// 1-1 はろー、黒歴史
異世界転移ものとして読みたい方はここから読めば大丈夫です。
私は田舎というものを知らない。
両親の実家はともに都内、私自身も都内生まれ都内育ち。
たまに旅行で他県に行くことはあるけれど、そういう時の行先はたいてい観光地であり、田舎というほど田舎に行ったことは一度もない。
テレビや映画で自然豊かな田園風景を眺めることはあるけれど、実感として、私は田舎というものを知らなかった。
何が言いたいのかというと、ここは田舎だった。
というか、田舎を通り越して大自然。
周囲には青々とした草原が広がり、人工物の一切が見当たらない。
よくよく観察してみると、どうやら小高い丘の上にいるらしいことが分かった。
稜線まで歩いて超えてみると、少し下ったところに、周囲を囲むように森が広がっている。
風が吹くと森の木々が揺れ、木の葉のかすれる音とともに鳥や虫の鳴き声が聞こえてくる。
ふと空を見上げてみる。
空を遮るような高層建築物なんてものはなく、青い空がこれでもかというくらい広がっていた。
「...いい天気だなぁ。」
そうつぶやき、草原に仰向けになる。
部屋着越しに、短い草花が突き刺さり、ちくちくする。でも悪くない。
あまりにも気持ちいい天気に、私はゆっくりと目を閉じて、深い眠りへと...
「って、現実逃避してる場合じゃねえ!!!!!」
あっぶな! なに昼寝しようとしてるんだ私は!
慌てて立ち上げり、改めて周囲を観察する。
草原、森、青空、ということは屋外、だよなぁ。
周りには建物なんか見当たらない。そもそも、外に出た記憶なんてない。
極めつけはこの服装だ。
いくら私といえども、年頃の乙女(24歳)として、日中に部屋着のまま遠出するようなことはありえない。多分、きっと。
念のため頬をつねってみるが、ちゃんと痛い。
念には念を込めて、両手で思いっきりつねってみる。
...めちゃくちゃ痛い。泣けてきた。
つまり、これは夢ではないということ。
「やっぱり、あの光のせいかなぁ」
すべての状況が、その事実を指示していた。
つまり、私は自室から、見ず知らずの土地まで瞬間移動してしまったのだ。
一応、気が付かないうちに一服盛られて連れ出された可能性もあるけれど、そっちの方がよっぽど怖いので無視する。
さっき頬を痛めつけたせいだろうか、動転していた気が落ち着いてきた。
すると、新たな問題が脳裏に浮上する。
「これ、私帰れるのかな...」
そう呟いてから、あっ、しまったと思った。
口に出してしまったことで、次々と不安が襲ってくる。
まったく知らない土地。周囲に人の姿もない。
歩いて人里を探そうにも、見渡せる範囲内に人工物は一切存在しない。
確か、水平線までの距離はだいたい4kmって聞いたことがある。
ここは丘の上だし、それよりはるか遠くまで見えているはずだ。
丘を下って、森を抜けて、その上最低でも4km以上を1人で歩き回らなければいけない。
そもそも、ここが日本だという保証もない。
治安のいい国ならいいけれど、最悪、人に会ったら余計にひどいことになる可能性もある。
せめて、助けを呼ぶことができれば...。
と、そこまで考えて、一つの解決策を思いついた。
「そうだ! スマホ、これで助けを呼べば...」
部屋着のポケットに手を伸ばす。
ポケットをまさぐると、なじみのある感触が指先に伝わる。
摘まみだすと、普段使いしているスマートフォンが出てきた。
「ふぅ、一時はどうなることかと思ったぜ」
冷や汗を部屋着の袖で拭いつつ、スマホの電源を入れてみた。
現在時間やアプリの通知状況などの情報とともに、見慣れたロック画面が表示される。
そして、電波状況が表示されるはずの場所には、小さな文字で「圏外」と書かれていた。
で、ですよねー
がっくりと肩を落とす。
その勢いのまま膝から崩れ落ち、再び仰向けで寝転がった。
圏外、圏外かぁ。
まあ、こんなド田舎な時点でうすうすそんな気がしてたけどさぁ。
恨みがましい目で、もう一度スマホの画面を見つめる。
先ほどは気にしなかったが、現在時刻は22:30と表示されていた。
シュン君たちが帰ったのが22時前だったから、あれから30分くらいか。
改めて空を見る。
先ほどと変わらない、きれいな青空が広がっている。
誰がどう見ても夜ではない。
つまり、ここは日本ですらなかったわけだ。
やばい、なんか泣けてきた...。
***
あれから一時間が経過した。
スマホの時計は23:30を示している。
一時間、私が何をしていたかといえば昼寝だった。
いや、そもそも今日はずっとゲーム製作に興じていたわけで、そんな状態の私をこんな気持ちのいい原っぱに放り出しておいてさ、そんなん寝落ちるに決まってるじゃん!
