心配されたが、真実を教えたら全員が発狂しかねない。調理をした老人を探したが、当然姿はなかった。
テントに就寝し、ふと頭をよぎったのは、「あのスープは旨かった」そして自分の願い事を思い出し、その内容を呪った。
夜な夜な死体でスープを作り、だんだんと狂っていったが、体は健康で丈夫であり、心だけを壊し、本来の寿命がつきるまで、自殺すら出来ずに死ねないのだった。