第二章 1 (上)
その夜。
「う」
ひぃあああ、と。
奇声をあげそうになり、景はあわてて口をおさえた。
ひとりで。ほかに誰もいない納戸で。
それは、夕餉のあとのわずかな自由時間。のはずが、昼間の単独行動の罰ーー山荘へもどった直後に、きつい説教をみっちりくらったうえに、だーーとかで、探しモノをさせられていた、その時だった。
わりと時間はかかったが、景がようやく探していた花器とおぼしき桐箱をいくつか見つけ、
それを二、三あけてみたーー時。
蓋のなかの緩衝材がわりの古紙、ふわ、とたたまれたそれを、なんとなくひらいてーー
(ふわぁぁっ⁈)
震えた。
両手でその紙ーー古い新聞を、ひらいた形のまま。
震えながら。
「う」
ひぃあああ、と叫びそうになった己の口を、とっさに片手でおさえ、
ちらり、と一瞬、周囲をうかがってみる。そして、
もう一度、こっそりと見まわしてみる。ひとり、意味もなく、
『来てそうそう襲撃とか、ありえねェ』
と、その時。声。
ぴた、と景は動きを止めた。
『おまえ、襲撃したヤツって誰だか聞いた?』
壁の向こうから、声ーー
紙から片手をはなし、景はそろり、と座りなおす。すぐま横は、モノだらけの納戸のなかで、なぜかその前だけ、棚も箱もなにもない板壁、
壁の向こうは大広間、現在、昼は武人たちの食堂、夜は寝処になっている。
声はそこからーー
貴人か武人、あるいは古参か新参かで、生活の場がだいたい分かれるこの山荘で、ここの納戸は壁が一部分、薄い。
ここだけ、薄い。
『俺、屋根のうえ走ってるヤツ、一瞬見た』
『俺も。小柄で坊主頭の。アレって近習?』
『悪り、俺、近習って全員おなじにしかみえねェ』
『てか、毒花いるって噂だし、そっちが犯人じゃ…』
薄い壁ごし、さかんに洩れる会話。夜具やら荷やらを、ひろげる物音、足音、
『そういえば知ってる、“主様”がここに来るまえにさ、』
誰かの得意げな声に、あの側近の、とほかの誰かが言い、何ソレと寄ってくる声。アレでしょ、とまたべつの声が、
『俺らが雇われるまえにも、襲撃があったとか。側近が死んだとか』
(何ソレ)
景はいったん紙を箱にもどしーーかわりに、花器を持った。万が一、誰かが廊下から納戸をのぞいた時のため、仕事してるフリ、
(いや、)
コレも仕事、だ。
乾いた布で、花器をみがきはじめる。広間では、ええッとか何で、とか、
なんというか、
(愉しそうだね、)
ーー黄麻、
なんでそんな、大事な情報を寄越さない、
(…に、しても)
壁の向こうーーの声が、微妙にデカい。昼間の一件の反動だろうか、それとも動揺してるのか、
広間にいる武人たちは、そのほとんどが新参者、主様の還俗のために雇い入れられた、「にわか」なのだというけれど。そのせいーーか、
(なんか警戒心、なさすぎ)
怒られても知らんし、と景は舌をだした。
どうやらーー死んだ側近の話は、盛りあがったわりにはあやふやだ。賊の刃から主様をかばったらしい、とか毒で死んだ、とか、なんとか。
雇い主のことを、間諜やら何やらまぎれてそうなあんな場所で、まあ賑やかにネタにするなんて、
(いい度胸、)
ーー怒られるぐらいで、済めばいい。けど。
情報漏洩の疑い、からの解雇ーー最悪、口封じーーとか、絶対無い、なんて言い切れないだろう。なにしろ、
主様はーーいささか人見知りが過ぎる方、だ。
おかげで景には、主様の人となりが、まだ全然わからない。なにしろ景はいまだに、主様の声しか知らない。
部外者のまえでは、彼の御方は、いつでも下ろした御簾の向こうーーだからだ。
たとえば、さきほど景が、木槿に怒られていた時も。
御簾の奥は、気配のみで、ずっと沈黙を、
『てかさ、俺たちがお仕えしてるのって、』
と、大広間でも、似たようなことを思ったのかーー
一人が言いだした。
『結局、二の君?三の君?』
『おふたり、年子?だったっけ』
『はは、年格好だけじゃ、絶対区別できねーヤツ』
それなー、と誰かが相づち、
(それな、)
景も、勝手にうなずいてみたりする。
そう、「主様」で景のもつ情報が、「御簾の向こうの主様」のまま上書きされない理由の、もう一つーー
此度の次代さまの一件で、還俗予定だと名のあがる御子君が、二人おられることだ。
「二の君」と「三の君」。
主様は、いったいどちらの君だ、いや、
そもそも寺を出たのはおひとりか、おふたりともなのか、
(前提が、わかんないし)
わからなくても、「ただの警護」には支障ない。だから、誰かに事情を確認する必然性もないーーヘタにつついて、こちらが勘繰られるのもイヤだ。
おまけに黄麻が寄越すはずの言伝ーー、つまり外からの情報も、いまだ、来ず、だし、
壁のあちらでは、でかいため息ーー主の顔が見えないって何だかなぁ?
