表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第1章 2 (上)

 鏡面には、剃りなおしたばかりのまるい頭、

 それに腫れぼったい不機嫌なまぶたと、おなじく不機嫌な口もと。

 鼻すじは役者用の練おしろいでのっぺり潰す、ほお骨やあごのうす赤い点てんは、たぶん汗のせい、見た目は肌荒れ、ソバカス、ニキビ痕、のどれか。

 おのれの生白い頭に、景はべつの肌色をかるくのせる。すこしでも血色よく見えるように。

 景の任務上の設定は、「寺から従ってきた近習」。いかにも急きょ剃りました、な皮膚の色で、“にわか坊主”がバレてはいけない。

 起床時に、身づくろいはひと通りしていたが、朝食後の化粧なおしもこれで済み、だ。

 景は割りあてられた寝部屋の引き戸をあけ、廊下へ出た。

 ここは、国境と南都のほぼ中間に位置する山中ーー

 街道を見おろす小高い尾根の、その山陰に建つ山荘は、今日もじりじりと残暑の陽に灼かれつつある。

 秋の花ももう、咲いているのに。

 廊下のつきあたり、丸窓の格子ごしに、景は庭を見やった。目だたない片隅に、ひっそりと黄赤の花が咲いている。

 警護対象の貴人は、このまえ目通りした国境近くの館から、四日まえにこちらの山荘へ移ってきていた。

 景の手あてを終えるやいなやーーだ。

 首すじのカサブタを無意識にいじりながら、

(あの時ゆってた『お時間』って、ここへの出立のことだった)

 景はなんとなく、思い返す。それにしても、彼らはどうやら今まで、こうして各所を転々としていたらしい。

(ここには、どれぐらいいる予定、)

 この山荘も、先日の館とおなじく「ヒノモト様式」だ。が、色味はまるで違う。あちらは白木、こちらは艶つやしい黒光り、ただ、どちらも屋内で履き物は脱ぐ。

 暑いなか、すぐ素足になれる状態でいられるのは、嬉しいことだった。とはいえ、仕事中に裸足にはならないが。気分だけでも。

 景はきっちりボタンを留めた男物の襯衣シャツの、長い袖口をゆるくまくりあげた。色は生成り、衿なし(ノーカラー)、暑い。

 下はすみ色のボトムスだ。これも男物で、裾をひもですぼめてある。

 これらは、支給されたお仕着せだった。が。

(さて)

 カサブタを掻きながら、考えこむ。

 景はーーたしかに最初の目通りは、男の格好を自発的に、した。

 それに今だって、身体の凹凸をごまかす仕様の下着をつけ、ふだんからめりはりに欠ける体型を、より平らかに見せる努力もーーしている。

 それは認める。自分で。でも、

(自分男です、とか名乗ってないし)

 女です、とも言ってないけれど。

 聞かれもしないし、

(これはーー)

 どう考えればいい。

 こうして男物が支給されるところをみると、じぶんは完全に男だと思われている、でいいんだろうか。それならそれで、

(いや、でも)

 カリカリ、とさらに景はカサブタを引っ掻く。無意識に。

黄麻ジジイが身上書、提出しているはず)

 正式な書類に虚偽を記載するわけにもいかないので、そこには女、とあるはず、

(まさか、)

 書類に目を通していないーー

(は、ないか)

 こちらに対して、最初にあれだけ「これ見よがしの警戒」を見せつけてきた御仁ごじんたちだ。当然、書類にだって目を通し、こちらの情報を把握しようとはするだろう。

 たとえ、毒花に用はない、のだとしてもーー

(しなければ、馬鹿だし)

 なのに、誰も何も言ってこないのは、

(逆に気もち悪い?)