脳内で言い訳を構築しながら、部屋着の袖で涙を拭い、体を起こす。
べ、別に泣きつかれて寝ちゃったわけじゃないんだからね?
伸びをしつつ、空を見上げる。
太陽が先ほどよりも高い位置にある気がする。つまり、まだお昼前だったわけだ。
時間は十分ある。少し休んだおかげで体力も回復した。
「よし、行きますか」
意を決して、私は人里を探すことにした。
といっても、でたらめに歩きまわることはしない。
スマホを取り出し、カメラアプリを起動する。
カメラの拡大率を限界ギリギリまで底上げして、周囲を見渡す。
肉眼では人工物は見当たらなかったけれど、これなら見えるかもしれない。
そんな期待を胸に、カメラを構えながらぐるりと体を回していく。
見落としがないよう、じっくりと観察を続けていると、視線の先にある山の向こう側から鳥のような影が向かってくるのが見えた。
そういえば、鳴き声はやたら聞こえるけど、姿は全然見られなかったなぁ。
そんなことを考えつつ、大した意味もなくその鳥をカメラに捕えてみる。
鳥のように見えたソレの体表は、赤い鱗で覆われていた。
筋肉質な2対の脚の先に、鋭く尖った鉤爪が生えているのが伺える。
背中から生えた、コウモリのものを彷彿とさせる翼をばっさばっさとはためかせているその鳥は、恐ろしいほど赤い瞳で、カメラ越しに私を睨みつけていた。
どう見ても鳥ではない。
「って、鳥じゃなぁぁああい!!!!」
私の叫び声に応じるように、ソレは大きく口を開く。
少し遅れて、お腹の底にずんずんと響くような、低い咆哮が聞こえてくる。
どう見てもドラゴンです。本当にありがとうございました。
「か、隠れないと...」
慌てて駆け出した私は、丘を転がり落ちるように下り、森に生えた木の陰に隠れる。
しばらくすると、ドラゴンの羽ばたく音が聞こえ、丘全体が震えるような着地音とともに、先ほどまで私がいたあたりに着陸した。
ドラゴンは周囲を見渡すと、すんすんと鼻を鳴らした。
しばらくはその仕草を続けていたようだが、不意に動きを止めると、大きな体をぐるりと回し、私の隠れている方へ向き直った。
あ、もしかしてこれ、やばい?
そう思ったのも束の間、ドラゴンが丘を滑空するようにこちらに向かってきた。
その速度は、とてもじゃないが私が反応できるものではない。
反射的に、私は体を硬直させ、目をぎゅっと閉じた。
命の危機にその反応はどうなんだとか、作りかけのゲームを完成させたかったとか、妹の黒歴史渋アカウントを発掘したかったとか、そんな下らない思考が瞬時に流れていく。
これも一種の走馬灯なのだろうか。
と、覚悟もなく死を実感していたその時、不意に鼻先を何かが横切る気配がする。
直後、目の前で何かがぶつかり合うような爆音と衝撃が伝わってきた。
「大丈夫かい、お嬢さん」
そんな、女性の声が聞こえた。
「たっ、た、助けてください!」
人の声で話しかけられた私は、ついつい反射的に助けを求めてしまった。我ながら情けない...。
「あぁ、私に任せろ」
声の主はそう短く応えた。
恐る恐る、閉じていた目を開く。
そこには、銀色の甲冑に身を包んだ騎士が佇んでいた。
背中には赤地に金色の刺繍が施されたマントを羽織り、手に持った巨大な両手剣でドラゴンの突進を受け止めている。
「オルタナス王国第二王女である我がサニア・フォン・オルタナスの名に誓い、貴女をこの邪龍から救い出そう!」
サニアと名乗った騎士姿の女性は両手剣にぐっと力を込めると、そのままの勢いでドラゴンを吹き飛ばす。
吹き飛ばされたドラゴンは受け身を取ることもできずに地面に叩きつけられた。
そんな凄まじい光景を目の当たりにした私は、サニアの名前を聞いた瞬間から、嫌な汗が止まらない。
ドラゴンが呻きながらも立ち上がり、サニアと私に向かってその大きな口を広げた。
周囲がとたんに熱くなる。
ドラゴンの周りの大気が蜃気楼のように歪んで見える。
草原の草が発火し、黒い煙が周囲に立ち込める。
それらすべての熱は、大きく開かれたドラゴンの口から生じているようだった。
「ブレスか、それなら...」
サニアはそう小さく呟くと、続けて呪文のようなものを口ずさむ。
「燃え盛る業火の王よ、その怒りを鎮めよ
紅蓮の嵐を従えし焔の精霊よ、我が誓約に応えよ
天地を焦がす灼熱の牙を退け、揺るがぬ盾を築かん!
