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#005 虚と実

 残夜(ざんや)のうちに出かけたが、戻る頃には日も高くなっていた。たった半日の出来事が、ユニスの胸中に昂ぶりと気落ちとを同時に運ぶ。


 ― 何もできなかったのは、まだ仕方ない。獲物を始末する術が無いなら身につければ良いが、胆力は……。


 家の前では、カシーナが食事を用意している。白虎の獣人イフは担いでいた獲物を嬉々として掲げて、帰ってきたことを知らせた。


「猪肉だけでも、当分、食うには困らないっていうのに、今朝は鹿も獲れたぞ。川で冷やしてある」

「凄い。それなら、次の、次の満月まで食べるものには困らなさそうね」


 嬉しそうな獣人の表情につられるように、13歳の少女も相貌に笑顔をひろげた。

 喜ぶ二人の姿が意外なものにユニスは感じる。イフにとって狩猟が特別とは思えない。同時に、カシーナが積極的に笑顔を浮かべる明るい性格とも思えなかった。

 カシーナは13歳という年齢以上の自若(じじゃく)さを感じさせる女性だ。働き者で、多くは語らず、表情豊かとは言い難い。

『崖に揺れる山百合』

 それがユニスのカシーナに対する印象であった。


 カシーナが用意した食事は、山羊のチーズに葉物野菜、手作りのパンとキノコの炒め物。それに先日、仕留めたボアの肉を塩漬けにして切り分けたもの。さらに、蜂蜜と木の実のオイル漬けまである。山中とは思えないメニューにイフはさらに上機嫌になった。


ユニス(こいつ)は山の神の使いかもな。ボアにつづいて、今日は鹿。しかも、このカシーナの朝メシ。いいことは続くもんだ」


 イフとカシーナは食事の前に座して、右手で拳をつくり、それを左手で覆うと、その両手に額をつけるように祈りを捧げた。盗賊団にいたユニスには、食事に祈る習慣がなかったため、見様見真似でイフとカシーナの祈りに続こうとしたが、二人の祈りがあっという間に終わった為、ユニスの祈りは拳をつくるに留まった。

 イフが肉を齧りながら、ユニスに言葉を向ける。


「いいか、ユニス。私らは食うために生きている。食って生きて、寝て食う。それが生きるってことだ」


 イフは蜂蜜をつけた木製の匙を(なぶ)りつつ、話を続けた。


「ここに居たいなら置いてやる。だけど、自分の食う分ともう少しくらいを自分で稼ぐんだ。釣りでも、狩りでも何でもいい。うちには畑もある。何でもいいから自分と自分の隣にいるやつの腹を満たせるように毎日を過ごすことだ。いいかい」


 ユニスはイフの圧に押されるようにうなずいた。

 しかし、テーブルに並ぶボアの肉は、先日の死闘と今日の狩りをユニスに思い出させてしまう。彼は体が少し強張るのを自覚した。


 ― 生きる糧を得る。人間として、いや、動物としての本能。生きるために他者の命を奪う。当たり前のことだ。今まで俺が食ってきた肉は、誰かが狩っていた。その順番が自分に回ってきた。それだけ。それだけなんだ。


 結局、ユニスは、最後まで猪肉には手を伸ばせなかった。

 カシーナは、そんなユニスを横目に「もったいない」とつぶやいた。このヤマで暮らすカシーナにとって、今日の食事がいかに貴重で素晴らしいものか。それを理解しないユニスに腹立たしさすら覚えたようだ。



 食事を終えて気が抜けたユニスは少し横になろうと3人が住む山小屋の中へ戻ったが、疲労困憊にもかかわらず、寝付けはしなかった。


 ユニスは盗賊団にいたことで、食うに困ったことはない。団には総勢30人ほどがいて、村や旅人を襲ったり、狩りをしたりが稼業であったが、強奪行為はそれを好む(やから)が行っていた。ユニスは肉を調理することはあったが、(つい)ぞ獲物を捕獲することはなかった。存在感を薄くするという固有スキルを存分に活用して、その役割を避けてさえいた。たまたま盗賊団に身を置くだけで、己を盗賊だと自認したこともない。団の中でも秘密にしていた認識阻害スキルを使い、誰にも目をかけられず、目立たず、食事のおこぼれを浅ましく分けてもらう。それが自分だった。もう16歳だというのに自分一人では何もできない。誰かの役に立つこともない。それがユニス・ロカという人間だった。