なんで還俗ふたりも必要?一人でよくね?ヒソヒソ、ヒソヒソ、大侯さまも、なんでまぎらわしい真似を?これって何かの偽装?イヤやっぱり二の君の例のウワサーー
なあ、と誰かがさえぎった。
『そーいうの、止めねェ?詮索しない、が高い給金の条件だし』
『だって二の君だとしたら、結局オレら貧乏クジで』
『知らねェ、食えて寝て、ちゃんと金さえもらえれば。文句も無ェ』
はは、とどこかでかわいた笑いーー
は、と景は眉をひそめ、
(貧乏クジて)
ーー無邪気かよ、
すこしシン、とした大広間では、気まずそうな声があのさ、と言いかけ、その時、
『まあ、二の君って線は薄いんじゃね?』
別の声が、わり込んだ。
『だって二の君だったらこの山荘、本気でヤバいし』
なんでよ、とデカい声ーーちら、と景は壁を見た。
問い返されたほうは、声を落とし、
『ほら、この山荘て“おのこ姫”の、』
『おのこ姫?』
『声でけェよバカ、もとは“蘇芳”の山荘だから、』
ピキ、と。
壁の向こうが、凍りついたーー
一瞬後、誰かが言い過ぎだバカ、とつぶやき、それを合図にオレ風呂だわ、オレも、俺は夜番、などと集まっていた者たちが、 あっというまに散っていった。
一人の気配も残さず。
景は、
ぽりり、と頬を掻いた。
みがいていた花器を床に置きながら。
(“蘇芳”)
ーーすおう、
壁の向こうのわりと遠くで、たぶん話を聞いてただけの誰かが蘇芳かよ、とつぶやき、言うなよバカ、などと止められていて、景は、
(呪いかっ)
心のなかで盛大に突っこんでみた。空に。
蘇芳がーー
かつての南都十家、今では没落したその一族が、もともとこのあたりの領主だったことは、景も知っていたーー古地図にも、ちゃんと載っている。
(けど、)
凄い。あの武人たち。主様を、貧乏クジかも呼ばわりまでしていたクセに。「蘇芳」の名が出たとたん、逃げるか。蘇芳は呪いか腫れモノかタタリ神か、
ふん、と鼻でわらい、足をずらして座りなおしながら、
(に、しても)
景は、宙に視線を投げる。
「“おのこ姫”?」
男子姫、
本日、二度めの語、
(て、おのこひめ、て?)
