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9 一世一代の告白です

 私を部屋に通した殿下は、律儀に部屋の戸を半分ほど開けておいてくれた。


「そこに掛けてくれ。お茶菓子か何か用意させるか?」

「あー……、いえ。お昼をとってまだ時間が空いてないので」

「そうか? マロンクリームのケーキがあるんだが」


 マロンクリームのケーキ。魅力的な一言に一瞬躊躇ってしまう。


 しかし、一度良いですと言った手前撤回しにくいのが令嬢だ。これが前世ならやっぱり食べると恥も外聞もなく言っていたところだけれど、ぐっと堪えて首を横に振る。


「……本当にいいのか?」

「本当にです。お気遣い痛み入ります」

「シュークリームもあったんだが」

「……大丈夫です」

「苺のムース」

「……」

「チョコレートのタルト」

「ぐっ……」


 何という誘惑だろう。私の欠片ほどある貴族のプライドが折れ曲がりそうだ。


「……いただきます」

「ふふ、わかった」


 ……殿下は相当な営業上手らしい。


 さて、通された殿下の部屋は、当たり前だがこの前と大して変わっていない。強いて言えば、掛け布団の模様が変わったように見えるくらいだ。


 それよりまず、やはりこの部屋に通されると緊張の度合いが違う。


 向かいに座った殿下に何を切り出そうか。何にせよ、まずは謝罪から始めないといけないのだけれど。


「……気になるか? ベッド」

「えっ?」

「見てたから。気になんのかと思って」


 そう考え込んでいると、殿下が不意にそう尋ねてきた。どうやら無意識のうちにベッドの方を気にしてしまっていたらしい。……何だか本当に淫乱女みたいだ。


「布団、変えたんだ。模様は前のが気に入ってたんだが……、濡れたままだとだめだと言われて」


 殿下は少し残念そうに言う。なるほど、やはり変わっていたのか。


「そうなんですね……。紅茶でも溢されたんですか?」

「いや。おまえが来たからだ」

「……私が?」


 飲み物なんて溢したっけ。前回お城を訪れた時のことを思い返し首を傾げると、殿下は頷いた。


 そんな失礼まっしぐらなこと記憶にないはずがないんだけどな。だってここでやったことと言えば――。


「ああ。おまえと――」

「ああああなるほど! よくわかりました!誠に申し訳ないと思っております!」


 遅れて「濡れた」の意味に気付き、勢いよく立ち上がる。声量で言葉の続きを掻き消した。


 ――なん、なんなんだ一体。殿下には羞恥心やモラル的ストップというものが存在しないのか?


