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#004 罠

 夜明け前。

 奥山の更に深くに位置するヤマには神域めいた空気が漂う。夜を徹した虫たちも眠りについたかのような静けさの中、イフとユニスの足音が鳴る。一歩、さらに一歩。


「ここだ」とイフが声にする。足で示す先にはくくり罠が仕込まれていると言うが、ユニスには見わけることができなかった。

 ユニスは、イフに向かって首を振る。

「そのうち分かる。慣れだ」と、イフはユニスを不愛想に慰めた。


 罠はくくり罠と呼ばれる獣が踏み板に脚を置くと縄が脚を縛り上げるタイプのもので、イフが自分自身で作ったものだ。


 ユニスがその仕掛けに興味を惹かれている間、イフは周辺に糞や足跡がないかを確認する。後でイフから聞いたのは、獣には安全と分かっている道を通る習性があり、罠はその道中にしかける必要があるということ。イフは仕掛けの位置を特に変えることはなく、次のポイントに行くと告げた。


 ユニスにとって罠の見回りは、心が弾むものがあった。プレゼントを一つ一つ明けていくような気分で、慣れない山道も軽快に進むことができる。

 ただ、5つ目の罠を見回る頃にはその気持ちも幾分か薄れてしまっていた。結局、獲物は一つも捕獲できていない。イフは「こんなものだよ」と言うが、内心で期待していただけに肩透かしを食わされる思いだ。その胸の内が表情にでてしまっていたのか、ユニスはイフに(たしな)められた。

「獣も罠になんて掛かりたくないさ。向こうの方が私たちなんかより生きる力もあるし、生きることに正直で、なにより必死だ。そんな奴らをどう捕らえるか。それが猟ってもんだ」

 小声ながらも、イフの言葉には重みがあった。

「罠にいないってことは、向こうさんは油断をしてないってことだ。もしかしたら、逆手をとって、こっちを罠に嵌めようとしてるかもしれんぞ」

 思ってもいない言葉に身を固くするユニスの姿にイフは口角を少し上げた。

「見回りは今日から毎日やるからな。そのうち色々分かる」

 ユニスは自分の底を見透かされたような気になったが、それが今の自分だと素直に受け止めた。


「この前のボアの残りを持って帰るから、川に寄って家に戻るぞ」

 見回り終了の知らせにユニスは「はい」と答える。


 山奥の川は広いところでも幅1mはない。辺りの岩々にぶつかりながら、白糸を引いて流れていく。決して停滞することのない流水は、人が想像するよりも水温を低く保ち、2日前に仕留めた猪肉もここで冷やされていた。


 獲物の心臓は地に埋め、首はその上に供え、内臓は森の生き物に還す。それがイフなりの作法であった。皮と四肢はイフが既に小屋へと持ち帰っており、肉の一部は罠に使用されている。水中に漂うのは残る胴體で、6つに切り分けられている。

 川べりの古木に縛り付けられた太目の縄を手繰り寄せると肉塊の1つが現れる。イフは猪肉を岩の上に揚げる。そして、あばら肉を縛っていた太縄を外して、中目の縄で持ち手ができるように縛り直し始めた。

 縛り終わろうかという時、「顔を上げるな」と、イフはユニスに目配せして知らせる。


 背後で草木が揺れた。肩高で90㎝ほどの雄鹿だ。立派に分かれた枝角をいれると150㎝を超す。


 ― 撒かれたボアの内臓を餌としたのか、獣も油断をするのだな。いや、鹿は草食だ。肉は食わないか。

 ユニスはそう自らの考えを否定したが、本来、草食の鹿もカルシウムやミネラルを欲するために、骨や肉を求めることがあることをイフは知っていた。


 イフは手元の猪肉から、あばら骨をナイフで切り分けると鹿の向こうへと投げる。


 鹿はゆったりと身を下げて、あばら骨へと近づいた。その間もイフは決して鹿へ視線を向けない。


 鹿はイフの投げたあばらの匂いを嗅いだ。

 瞬間、イフは鹿に向かって飛び出した。山刀は右手に抜かれている。鹿は足を搔き、迫る獣人へと角を向けた。迎え撃つ気でいるらしい。


 イフは鹿の脇を抜けて、一旦、追い越した。獣人に打ち当たる気でいた枝角は的を見失う。イフは何もない虚空に向かって刀を横なぎに振るうと、その反動を利用して身体を反転させた。

 イフが鹿の背後をとった。鹿が蹴上げるより先に、その後ろ足の腱を切る。

 イフが後ろへと飛び退くと鹿の後ろ足は崩れた。なんとか立ち上がろうとするが、もう二度と彼の足に力が入ることは無いだろう。


 イフはユニスを呼び寄せる。


「命に慣れてないだろ。お前がやってみな」

 山刀を渡されたユニスは、間もなく言葉の意味を理解する。当然、全てをイフがやってくれるものだと考えていた自分を自覚した。

「無意味な殺生をする必要はない。だけど、私らは何かの命を喰らって生きる生き物だ。そこから目を逸らしたら、長くは生きていけないぞ」

 イフはそう言うと辺りの倒木に座った。

 イフはそれ以上、何も言ってはくれない。どれくらい時間がたっただろう。鹿の黒い瞳はユニスに向けられている気がした。

 半歩、鹿へ近寄るユニス。


 ― 俺は何故……。

 ― ……。


 堪らず、ユニスは鹿から目を逸らす。震える手が山刀を地に落とした。


 ― ……。


 イフは腰を上げて、ユニスの足元から山刀を拾い、シカの命を終わらせた。


 ― あぁ......。

 ユニスはその場にしゃがみ込む。全身が震え、寒さすら感じだした。さらに身を縮め、うずくまった。


 その隣で、イフは手早くシカを解体していく。足先や頭部を落とし、大腸を紐で縛る。次に腹を出し、皮を剥いで、最後には、取り出した心臓を土に返し、その上に首を置いて、祈りを捧げた。身はボアを縛っていた縄を使って結わえると、川へと沈める。縄の反対側は流されないよう、古木へとむすび付けた。


 先ほど、持ち手をつけて締め括った猪肉を担ぎ直すとイフはユニスに帰るぞと達した。

 小屋に戻る間、ユニスは自分の足元だけを見ていた。

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