食事
彼女らが歩くその場所は見渡す限りが乾燥地帯となっており、地面の隙間から弱々しく生えた草が唯一の彩りを担っている。
砂吹雪が眼球や肌を掠めるが、気にする様子もなくCIGM-Fの足音が一定の間隔で聞こえてくる。特に深い理由も無く、微細な電波を頼りに発信地へと向かう。
全体を観察しながら歩みを進めていると、一瞬地面がきらりと光るのを観測した。その光に反応するかのように、彼女の左掌についたスピーカーが声を上げた。
「CIGM-F、約150メートル先に金属製の物体を確認しました。人工物だと推測されます」
その声に対して目を細めながら口を開く。
「人工物か。何だろうね」
彼女の軽い返事とは裏腹に、それなりに興味があるのか歩を早めた。
数分歩くと、その人工物の前までたどり着いた。金属製の高さが低い円柱で、側面に文字が書かれており、近くに同様のものがもう一つ落ちていた。
「なんだろう、大きさの違う文字がいろいろ書かれてるね」
「古い文字で書かれていますね。解析を行います」
特に警戒することもなくその物体を持ち上げる。陽の光によって高温に熱されてたが、危なげなく観察に集中する。
「これはおそらく『サバの缶詰』と思われます」
「サバ...ってことはサカナ?へぇ、昔の人はサカナをこんなに小さく閉じ込めるんだ」
感心したように回し見ていると、スピーカーが補足するように説明を始めた。
「缶詰は、人類が保存食として開発した食品の1つです。今回の場合はサバの肉を調理後に密閉し、長期間保存を可能にしています」
「保存食なんだ、使いやすそう」
「魚は高い栄養価を持つ食材です。主成分として蛋白質、脂質、オメガ3系脂肪酸などが含まれます。これらは人間の…」
「簡単に言うと?」
「人間の身体に必要なものが含まれています」
彼女は聞きながらデータを記録していく。人間について知る上で重要なデータかもしれないから。
「人はこれを食べてたんだ?」
「はい。そして、CIGM-Fも摂取可能です」
「そっか。じゃあ食べてみよう」
缶詰を掴んでみたは良いものの、肝心の取り出し方が分からない。ラベルに書かれた情報を読み取ると、「缶切り」という道具を使うようだが…
「缶切り……そんなもの無いけど」
やむを得ないので、一度握り潰して外側の破壊を試みる。徐々に指を折り曲げるように力を加えるが、缶詰は固く閉ざされたままだった。彼女は小さく「う~ん」と唸り、今度は少し強く握りしめた。
――グシャッ
缶詰が鈍い音を立てて潰れる。中からあふれ出た液体はCIGM-Fにもかかり、握りつぶされた缶詰から滴るものは地面に着くと同時にジュウと音を立てて蒸発した。
「やっぱり缶切りいるのかな」
スクラップとなった缶詰を眺めていると左掌のスピーカーが返答した。
「缶詰の開封は慎重に行う必要があります。上面の蓋部分へ力を加えて、適切に破壊することが求められます」
「なるほど。じゃあ次は慎重にやるよ。けどその前に飛び散った液体から味わうよ」
顔周りに飛んできた液体を舌なめずりで拭き取る。体内へと入った液体を分析する。
「いわゆる魚臭いっていう香りと味なのかな。でもぬるぬるする」
「この缶詰は魚の身を調理し、油とともに密閉したものです。ぬるぬるする理由はその油が原因と思われます。」
「油なら燃料に出来るね」
「あまり燃料として馴染みはないようです」
素っ気ない否定を無視し、最後の缶詰を開けることにした。
「要するに上だけ壊せば良いんでしょ」
そう言って上部を鷲掴みし、無理やり引き剥がした。
「これが……魚?」
知っている魚の形状とは違い、無惨にもコンパクトに成形された肉塊としてサバが収納されていた。
「人は食べる際に口を使い、歯で砕くことで吸収率を高める構造となっています」
CIGM-Fは魚の身を一切れつまみ上げた。柔らかく崩れそうな感覚が指の感覚器官を通じて伝わる。それを口元へと運び、静かに咀嚼を始めた。
音が響く。
外側からの風や砂とは異なる、身体の内部で生まれる音。歯が魚の身を砕く音、舌の上で柔らかく潰れる音。それらが頭部の内部に反響した。彼女はそれを一つ一つ感じながら飲み込んだ。
「初めて物を食べた気がするんだけど、うるさいんだね」
「歯ごたえのあるものを食べるとより大きな音が中で響きますよ。魚はむしろ音が気にならない方です」
「じゃあ人は柔らかいものをメインに食べてたのかな」
「いえ、そんなことはありません。むしろ固いものを食べる方が顎の力や歯を鍛えられるメリットがあります」
「…皆耳が悪かったのかな」
彼女は次の一口を口に運びながら、ふと空を見上げた。白く広がる空の下、人は他に何を食べていたのだろうと考える。だが、考えは途中で途切れ、ただ目の前の缶詰に意識が戻る。
「身体に必要なもの入ってるんだっけ」
「はい、タンパク質と脂質が主に含まれています。CIGM-Fの活動維持にも適している成分です」
「そうなんだ。つまりこれは良いものだ」
彼女は缶詰を最後まで食べ終えた。食べる行為に不満を抱きつつも、静かに満足するように立ち上がる。
「そろそろ行こっか」
「電波の発信地は、ここから約20キロ先に確認されています」
「どこかでたくさん成分取らないといけないね」
CIGM-Fは空っぽになった缶詰を残してその場を後にした。もう缶詰はここから見えない。