 さっきと言い今と言い、しれっとした様子の殿下にこっちの顔が熱くなる。あまりに涼しい表情を浮かべているものだから、私がおかしいのかと勘繰ってしまうレベルだ。


 顔の熱を振り払いながら、ソファに再度腰を下ろす。


 だめだ。こんなことではいけない。

 私は今日、殿下に謝りにきたのだから。


「あの、殿下。よろしいですか?」

「ん?」

「ええと、……少しお話があって」


 馬車の中で目に焼き付けたカンペの内容を思い出す。殿下も真面目な雰囲気を悟ったのか、緩んでいた頬を引き締めてくれた。


「話?」

「はい。……謝りたいことがあるんです」


 自然と顔が俯く。言わなければならないことがたくさんあった。


 婚約者についての嘘だとか、心配をかけて申し訳ないだとか、殿下は全く悪くないということだとか、それはもう山ほど。


 汗が滲む手をきゅっと握った。腹を括ろう。



「……先に、いいか」



 と。覚悟を決めきった私の言葉を遮ったのは、殿下だった。一世一代の出鼻を挫かれ、反応が遅れる。


「え、えっと……?」

「俺にも、その、言っておかなきゃならないことがあるんだ。……言わないままだとおまえの話に集中できねえと思うから、頼む」


 そんな真剣な顔で言われてはだめだなんて拒否できるはずがない。私はほぼ反射的に頷き、開きかけた口を噤んだ。


 心音の主張が激しい。一体何を言われるのだろう。


 新しく好きな人ができたから俺のことは忘れてくれ、とかか。流れる短い沈黙に想像が及ぶ。自然と、あの愛らしい主人公の姿が浮かんだ。


「……お茶会の日、抱き締めたりしてすまなかった」

「……」

「婚約者がいるとわかっていながら手を出した。……それで、おまえが気分を悪くしたんじゃねえかと思うと気が気でなくて」


 ――がしかし、まさか殿下がそう不躾なことを言うはずもない。


 彼が口にしたのは、手紙で幾度となくされたあの時に関しての謝罪だった。


 申し訳なさそうな顔でちらとこちらを見る藍色の瞳に胸が痛む。そもそも私には婚約者なんていないわけで、彼が頭を下げる必要性は全くないのだ。


「いえ。……お手紙にも書きましたが、私は気にしておりませんから」

「でも」

「大丈夫です。本当に」


 強く念を押した。すると、殿下が僅かに口角を緩める。「そうか」という呟きも、ひどく安堵した声色だった。


 殿下の言葉は続く。


「このままじゃいけないことはわかってるんだ。婚約者に見られて困るのは俺じゃなくておまえだし、……もしバレでもしたら、傷が付くのは俺じゃなくておまえだろ?」

「……」

「わかってるんだ、本当に。俺が好き勝手して困るのはおまえで、悲しむのもおまえだって」


 「でも」。ぽつぽつと紡がれた音が、二文字で一度区切られた。



「…………好きなやつがいたら触れたくなるだろ。もう自分でも情けなくなるくらい我慢ができねえし、今だって正直キスのひとつでもしたくて仕方ねえ」

「……え?」

「兄上のパーティーの日からおかしいんだ。……前までは遠くから眺めるだけで満足できたのに、一度おまえに触れたら欲が出てどうしようもねえんだ」



 殿下の真面目な態度に、私の間抜けな声が重なった。


 え、あれ? ……どういうこと、だろう。意味をうまく飲み込めず、私は口をぽかんと開いたまま、彼の言葉の意図を汲み取ろうと試みる。


 まるで、まるで今でも私を想ってくれているかのような口ぶりだ。そんなはずはないのに、そうとしか考えられない。


 だって殿下はお茶会の日に主人公を助けて、そこから恋に発展しているはずなのだから。


 一気に頭がこんがらがる。どうして、彼は。


「……でも、おまえに無理強いはしないって約束しただろ。ああ言った手前、今から既成事実を作るわけにもいかねえし」


 戸惑っている間にも殿下の謝罪はどんどん進んでいく。待ってくれ。話が掴めないとか既成事実って何だとかは置いておいて、とりあえず。


「え、あ、あの、……殿下?」

「なんだ」

「その、……で、殿下って、まだ私のことを好きでいてくださってるん、ですか……?」


 言葉だけ見ればとんだ自意識過剰だ。けれども、尋ねなくちゃ理解ができない。


 突然の問いに殿下はぱちりと瞬きをした。それからしげしげと私の顔を見つめると、首を傾げて。



「当たり前だろ。じゃなきゃこんなこと言わねえよ」



 ――なんて、躊躇いもせずに言ってのけた。


 途端に顔が熱くなる。恥ずかしさに耐えかねて、上げた顔を再度俯かせた。なんてことだ。おかしい。


 まだ殿下は私を好きでいてくれている。

 その事実が、何故だか心音を速くさせて仕方ない。


 早とちりだった。

 あれこれ考えて結論を出したはずの問題は、全部私の勘違いだったのだ。


「……わ、私、てっきり殿下は別の人にご執心なのかと」

「え、……俺おまえになんか言ったか?」

「い、いえ! ただの勘違いといいますか、決めつけといいますか、早とちりと、いいますか……」


 穴があったら入りたいとはよく言うけれど、それほどに今は顔を上げられなかった。


 早計で1人あれこれ考えてしまったのはもちろん、あからさまにほっとしてしまった自分がいることが、何より驚きで恥ずかしい。性格が悪すぎやしないか。


「殿下」


 俯かせた顔はまだ上げられないまま、そっと彼を呼んだ。殿下は、優しくなんだと返してくれる。


「わ、私、その、……殿下にずっと嘘をついてたんです」

「嘘?」

「はい。謝りたくって」


 カンペの中身はもう頭からすっぽ抜けてしまった。あれだけ音読に音読を重ねたのに、だ。アドリブなんて得意じゃない。


「…………こ、婚約者なんて、いないんです。私」


 息を吸った。喉が震えている。


「嘘なんです。……ですから、殿下が謝ることなんてひとつもないんです」


 ごめんなさい。短い謝罪をそう締め、私は頭を下げた。口にしてみると本当にひどい嘘だ。騙していたのかと憤慨されても仕方がない。


 殿下は何も言わなかった。それどころかぴたりとも動かず、頭を下げているせいで表情も窺えない。


 懐かしさすら覚える恐怖が背中を駆け上がった。ハラキリかギロチンか電気椅子か、なんて考えていたあの頃、殿下に失礼のないように振る舞おうと決意したのを思い出す。


 あの時の意志は、一体どこにいってしまったのだろう。


「…………は?」


 その殿下は、十数秒の空白の後、やっと言葉を発した。


 室内は、今日一番の張り詰めた空気に包まれていた。

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