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#003 サバイブ

 かつて、己が相貌を洗った川瀬も激しさが際立つようになり、周りの草木もその色を深くした。

 早瀬の脇を進むことは、殆ど沢登りで、足下の(ガレ)(こうべ)ほどの大きさで安定性は無い。途中、身の丈以上の岩をクライミングすることもあり、もし、手足を滑らせてしまえば、一巻の終わりである。


 ユニス・ロカが騎士団に襲われた集落を後にして半日が経っていた。幽囚の身になることなく、ここまで来ることはできたものの、後二日は油断せずに、山中に身を潜めたかった。

 ユニスの予想では、騎士団の手は川下にあるテラゾの村に及ぶはずである。森を深追いするには騎士たちの装備は重く、捜索には日数も必要とする為、山に入る考えは切り捨てるはずと結論づけている。


 積み重なる巨岩(ゴーロ)の合間を流れ落ちる奔流は白い連瀑帯となり、あらゆるものを真っ逆さまに押し戻す勢いだった。ユニスはナメる岩肌を踏まないよう、慎重に巌の連なりを進む。


 連瀑帯を超えると、沢の水が溜まる(かま)が現れ、周りの雰囲気も一気に穏やかになった。

 ここぞと身体を休ませるユニスだが、日が暮れる前に、この渓谷は乗り越えるべきだと感じていた。


 ― (かま)は水深が深く、流れは一見して穏やかだが、周囲は岩壁が切り立つ峡谷だ。こんな場所は見通しが聞かず、何かあっても脱出が困難で、雨等での増水にも油断ができない。


 ユニスは再び腰を上げる。

 進む道は、ゴルジュと呼ばれる岩の割れ目のような谷間で、足下は渓水の中だ。流れは強く、英気は常に削られていくが、慎重すぎると体力が持たなくなるので、躊躇なく登攀を再開した。


 岩と水。動物達も近寄らない場所を、ただ一人で遡行するユニス。


 日が傾き始め、体力の残りも見えてきた頃、10mクラスの滝が現れた。


 ― 迂回路はない。


 ユニスは悩む間もなく、直登し始める。滝の流芯でのシャワークライミング。後で振り返っても、どうしてこれが登れたのか。手元と足元の引っかかりを一つずつ確認しながら一歩、また一歩と無心に身躯を持ち上げる。顔に当たる水勢は増すばかりだった。


 滝登りを始めて一時間弱。森は夜虫が鳴く時間へと移り変わっていた。


 最後の一手は、震えながら崖上へと伸び、自らをかろうじて這い上がらせるに至った。

 ユニスは息も絶え絶えに川べりへと足を引きずると、ようやくかと倒れこんだ。


 一時、激しく姿を変えた川筋も、上流に辿りつけば、穏やかにせせらぐ清流と成り移る。

 森の夜は川音を響かせて、ユニスを包み隠す。


 ― 指先にも力が入らない。今日はこの場で寝て、回復を待つしかないな。ただ、星月が辺りを薄く照らすと、さっきまで失せていた獣の気配までも匂い始めた気がするな。


 そう思い、ユニスが何となく首を振ると、ワイルドボアと目が合った。水飲みに来たのだろう。猪はモンスター化しており、眉間部分に縦並びで角が3本生えている。喉元には身を護る毛が生えていて、目は鈍赤く光っていた。


 ― ここまで、なんとか逃げてきたというのに、これが俺の死か。


 躯体に緊張を走らせることもなく、ユニスは来たる未来を受け入れようと、目を閉じた。




 近頃、夢としてよく見ていた宇上壱(うかみいち)としての記憶らしきものが脳内に瞬く。

 道場で、祖父らしき人物に組み伏せられていた。

「なんとみっともないことか。お前はまた途中で諦めよったな」

「爺ちゃんが強いんだって」

「実力差がなんじゃ。覗見(うかみ)は武士ではない。最後までどんな手を使ってでも生き延びるのがワシら忍びの―」

 宇上は「いや、わかってるよ」と内心で思っている表情を浮かべていた。



 話は途中だったが、ユニスは微睡(まどろみ)から目覚めて、意識をワイルドボアへと戻す。

 

 声ともいえぬ声で「草影」と呟いた。スキルが発動し、認識阻害の効果がユニスに与えられたが、その効果がモンスター相手にどれくらい通じるかは不明である。


 こぶし大の川石を掴みつつ、ユニスはゆっくりと立ち上がった。ボアとの距離は15m。ボアに動く気配はない。目線を外すことなく、ベルトを腰から引き抜くと、ベルトの端に石を括り付けた。ユニスは盗賊団でも下っ端。革ベルトといった上等品は着けておらず、麦藁を編んだ簡易的なベルトだったことも功を奏した。

 即席の投石器。紐のついた石をヒュンヒュンと体の横、少し後方で回し始めるユニス。


 ― この石ではこいつは倒せない。なんとか隙をついてさっきの(かま)に戻ろう。此処よりは夜を越せる可能性は高い。滝登りが無駄になったな。けど、死ぬよりマシか。


 足を踏み込み、石をボアにめがけて投げた。

 すぐさま、猪はユニスめがけて走りだす。踏み込む時の足音を聞き逃さず、方向を定めたのだろう。結果、ボアは石に突っ込む形になってしまい、右目下に石をぶつけた。


 ワイルドボアは足を止めて、頭を振り乱す。投石の可能性は考えていなかった。足音がしたということは、弓矢や魔法ではなく、接近戦を得意とする者の証である。予想外の攻撃に血が上るのを抑えられず、鳴き声を唸らせた。

