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プロローグ

 それは、夏の終わりの夕刻-

 少女はひとり、軒下の縁台にすわっていた。

 山間に潜むように、ひっそりと閑まりかえった小さな里だ。ひぐらしの音が、あたりをとり囲む山々

から、絶えることなく降ってくる。

 少女の頬には、傾きかけた陽の光。その膝には、大判の地図がケースに収まってのせられている。

 ケースおもてには、世界地図。

 中心にあるのが、少女のいるこの国ーー


 そこは、海洋のただなかにある。

 大陸というには足りず、しかし島というのも憚られるような広大さで。

 四方は海、だがけして、世界から隔絶されてはいない。大陸間を行き交う船舶の中継地として、古くから交易も盛んだ。世界各地からの品々が国じゅうあふれ、また各地域で異国文化をゆるやかに吸収しあい、独特の個性を生み出しあっている。

 一方で、他民族や他宗教の大規模な移入は、国の歴史上において未だ経験はなく、時おり海を越えての移民はあるが、今のところ国の有り様を変えるまでの勢力には、育ったことがない。

 そのため、この地では今も太古の神々への信仰が、脈々と息づいている。

 父神ロイと母神アス、そして彼らより生じた「最初の人間」ーー「ヴィ」。

 それが、この地の神々の御名。

 そしてこの地は、その神々の名によりこう呼ばれているーー

「大ロイヴィアス島」と。


 大ロイヴィアスは、大きく五つの地域に分けられる。

 水の北域、風の東域、白き西域、国の中央を占めるヴィの「聖域」ーーそして「赤き土地」南域。

 赤、といわれる所以は、かつてこの地が辰砂を産出したからで、実際は緑ゆたかな、起伏にとんだ地形の土地だ。

 大ロイヴィアス国内では北域に次いで繁栄し、南域の都シンシュにて南域を治める大侯は、「南帝」などと陰で呼ばれているほどだ。

 もっともこのロイヴィアスにおいて、最高位に君臨するのは、聖域に御座す「ヴィの娘」ーー、そして俗世での権威は、北の大都におわす皇帝唯一人のもとにーー

 だが。

 地図上に記された北の大都の壮大さも、孤高を保ち続ける「聖域」の神殿も、そしてそれほど遠くはない南都シンシュでさえもーー

 この晩夏の夕刻、白い肌を西陽に染めて、ぺらりぺらりと地図をひろげる少女には、今この瞬間、まるで関係なかった。

 里はあいかわらず、閑まりかえっている。似たような家が数軒ならんではいるが、どの家も小さく、昏い。人影もない。もうすぐ陽が落ちるのに、明かりがともる気配すら皆無だ。

 少女はそんな閑けさのなか一人、ひざにひろげた地図を熱心に眺める。

 まるで覆いかぶさるように。

 何も見落とすまいとするように。

 男物のひざ丈の麻ズボンからのびる、白い細い脚。それを無意識に縁台に乗せ、しばらくして無造作に組み換える。別の地図をとりだし、今まで見ていた地図と見比べる。

 生真面目に。唇を結んで。

 その肌に、服に、髪に顔に、さっと朱い光が射した。いったんは雲に隠れた夕陽が顔を出し、山の端から最後の光を投げたのだ。

 赫く染まった少女は、胸もとへおちるまっすぐな黒髪を、うるさげに耳にかきあげた。

 唇が、無意識に。うっすらと笑む。どこか幸福そうに。

 その時、

かげ

 は、と少女は顔をあげた。地図の上に黒い影が伸び、

「このたわけっ」

 打ちおろされた長煙管ながキセルの先は、かげと呼ばれた少女がとっさに()()()()()()その背の、肩甲骨のあたりでビシ、と音をたてた。

 音もなく、突然現れた長煙管の主は白髪を揺らし、

「常に油断せず、相手より先に気配を読め、と言うておろうがっ」

「だって(ジイ)

「わしはまだ、ジジイではないぞ」

 白髪だが首太で、全身を固く締まった筋肉でよろうた男は、齢六十の入り口に差しかかってはいるようだった。

 ひざをゆるく曲げた独特の立ち姿をし、一呼吸おいて、

「何故避けぬ」

「爺、この地図は高価なんだ。地面には落とせない。手に持って跳んで、破いたりもしたくない」

「だからといってアザを選ぶか。身体はわれらの商売道具ぞ?」

「地図は()()()()商売道具だ」

 大切そうに胸にあててから、地図をたたみはじめた景の横顔を、男の色素が薄まった眼が見おろした。

「おまえは一度ひとたび夢中になると、とたんに周囲が視えなくなる。ふだんはあれほど鋭敏に、気配を読むというのに……その癖が、明日には命とりになるやも知れん」

「なあに、ジイ?帰ってくるなり改まって?」

 おかえりも言えないじゃん、とたたんだ地図をケースにしまいながら、景は九年まえから世話になっている、この里の頭領を、

 「支子くちなし」の黄麻コーマ、と呼ばれる師の顔を見る。

 師匠は弟子をしげしげと見返し、

「景よ、その髪、一箇所やたらと短いが」

 ああ、と景は左耳のそばの、一部分だけ頬にかかる長さで切れた毛先を、ぴらぴらとつまんだ。

「これ?ススギと稽古中にやった。切っ先がかすった」

「真剣か?」

「いや、飛び道具」

 黄麻はため息をついた。

「景よ…おまえ、いくつになった」

「え、きっと十五か六、じゃない?」

「そうよな、おそらくな、いっこうに娘らしくはならぬがな」

 いやそれはそれで良いのかどちらに転んでも、などと呟きながら、黄麻があごを擦る。ザリ、ザリとひげの音、

(ん?)

 ふと、なんだか嫌な予感がし、景が眉をひそめた、その瞬間、

「景よ」

 師がおごそかに言った。

「おまえ、その髪いっそ下ろして、出家しないか」

「はあ⁈」

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