「…まあ、いいか」
もう一度、頬を掻いて、つぶやく。
ここで考えてーー何かわかるわけでなし、
(それより、)
それよりさー、と小鼻がかるくふくらんだのは、思い出した瞬間ニヤつくのを我慢したからで、誰にだってあるだろう、特別なモノなんて一つやふたつ、
景にはそれは、たとえば古地図ーーでも、今回は、
(もしかして、匹敵しちゃう⁈)
もしかしてーー浮かれてる、
さきほどの古新聞をまた手にし、ふう、と息を吐きそうになって、ヤバい紙に呼気の湿気が、などと一瞬焦り、まずは閉じたページをちろ、と覗いたりしながら、
落ちつこう、
これは、新聞広告ーーだ。すみの社章と、十一年まえの日づけ、
(山荘はまだ、“蘇芳”の所有、)
そんな頃、
ちら、と景は花器の箱を見、それから、えいや、とーー
「『シホリ』さまだぁ…」
ページを開いた瞬間。に、
呻いてしまったのは、たぶん、やっぱり浮かれている。そうとう。
それ、はひとりの少女の装画。
広告にしてはぜいたくな、多色刷りの。
(意味わかんない)
こんなど山奥で、こんないろいろあり過ぎた一日の終わり、いきなり、小説シリーズ「伝説の姫巫女シホリ」の、見たことないからたぶん希少、な装画に出くわしてしまう、とか、
(イミわかんない)
どんな展開、どんな奇跡、気もちが追いつかなすぎる、なんで『シホリさま』がここに、もしやこれが姫巫女の神秘、などと一瞬、現実逃避してみたりしつつ、
もっとよく装画を見ようとして、その時、
ーー景はすばやく、新聞を閉じた。
「何してるんですか」
同時に、背後から高い声。
納戸の引き戸がバン、と開いた。
景の、
表情が、消え、
「…雨音どの、ですか」
感情のない声で、
床に落ちる影を目でたどると、その先、戸口に立つ少年が、
にこり、とした。
「毒花どのは、誰の許可で納戸に?お一人では、何かと勘繰られますよ?」
「私が誰の指図でここにいるかなど」
薄く、口もとで景はーーわらい返す、
「雨音どのが知らぬはず、ありますまい?主様直属の近習どの、なのですから」
雨音の瞼がぴく、とした。
景はことさらに、口角をあげ、
「雨音どのこそ、よほど火急の用なのですね?今日のような日に、わざわざ主様のおそばを離れて」
ーーああ、と言葉を一度、切り、
「お手伝いして、さしあげましょうか?」
「そ…なっ、偶々…っ通ったら、明かりが…っ」
雨音のこめかみに、筋が浮く。それを景は、眺めやる。ええ、とかなんとか、言いながら。
が、その間、手は新聞を片づけている。視線はやらず、ただなんとなく手を動かしている風に、でも、
ほんとうはーー注意深く。これ以上、紙に折り目がふえないように。
わ、私はべつに、というか何か私に疑いでも、などと勝手に、こめかみの青筋を増やしていく雨音をよそに、桐箱へ『シホリさま』をそっと仕舞い、
「じゃなくて毒花どのは、誰の指示でーー⁈」
「木槿さまです」
と、景が立ちあがったので、雨音がビクッと半歩下がった。
ちょうどーー景の今の目の高さに、うすい眉。眉間のシワと、青筋と、伸ばしはじめの、髪の毛、
「…歳って、いくつです?」
「はいぃ?」
目のまえのうすい眉が片方、鋭角にあがったので、ま、いいか、と景は肩をすくめる。手燈を消し、花器のひとつを雨音の胸もとに押しつけながら、
「運ぶの手伝ってください、雨音どの?ここで用事がないのなら、」
「って、こんな一点モノ、気軽に他人に押しつけ…っ」
すでに、景は雨音の脇をぬけ、廊下を歩きだしていた。ちょ待っと雨音が、引き戸を閉める音。
いったん立ち止まり、
景はふり向いた。
戸のまえでは雨音が、こちらを向いたところだった。花器を両手で抱えなおしながら、なんなのアンタ、と吐き捨てる。
「どうしてぼくが、」
景は、
ふたたび歩きだした。雨音にす、と背を向けて、
数秒後。
雨音の、かん高い声ーー
「ちょっと?なんなの?ほんとうに⁈」
タイトルがインソムニアなのに、今まで夜、がなかったですね…。
ようやく、夜です。インソムニア感やフカヒ感があるかは、べつにして。
今年は忙しい年なので、また、間が空く予感がするのですが、次エピでは、前にちろっと出したあの人を、もっと書く予定です。
体調は、横ばいです。無理せず書きます。