 ユニスはこの隙にと、身を翻すが、うっかり浮いた石を踏み、足を滑らせる。


 ― しまった。


 咄嗟に転んだままの姿勢でボアに頭を向けると、ボアの右前足が無くなっているのが確認できた。ワイルドボアの陰、山刀を持った獣人が、もう一閃と今度は、右後ろ足を落とす。


 猪はドォンという音と共に、無い足側へと崩れ落ちる。


 夜の暗さではっきりとは見えないが、獣人は大きな石を両手で拾い、獲物の頭部を幾度と叩いて、その意識を完全に沈めたようだ。

 間もなく獣人はボアの腹側へと回り込み、今度は細長い刃でボア喉元の毛を避け、突くように頸動脈を刺し止める。獣人は噴き出る血を浴びないように身を離すと、一連の狩りを眺めていたユニスへと体を転じた。


 ― 獣人は白虎タイプのようだ。


 言葉を交わそうとしたが、ユニスの意識はそこまでだった。




 目覚めると乾燥させた草や藁を布で包んだだけのベッドとも呼べないものの上で寝ていた。板壁の隙間から洩れる光で朝が来ていることを察し、身体を起こす。


 小屋の外では、12、3歳の少女が薪割りをしている。

 ユニスが「あの」と声をかけたら、少女は手を止めて、ユニスの背後を指さした。


 森から、昨夜の獣人が現れる。二足歩行の白虎は、鶏卵を入れた籠を脇に抱えて、ワイルドボアの足らしき塊を担いで向かってくる。


「昨夜は」と、頭を下げるユニス。

「怪我はないね」

 獣人の言葉に頷いた。

「私はイフだ。見た通りの年寄さ。よろしく」


 ユニスに、イフの年齢は見分けられなかった。獣人の年齢は毛の艶で分かると聞いたことはあるが、ユニスからすると、顔が人間に近いタイプの獣人はまだしも、イフのように完全に獣に見える容貌だと、却って若さすら感じてしまう。ただ、イフが女性であることはユニスにも判断できた。


「よろしくお願いします。ユニスです」

「ユニス。とりあえず、朝食にしよう」

 そう言うとイフは少女に鶏卵を渡した。


 少女は慣れた手つきで、竈の火を調整して、赤い炭だけにすると、竈に鉄鍋を置き、その中に油と卵を6個割り入れた。その間にイフは猪の足を切り分けて、大振りな葉に包んだものを用意した。猪の葉包みはそのまま竈の中へと放り入れられる。


 少女はカシーナと紹介された。一見、人間に見えるが、ユニスは聞かないことにした。彼女については全てイフを通して聞いた話であり、彼女自身とは一切会話ができていないのだ。あまり根掘り葉掘りと突っ込まない方がよいと感じた。ちなみに年齢はやはり13歳だそうだ。


 ユニスは猪の葉包みと目玉焼き2個を朝食として頂きながら、今度はイフのことを聞いた。年齢は覚えていないとのことだが、人間でいう64、5歳じゃないかと言っていた。ここでカシーナと二人暮らしをしており、基本的に罠猟で捕らえた野獣と自分の畑でとれた野菜を主食としているとのことだ。


「お前は盗賊かい」と率直に尋ねられた。

「盗賊……に、属してはいました」

「なんか含みがあるね」

「いや、実際は盗賊といえるほどではなくて」


 話を聞きながら、カシーナが竈から手鍋でお湯を持ってくると、イフは発酵させて丸めたという葉っぱを腰の鞄から取り出し、炭一つと共にお湯へと入れた。

 お湯の中、葉っぱは次第に元の形へと姿を広げていく。


「盗みが苦手で。あと殺しも……できなくて」

「それで昨日はボア相手に一回、諦めたんだね」

「見てたんですね」

「あぁ、そのままお前が食われるなら、その隙を突いてやろうと思ってね。タイミングを見てた」

「……助けないんですか」

「自分の命を粗末にするやつを助けられるか」


 イフは木彫りのコップに発酵茶を淹れるとユニスに手渡した。


「でも、立ち向かってくれたおかげで、より意識が削がれて、こっちとしては助かったよ」


 ユニスは何とも答えられず、イフの淹れた発酵茶を啜る。


「どうすんだいこれから。盗賊に戻るのかい」

「あ、いや」


 反射で答えただけだが、ユニスは自分の本心を改めて自覚する。

「そっか、戻りたくないのか」と続けた。


 イフはユニスの言葉を待つ。


「あの。もしできたら……ここで住まわせてもらえないですか」


 イフは少しの合間、ユニスを凝視した。


「ここじゃ自分の食い扶持は自分で稼ぐんだよ。川釣りくらいできるんだろうね」

「やったことないです」

「はぁ。まったく。それでよく生きてこれたね。誰かにご飯を口に運んでもらってたのかい」


 呆れた口調のイフだったが、ユニスはそれを不快には思わなかった。まだ短い付き合いだが、彼女の芯にある優しさに触れた感触が既にあったのだ。


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