いかなる焔も触れること叶わず、ただ無へと還れ!
✦✧ 焔障結界・フレイムヴェヒター ✧✦」
サニアの詠唱が完了すると、私とサニアを包み込むように4重の障壁が展開された。
それと同時に、私が膝からガクッと崩れ落ちる。
解説すると、フレイムヴェヒターを構成する4層の障壁は、それぞれが火炎属性の攻撃を75%軽減する防御魔法だ。
効果の対象が火炎属性に限定される代わりに、最終的な軽減率は1/256にも及ぶ。
実質的に、火炎属性に対する完全防御魔法と言えるだろう。
え、なんでそんなこと知ってるかって?
私が作ったゲームの設定だからだよ!
さっきの詠唱も、中学2年生の私が一晩考えて作成したオリジナルの呪文だ。
ちなみに、ヴェヒターとはドイツ語で守護者とかなんかそんな意味だった気がする。
そして、先ほど彼女が名乗ったサニア某とかいう名前も、私が作ったゲームの主人公に与えた名前だったはずだ。
確か、英雄として覚醒した最強の姫騎士が、王国の滅亡を目論む悪い魔術師を倒しに行くとか、なんかそんな内容の短編RPGだった気がする。
ドラゴンは障壁を見てわずかに反応したように見えたが、依然としてこちらから目を離さない。
不意に、ドラゴンの周囲に燻っていた炎が消え去る。
大気の揺らぎも見えなくなっていた。
ドラゴンが攻撃を諦めたのか?
そう思った瞬間、ドラゴンの喉元が小さく光った。
光は一条の光線となり、私たち目掛けて一直線に飛来した。
光と障壁が衝突したとたん、光が障壁の外郭を沿うように周囲に拡散する。
拡散した光に触れたすべての物質が、瞬時に蒸発し、消えていく。
光は徐々にその太さを増していき、大木のような火の塊となって私たちを包みこむ障壁に襲い掛かる。
「これは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だ...」
私は体育座りでうずくまり、目を閉じ耳を塞ぎ、全力で現実逃避をした。
理由はもちろんドラゴンのブレスなどではない。
「やれやれ、困ったお嬢さんだ」
サニアがそんな風にこちらを見てにやりと微笑む。
その、「やれやれ」みたいな所作やめろぉ!
中学のときはかっこいいと思っていたけれど、今になって見せつけられるとなんか、こう、つらい。
私は草原にうつ伏せになり、声を押し殺しながら叫び、両足をバタバタと動かした。
もうこれ以上直視できない...。
私がそうして現実逃避をしているうちに、どうやらドラゴンのブレスは打ち止めになったようだ。
「こいつの主力が火炎で良かった。他の属性魔法を使われてしまっては、こうも簡単にはいかなかっただろうな」
周囲の木々を蒸発させ、地面を溶かし、草原を焦土へと変換したそのブレスを以てしても、障壁の中の私たちには少し汗ばむ程度のダメージしか与えることはなかった。
「さて、そろそろ終わりとしよう」
サニアは歩きながら、反動と排熱で行動することのできないドラゴンに近づき、その首元で両手剣を構えた。
そして、一気に振り下ろすと、一太刀のうちに巨大なドラゴンの首を切断してみせた。
うわぁ、ぐろぉ。
こんな描写、入れた記憶ないんだけどなぁ。
ともあれ、私は助けられたらしい。
思い出すだけで気恥ずかしい、中学時代の私の遺産、その黒歴史の産物に。
気に入っていただけましたら、評価をよろしくお願いいたします!