 不可解。

 深く考えると、自分がどう立ち振る舞えば良いかまで、わからなくなってしまいそう、だ。

(いやいや)

 景は首をこき、こきと動かして、軽く息をつく。だからといって。

 誰かに何か言われたからとて、この野郎だらけの大所帯で、女の格好なんて血迷った所業、絶対にするつもりないけれど。もし何か言われたら、「お言葉を返す」準備も覚悟もできている。し。

 丸窓につるされたびいどろの風鈴が、りいん、と鋭い音をたてた。

 ここからは見えないが、前庭のほうからは警固の武人たちの鍛錬に励む声。景と彼らとは、山荘ここではほとんど接点がない。今のところ。

 邸内が二つにざっくりと区切られる造りをしていて、起居する場が彼らと景とで、まったく違うからだ。景は主様の居住する貴人用の区画に、常に控えることになっている。

(どっちにしてもーー男臭いけど)

 香があるだけ、こちらのほうがマシなのか、

 男の集団の臭いて、

 仕事だと割り切っても、

(いやいやいや)

 グチはよくない、と景は首をふった。

 りん、とまた風鈴が鳴る。庭のすみで、黄赤が揺れる。

(あの、花、)

 刃のような、細い花弁。す、と伸びた丸い茎。

(キツネノカミソリ)

 たしかそんな名だったかーー

 有毒だ。

 景はす、と姿勢を正した。

 廊下の向こうから、景さん、と呼ばれたのはその時だった。



 景さん、

 景をきちんとそう呼ぶのは、今のところ一人だけ、だ。

 はい、と景は廊下を歩きだす。

「お呼びですか、桜花さま」

 こちらに背を向け、縁側にたたずんでいた桜花が、ふり向いた。後頭部で一つにたばねた黒髪が、弾んで弧を描いた。

 もう頭巾はかぶっていない。今日も男装だ、

「景さん、そちらにいたの……というか、包帯、とったの?」

 あ、と景はさきほどのカサブタに指をのばした。

「はい、今朝から。汗疹アセモになりそうでしたし」

「掻いたわね?」

 赤くなってるわ、と自身の首を指で示してみせながら、桜花は景をかるくにらんだ。

「カサブタ、無理に剥いだらダメよ?また血が出るし。あなた、皮膚弱そうだし」

(いや、)

 清楚な桜花が、にらむとほんのり婀娜アダっぽいて、

「もう。今さらだけど柊どのったら。こんなところに傷つくらせちゃって」

 きれいな肌なのに、となぜか桜花は花びらのごとき唇をとがらせる。

(いや、反則、)

「景さん、どうやってあの方に刃、抜かせたの?柊どの、恥だからって何も言わないのよ?」

「ええと、」

 景は視線をさまよわせた。ちょっと見惚みとれて半分聞き流しました、とは言えない、し。それに、

 柊が黙っているらしいのに、こちらが何か言うわけにもいかない、し、

(前に説明したはずだけど)

『柊サマは私の腕を試されたかったようで、その際に刃が首にたっちゃいました』とかなんとか、思いっきりざっくりと。いちおう、事実を。最初に。

 とはいえ、何も言わないままで「二人だけの秘密」感がでるのも気持ちワルいので、

「あの時、こちらが紛らわしい動きをしてしまったからかと、思います。柊さまは私に咎めだてがないように気を遣って、何も仰らないのでは、」

 ありがたくももったいないです、と景は殊勝につけ足してみる。

 ーーが、自分が悪いのも本当だ。

 もともと無礼も無茶も承知で、確信犯的に、あの頭巾を狙ったのだし。本気で。相手が手練れだともわかっていて。

 あのーー瞬間の、

 景の本気は、きっと殺気に近かった。

 いきなりそんなモノ向けられたら、刀を抜くほうが、とっさの反応として正解だ。逆の立場なら、景だってそうする。

(そういえば、)

 あれから一度も、柊とは顔を合わせていない。姿だけなら何度か見かけたけれど。

(ちゃんと、謝れてない)

 そんなことを思ったが、

「桜花さま、御用は」

 景は話を切り換えた。

 ああ、と桜花が手もとを見おろす。そこには日避ひよけの笠が、二人ぶん用意されている。

「庭の手入れもかねて、花を摘んでこようって、でも一人では駄目だと言われてしまったの。部下は今、皆外していて。景さん、手伝ってもらえる?」

(…たしかに)

 桜花が庭で花々とたわむれるーーとか、目に毒だ。特に、男どもには。

 かたむけた白い顎の曲線はとろけ、頬は白桃、ゆるりと重たげな睫毛に、肌はなんというかゆでたまごーーつまり、美しい。

 本日、化粧かぶれで()()()()瞼を腫らしている景には、ことさら桜花の顔容かんばせ目映まばゆく、へんに劣等感がーー

(…べつにいいけど)