 ― ここでなら俺は変われるかもしれない。このヤマで生きていこう。食事をして、罠を覚えて、獣を獲って、一緒に住まわせてもらおう。


 そう考えた時、器を手にしたカシーナが小屋の扉をあけた。カシーナはユニスを見やると「なにか仕事なさいよ。居候」と当てつけてきた。

 ユニスは素直に起き上がり、頭を下げる。


「すまない。何をすればいい」


 盗賊団ではユニスがふて寝をしていても誰も気にかけることはない。カシーナの言動はユニスには、新鮮に聞こえた。


「そうね。縄でも編んだら。いくらあっても困らないもの」

「やり方を教えてくれ」


 「私?」と言わんばかりにカシーナは目を見開くが、すぐに気持ちを入れ替えるように軽く息をついた。

 カシーナは、部屋の隅で山積みにされている麻の皮繊維をユニスの前に置くと、胡坐(あぐら)でユニスの前に座った。彼女の仕草の端々には粗野には感じさせないものがある。


「これは、もう繊維を取り出したやつだから、あとは()うだけ。まずは、こうやって」


 カシーナは麻の端を足の指に挟んで、繊維を二分する。二本の繊維束を両手の親指と人差し指、中指で挟むと、それぞれを時計回りに()り始めた。指先で()った繊維が緩まないように気をつけながら、今度は左右の繊維束を持ち替えて、反時計回りに交差させる。


「わかる? この動作をずっと繰り返すだけ。誰でもできるわ」


 ()りと()じりを繰り返し、カシーナは20cmほど縄を編んだ。自分の動作に見入っていたユニスに、カシーナは編みかけの麻を手渡す。


「あとはあんたがやりなさいな。そうね。まずはそれを3本かな。よろしく」


 戸惑いながらも作業を引き継いだユニスに、キノコ採りにいくと少女は言い残して、部屋を出た。

 カシーナが去った後、ユニスは改めて繊維を()り始める。青年にとって作業は楽しかった。集中することで無心になれたので、余計なことを考えずに済んだのだ。



 カシーナが外に出ると、イフが水汲みから戻ってきたところだった。運んできた水桶の中身を甕に移し替えている。


「あいつ、いつまでいるの?」

「さあ。いつまでだろうな。分からんが、優しくしてやれよ」

「あいつ、何にもできないよ」

「誰だって最初は何にもできないさ」

 イフが一旦、手を止めてカシーナに顔を向ける。

「今、何にもできなくても、これから先も何にもしない奴か。何かしようとする奴か。どっちだろうな」

「うーん。そっか。わかった。イフがそういうなら、それでいい」


 家長の決定にカシーナは納得を示すと、籠を背負って山へと足を向けた。




 日盛りを過ぎた頃、イフからの誘いを受けて、ユニスは戦闘術を習うことにした。乾いた木の棒を剣に見立てて模擬戦を行うが、ユニスの打撃は力任せに棒を振り下ろす程度のものだった。


「力で人間が獣人やモンスターに適うか」


 ユニスの振り下ろしをイフは避けずに受け止める。交差する木刀を軽く押し返すと、ユニスは吹っ飛んだ。


「力に力で返すな」


 その言葉を微かに耳に残しながら、ユニスの意識は一瞬、飛んだ。






 宇上壱(うかみいち)は忍者の末裔である。父、与志之(よしゆき)も祖父の蓮造(れんぞう)も忍者である。壱も幼い頃からその技の指導は受けていた。


「壱、儂らのやっているもんは武道じゃ無ぇんじゃ。武術。(わざ)なんじゃよ」


 蓮造は『まぁまぁ』と相手をなだめるように両手を壱の顔の前に向けて、腰を少し落とす。


「な。これで構えになってるじゃろ。ほれ、やってみそ」


 にこやかな顔のまま蓮造は、右手で壱の胸座(むなぐら)を力強く掴んだ。

「ほれ」と再び促されると、壱は今しがた、祖父がやってみせたような相手をなだめる体勢をとってみた。言う通りにしたのに、祖父の表情はどこか不服そうである。


「お前は顔が真剣じゃの。もっと困ったような顔をせんか。おびえて、震えて逃げだしそうな情けなぁい顔をせぇ」


 言われるがままに壱は、顔を作ろうとするが表情は硬い。3点と祖父に点付けされた。


「まぁ、よい。で、この出した手を相手の顔に向けたまま、もう一方を自分を掴んどる腕の上に置く」


 壱は右手を蓮造の目の高さへとあげて、左手を自分の胸座(むなぐら)を掴む蓮造の右腕上に置いた。


「おぉ。これじゃ。これ。これで目も狙えるし、相手の右手も封じておるじゃろ。替わってみろ」


 壱の胸元から手を離した蓮造は、情けなく命乞いするかのように両手を壱に向けると、さらに腰を落とした。

 壱が右手で蓮造の胸座を掴んだ瞬間、蓮造は左手と自分の胸で壱の右手を軽く挟んだ。それと同時に、右手の指先で壱の目元を払う。壱が顔をそむけた瞬間、次は左手で壱の右腕を取り、捻り投げようとしたが、壱は何とか踏ん張ろうと腰を落とした。蓮造はすかさず足で金的を軽くうつ。思わず身体を浮かせた勢いのまま壱は、結果的に蓮造に投げられたのだった。

 倒れ込む壱の首を蓮造は膝で抑え込むと、こめかみに指を立てた。


「イタイ。イタイ。イタイ。じいちゃん痛い」

「虚と実。それが忍びの体術じゃ。相手を惑わせてなんぼじゃぞ。戦士や武士みたいな戦い方をするな」

「分かった。分かったから、そこどいて」


 壱は床にねじ伏せられながら、祖父に懇願した。

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