 ただ少し、つまらない、

「桜花さま、私のことは景、と呼び捨てで、と申しあげておりますのに」

 景が言うと、黒目がちな瞳がぱち、とまばたき、

「それなら景さんも私のこと、桜花と呼び捨ててくれるのかしら」

「桜花さま」

「それとも私もあなたのこと、景さまって呼ぼうかしら」

 ふふふ、と笑う桜花に、景はだまりこむ。初日から面倒をかけてしまったせいか、なんとなくこの上役には、何を言えばいいのかわからない。

 桜花は行きましょ、と向きを変えた。その上衣の背がわずかにずれているのに、景は気がついた。ここに女手はないし、部下も外しているようなので、衣をみる者がいなかったのだろう。

 男衣と女衣とでは、たとえば同じような型でも、生地や線が微妙に変わる。慣れていなくては、微調整がむずかしい。

 お背中が、と景が寄ると、桜花はすんなり背を向けて、たばねた長い髪を肩のほうへかきあげる。

小用トイレの後でうまく直せなくて……ありがとう。着慣れていないのが、まるわかりよね。おのこ姫のようには、いかないわ」

「おのこ姫?」

 景がつぶやくと、桜花がヤダ、と肩ごしに見返った。

「景さんの歳だと知らないの?どうしましょ、私すごく年寄りみたい」

 なんだかショックを受けているらしい。

 景とは十も違わないーーせいぜい五つほどの差だろうに、たぶん。

(年寄りって何)

 その花のかんばせで。

 衣を整えた歳下で目下の景にありがとう、と視線をあわせて礼を言い、くすぐったそうに笑ったりして、

(そりゃあ、)

 景から見ると五つ上ぐらいはもう大人な気もするけれど、それにしてもこの人は、少女みたいにわらう、

 その胸もとでーーカンザシが揺れた。

大人オトナ、)

 男装しているので、髪には挿さないようだ。が。縁側から庭さきへ下りる桜花を見ながら、景は考える。

 この南域において簪を身につけるのは、決まった相手がいるーーということ、それは男性でも女性でも区別なく。でも。

 慣習的には女性のほうが、特に身につけていることが多い。男性は儀礼の場でしか、髪を結わないからだろうか、

(桜ーーでは、ないんだ、)

 簪の、貝細工の花の、意匠デザイン。何の花だろう。

(やっぱり、相手はーー)

 と、景は動きを止めた。

 同時に、館の奥で騒ぎが起こった。

「桜花さま」

 ええ、と桜花が緊張したようにうなずいた。

 景はふう、とひとつ呼吸をする。力をゆるり、とゆるめる。()()()()()()()()()()()

 ーー感覚が。

 開く。自然に。

 曲者クセモノ、表へまわるぞ、逃がすな、どこだ、くそっ、そっちか飛び交う怒号、せる足音、近づくーー

 気配、凶暴な、

ウエ

 景は桜花を縁側へ引き戻した。と同時に、腰刀を引き抜く。庭へ飛び降り、桜花のいた位置へ入る。

 そこに屋根から飛び込んでくる、黒い影。振り下ろされる刃を、刃で受け止める。くっ、と呼吸が洩れた。相手のほうが、力は強い。小柄なくせに。

 というか、

あかね…っ」

 近習仲間の蒐だ。

 毒花三家ーー

「邪魔だ支子くちなしっ」

 蒐がえる。刃を押す力が、強くなる。小柄でも成人の男だ。膂力りょりょくでは勝てない、

 とーー背後で新たな気配、

 景は、

 一気に力を抜いた。低い体勢で地に倒れたか、というぐらい。

 蒐の姿勢が、一瞬、崩れ、

 その喉もとに、景の背後から、

「ーーもらった」

 白刃はくじんが閃き、めりこんだ。

 地面すれすれで身を返した景の眼に、三人目の近習がーー毒花の躑躅つつじが、

 蒐の喉もとの刃を、引き抜くのが見えた。

 鮮赤が散った。


 

 


 前回、エピソードが思ったより長く、自分でやや疲れたので、今回からわけてみました。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